十二国記:楽陽小説

□漢子
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「陽子!お客様よ。」
小学から里家に帰ってきた蘭玉は、意味深に笑った。


「お客?」
心当たりがない。陽子は首を傾げた。

「栄可館って宿で待ってるって、男の人。」
陽子は目を見開いて、ものすごい勢いで蘭玉の両肩を掴んだ。
「ひょっとして、灰茶の毛並の?」

蘭玉は眉をひそめた。
「毛並?ううん、スラリとした…」
「スラリとした尻尾の?」


蘭玉はあきれて、陽子を軽く睨んだ。
「嫌だわ。陽子ったら、漢子(いいひと)の事忘れるなんて…」



最後まで言い終える事が出来なかった。陽子はあっと言う間に走り去ってしまったのだ。
「…陽子も女の子だったのねー…」








宿の客房に駆け込んだ陽子は、堂に座った景麒の姿を見て、全身の力が抜けるのを感じた。

もちろん楽俊が来てくれる訳がない。


思わずガクリと床に膝をつく。

わかっている。わかっているけれど…


「どうかなさいましたか?」
「いや何でもない。ちょっと外で気持ちを立て直してくる。」

なんとか立ち上がろうとする所に、手を差し延べられた。

「大丈夫か?陽子。顔色が悪いぞ。」

目の前に差し出された小さな灰茶の手。
見上げれば、ネズミの半獣が自分を見下ろしていた。








「…楽俊…?」

「ああ、仕事のついでにちょっと寄らせてもらった。サボりだから延台輔には絶対内緒な?」


「楽俊。」
「久しぶりだな、陽子。」


陽子の頬にパタパタと涙が流れ落ちる。陽子は声をあげて泣きながら楽俊にすがりついた。
楽俊は穏やかに陽子の背中をさすってやる。


「つらかったな。」
「…うん。」

「一人でよく頑張った。」
「…うん。」

「会いたかった。」
「…うん。」


いつまでも泣き続ける陽子を楽俊はいつまでも撫でてやる。
景麒はそっと客房を出た。







やがて宿を出た楽俊は、所在無げに外で待つ景麒に声を掛けた。

「それでは帰ります。」
それだけ言って、立ち去ろうとする。景麒は慌てて、呼び止めた。

「あの…っ、申し訳ありませんでした、楽俊殿。」

楽俊は肩越しに振り向いて、低い声で応じた。
「景台輔は、何を指して謝っておいでなのですか?」

「は…?」

「『うちの主上が迷惑をかけて申し訳ない』という謝罪なら、受け付けません。」
「楽俊殿?」

「あれは、おいらの女です。」

楽俊の意外な勘気に、景麒は慌てて供手した。
「失礼致しました。」


景麒は楽俊という半獣に威圧されていた。
王に叱り付けられたかの様に、おろおろしてしまう。

楽俊は静かに言った。

「陽子があなた方の王だと言うから、手放したのです。あなた方が必要としているから。」
「…はい。」

「王の半身たるあなたがいるから大丈夫だと送り出したのです。
 …なのに何故、陽子は親を見つけた迷子の様に泣くのです。」

楽俊は景麒に向き直ると、声を荒げた。

「どうして、あんなに泣く程あいつを追い詰めたのです!この国は、あんな小娘に何を期待しているのですか!?
 目を見張る様な政治的手腕?あるわけがない。そんなものを天が求めているなら、最初から官吏が選ばれているはずです。
 官吏では持ち得ない何かを求めて、陽子が天に選ばれたのなら、あなた方はそれを信じて、大切に育てなければならない。それなのに…!」


景麒は視線を落とした。
「ですが、慶はまだ朝が整わず…」
「ならば、尚更あなたが守るべきではないのですか?」



うつむく景麒の足元に、パタリと涙が落ちた。
楽俊が驚いて口をつぐむ。


「私は、どうすればいいんでしょう…」
鼻を啜りながら、景麒は呟いた。

「意見しても『仁獣だから』と取り合って貰えません。諫めれば『信じられぬのか』と怒りを買い、上手く伝わらぬ歯痒さに息をつけば、『また、ため息か』と機嫌を損ねられ…私には、もう主上にどう接すればよいのか…」

楽俊は、ため息をついて景麒に歩み寄った。

「そんな、迷子の様に泣かないで下さい。怒れなくなる。」
「楽俊殿。」

「今の言葉をそのまま陽子に伝えたらいいじゃないですか。素直に本音でぶつかれば。」
「しかし…」

「心に壁を作られるのは辛いものです。あなたは、それを知っているのでしょう?」


景麒が頷く。楽俊は星空を見上げた。


「陽子の便りは『何とかやっている。大丈夫。』の一点張り。…寂しく感じます。
 おいらに強がって見せる必要はないのに。
 『陽子の作る国を見てみたい』というおいらの言葉もまた、あいつを追い詰めていたのかもしれません。」


「…楽俊殿、慶にいらしていただけませんか?そうすれば、どれほど主上の心の支えとなるか…」

景麒の懇願に、楽俊は星を見詰めたまま答えた。 
「出来ますよ、やろうと思えば。後宮に潜り込んで陽子の為だけに生きることも。」

「楽俊殿、それでは…!」
景麒の顔が輝く。楽俊はそれを見て、口の端を上げた。

「そして、私にいいなりの陽子を利用して朝を裏から操り、慶を私の思うままに作りかえる。」
「ら、楽俊殿…?」

「台輔がおいらに願ったのは、つまりはそういう事になりますが?」
「………」

「陽子は、こちらの世界の事は、全ておいらの言う事が正しいと考えます。おいらの言う通りにしていれば生き残れると、刷り込まれている。
 側にいれば、判断に迷う度に私に頼り、私の助言のままに決断を下すでしょう。そこに果たして天の求める王の姿はあるでしょうか。否、陽子は陽子にしかない物を持っているからこそ、王に選ばれたのです。そこを育てられなければ、景王はまた短命に終わる。」


楽俊は、青褪める景麒を励ますように微笑んだ。
「陽子が真に良き王になった時…自らが判断して、国を陽子にしか成し得ない方向へ導く事が出来た時は、おいらも喜んで慶に参りましょう。その時まで、陽子を頼みます。」

「…はい。」
景麒は涙を拭うと、両手で楽俊の小さな手を握った。

「楽俊殿、主上があなたを頼る気持ちが良くわかりました。」
「いや、そんな。」
楽俊は照れ臭そうに、ヒゲをしごいた。

「王の半身は景台輔です。おいらは妬いているのかもしれません。言い過ぎたのは、きっとそのせいです。申し訳ありません。」

「そんな…!」
景麒は握る手に、更に力を込めた。

「私と主上は互いの半身。主上の大切な方は、私にとっても大切なのです。どうか、その様な隔意は無用に願います。」



(…半身って、そういう意味だったか?)



楽俊は笑顔のまま、何となく半歩退いた。





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