十二国記:楽陽小説

□秋風
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雁州国にて。楽俊、大学四年目の秋。
『楽俊ー寂しいよー寂しいよー寂しいよー』

鸞は甘ったれた泣きそうな声で同じ言葉を延々と繰り返していた。
最初の年は、鸞の具合が悪いのかと慌てたものだったが…

楽俊はため息をついた。
温暖な慶にも、どうやら秋が来たらしい。

楽俊は、急いで大学の予定を再確認した。幸い試験の予定はしばらく入っていない。
鸞に銀粒をやって、「寂しい」を黙らせ、自分の伝言を覚えさせる。
「いいか?陽子。すぐに行ってやるから大人しく待ってろ。わかったな?」

「無理。」
「無理でも待ってろ…って…え?」
鸞は嘴を閉じたままだ。楽俊は恐る恐る窓に目をやった。

やはり。
「…来ちゃった。」

楽俊は額を押さえた。陽子が窓枠に腰掛けている。
「おめぇなあ…」
「怒る?」
陽子は心配そうに上目遣いで楽俊に媚びた。

「来ちまったもんはしょうがねぇけどな。」
楽俊は小さな手を差し延べて、陽子を降ろした。
「涼しくなったから、そろそろ騒ぎ出すんじゃないかと思ってたよ。」

陽子は、楽俊のふかふかのお腹にバフンとタックルした。
楽俊は受け止めきれずに、床に尻餅をつく。
陽子は楽俊の腰に手を回し、楽俊の腹に顔を埋めて床にうずくまった。

「わーい!楽俊だー!ふかふかー!」
陽子はグリグリと額を押し付ける。



いつもは頑固な程に意地を張って、鸞にも空元気な言葉しか残さない陽子だが、秋だけは我慢が効かなくなる。
丁度こんな夕暮れ、夏の蒸し暑さが秋の肌寒さに取って代わる頃、陽子は寂しいだの会いたいだの、普段は楽俊を思いやって言わずにいる言葉をクドクドと鸞に向かって繰り返し始めるのだ。
そうなれば、すぐに飛んで行ってやらねば…こうなる。陽子の方から押しかけて来てしまう。
秋は収穫の季節だ。国が暇であるはずもないのだが。

「頑張って仕事は終わらせたもん。怒んないでよ?悪いのは秋なんだから。」

陽子は秋になると不安になるらしい。
まあ、ずっと離れて頑張っているのだから、たまの我儘を咎めるつもりはないのに、
「だから!秋の急に寒くなる感じが不安になるっていうか…」
陽子は必死で言い訳繰り返す。
「日照時間が短くなると、バイオリズムが低下するんだ。不安をごまかしたくて、食べ過ぎちゃうし。」
「冬籠り前に脂肪を蓄えたいだけだろう。」

陽子はムッとして顔を上げた。
「楽俊は全然風流じゃない。」
「風流?叙情的って言いたいのか?今は体質の話をしてたんだろう。」
「だからあ、そういうのも風流かもねって話をしてんの!」
「たしかに秋のもの哀しさを詠った詩は世にあまたあるが、
 寂しいと騒いで押しかけて来る女を詩にするのは、いかに文張と言えど難しい。」
「意地悪。」
陽子は頬を膨らませて、再び顔を毛皮に埋めた。

凛とした女王など幻だったのかと思うほどに弱っている。
日照時間で気分が変わる。人の感受性など、動物とそう変わりないのではないだろうか。


「秋はダメなんだ。いつも頑張れてた仕事が、頑張りきれなくなって混乱する。
 混乱したまま頭の整理がつかずに、無性に泣きたくなるんだ。」
「お日様が足りなくて気うつになるなら、日なたにいるしかねぇだろう。」

「…楽俊は、理詰めで答えるから嫌い。
 楽俊が『おいら以外の奴の前で泣くな』って言うから、ずっとずっと我慢してたのに、褒めてもくれない。」

楽俊は苦笑して、陽子の頭を撫でた。
「すまねぇ。辛かったな。」
「うん。」
「もう我慢しなくてもいいぞ。」
「…うん。」

陽子は楽俊の腹に顔を押し付けたまま、すぐにしくしく泣き始めた。
かなりギリギリの線まで、一人で耐えていたのだろう。
早く自分を呼べば良かったのにと考えながら、楽俊は陽子の髪を撫で続けた。


(いや、毎年の事なんだから、ほんとはおいらが先回りして慶を訪ねてやれば良かったんだ。)

だが、出来なかった。
陽子が今年の秋をやり過ごす為に、別の男の腕を選んでいたらと考える。
秋だけではなく、常に考える。離れている期間が長くなる程不安になる。
訪ねて、そこで、自分を必要としなくなった陽子を見つける事になるのではないかと。
そして、ますます会いに行けなくなる。

だから陽子が耐えきれず泣き出すまで、放って置く。泣かせて、すがりつかせて、ようやく安心する。




(おいらは皆が言うような、いい奴なんかじゃねぇ。ただの姑息な臆病者だ。自ら会いに来る陽子の方がよほど潔い。)




楽俊が想いに沈む内に、いつのまにか泣き止んだ陽子が顔を上げて、遠慮がちに口を開いた。
「あのさ、気持ちいいから別にいいんだけど…私の頭に蚤はいないと思うよ。」
「へ…?」

楽俊は自分の手先に意識を戻して、赤面した。無心で陽子の頭を毛づくろいしていたらしい。
「す、すまねぇ!」
楽俊は慌てて、かき分けてボサボサにしてしまった陽子の髪を撫で付けた。

「一応、毎日髪洗ってるんだけどな…」
陽子はますます落ち込んでしまったらしい。
「違うって、これは…!」
「これは?」

「………………求愛行動。」
楽俊は言ってから死ぬほど後悔した。

秋の訪れを人肌で知る。風雅なのか、ケモノなのか。

翳る日の代わりに、そばにいて欲しい。そんな季節。






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