十二国記:冗陽小説

□陰伏
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「哈ッ!」
陽子の放った正拳は、桓魋の掌に受け止められた。続け様の蹴りも軽くいなされてしまう。
反撃を怖れて跳び退いた陽子は、息を弾ませながら再び構えた。

「主上、申し訳ありませんが、今日はここまでです。仕事がありますので。」

桓魋の言葉に、陽子は、ほうッと息をついて拱手した。
「ありがとうございましたッ。」

「しかし、素手でお相手するのは初めてですが、動きが良くていらっしゃる。本当に誰に師事した事もなかったのですか。」
陽子は汗を拭う手を止めて、微笑んだ。
「いや、冗祐に手取り足取り教えてもらったようなものだから。体が覚えているのかもしれないな。」

「成る程。」
桓魋は、ふと表情が曇った。
「それならば内宰らの謀反の時も、もう少し動き様があったのではありませんか。」
またか、と陽子は苦笑した。あの事件では、皆に散々説教されていたのだ。
「うん、いざとなると体がすくんでしまうものだな。だから桓魋に鍛えなおしてもらおうと思ってさ。」
 
桓魋が去ると、陽子は溜息をついて、庭石に腰を下ろした。
人目につかぬ様、路寝にある庭で手合わせしていたのだ。

「本当は違う。」
陽子は苦々しく呟いた。

あの時、天官達に刃を向けられて、自分を守ってくれるものが誰もいないのに気づいた。
水禺刀があろうがなかろうが同じことだった。
巧の山中でさまよっていた時でさえ、冗祐がいてくれた。なのに今、自分の王宮の中にあって、自分は一人なのだ。
 
それに気付いた途端、自分が無価値なものに思えて、全てが虚しくなってしまったのだ。

拓峰の乱で立ち回れたのは、冗祐達使令がいたからだ。
それを自分だけの手柄のように皆に思われるのが嫌で、冗祐を手放した。
だが一人になった自分はあまりに空虚だった。

陽子は自己嫌悪から逃れるように呟いた。
「冗祐・・・」

「は、お側に。」
予期せぬ返答に、陽子は慌てて足元を見下ろした。冗祐が地面からゆっくりと浮かび上がってきた。
「冗祐!どうしてここに!?」
陽子はひざまずくと、すばやく冗祐をすくい取り、思い切り抱きしめた。

「主上こそ、何故私が主上に陰伏しているとお気付きになったのです?」
「え?・・・ああ、さっきのなら、独り言だけど?」
冗祐は呆然と陽子を見詰めた。
「では・・・私はまた主命に背いてしまいました。気付かれぬように、と台輔より申しつけられておりましたものを。」
陽子は久しぶりに冗祐に会えた嬉しさに、声を上げて笑った。
「じゃあ、まさか内宰の事件から、ずっと私のそばにいたの?」
「はい。台輔におかれましては、最初に異変に気付いたのが、延台輔の使令であったことを大変悔やんでおられました。
 それで私に、危急の段にはすぐ憑いてお守りできるようにとお命じになったのです。」
 
陽子は溜息をついた。
「景麒は、あいかわらず過保護だな。でも、しかたがない。あれは私が悪かったんだから。
・・・お前といた時は、妖魔に何匹囲まれようと怖れはしなかったのに。
 たかが天官相手に何も出来なかったなんて、自分が情けない。
 なんだか冗祐のいない今の自分の方が、偽者のようだ。」
 
冗祐は陽子を見上げた。
「私は、そうは思いません。妖魔を斬る時、決して目を背けなかったのは、主上の強さです。」
そうかな、と陽子は冗祐の頬を撫でた。
「虚海の上でも目を開けていられたら、そもそも巧に落ちなかったんだけどね。」
 
冗祐は首を振った。
「いいえ。あれは・・・あの巧の旅は必要だったのです。あの旅は主上の昇山だったのですから。」
「昇山?」

「王は、昇山する前から王です。昇山することなく王になる御方も多い。
 ですから、王となるべき者は、天に試される為に昇山するのではなく、磨かれる為に昇るのではないかと思うのです。」

「たしかに妖魔は多かったけど。」

「主上の旅が、昇山より易き事だとは誰にも言わせません。
 極限の状態で、自分を見つめ直し、人と助け合い、生き残る。主上は多くの王達と同じ道を歩まれたのです。
 もし、あの時台輔とはぐれずに慶に着いて即位したとして、果たして今の主上と同じように在れたでしょうか。」
 
陽子は蓬莱での自分を思い返した。
「いや、ひたすら帰してくれと駄々をこねて、何もしようとしなかっただろうな。予王よりひどい王になっただろう。」
 
そうか、陽子はふいに気付いた。
「私は、あの旅で私になったんだ。冗祐がいて、楽俊がいて、色んな人達に支えられて今の自分になれたんだ。
 それなのに、冗祐、お前を手放して自立した気になっていたなんて。私はなんて愚かだったんだろう。」
冗祐はにこりと微笑んだ。
「これからは、いつもお側に控えております。」

「ありがとう、冗祐。でも『気付かれず』なんて命令は、景麒に解いてもらわないとな。」
 陽子は立ち上がって歩き出した。
「主上!」
「何?」
「陰伏させて下さい。」
 
陽子は不思議そうに腕の中の冗祐を見た。ずっと抱きしめたままだったのだ。
「何で?」
冗祐は困ったように目をそらせた。
「・・・憑きたくなります。」

陽子は晴れやかに笑った。
「だめ!十日も黙ってひそんでた罰だ。仁重殿まで、このまま行くよ。」
「主上〜〜〜。」

景麒の不機嫌な顔が見えるようで、冗祐はちょっと泣きたくなった。






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