十二国記:冗陽小説

□憑依
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おああ、おああ、と遠くで赤ん坊が泣いている。


巧州国配浪。
陽子は「悪い海客」として護送される途中、馬車を妖魔に襲われて、山中に逃げ込んだ。

あれから三日生き延びた。

梢には満月を少し過ぎた月がかかっている。
赤ん坊の泣き声は、あちらからもこちらからも陽子を目指して疾走するように近づいてい来る。

陽子は、いつの間にか妖魔の襲撃を心待ちにしている自分に気づいた。

否、待っているのは妖魔ではなく




…背筋をぞろりとしたものが走る…





このジョウユウの気配だった。

剣を構え、大きな犬に似た五匹の妖魔が躍り出てくるのを見ながら、
陽子はジョウユウが彼女の手足を支配していく感覚だけに、心を奪われていた。


里で人に追われ、山で妖魔に追われ…この世界は全てが陽子を責め立てる。
その中で唯一ジョウユウだけが陽子を守ってくれた。
しかし、その彼も陽子の呼びかけには一切応えず、妖魔と戦う時以外は全く気配を感じさせない。
陽子にとっては、妖魔に襲われている今だけが、自分が独りではないと思える瞬間なのだ。

だから、陽子は妖魔を待っていた。

しかし、ジョウユウは五匹をあっという間に切り伏せてしまった。
妖魔の黒い毛皮で血糊を拭うと、ジョウユウの気配は絶えた。
代わりに耐え難い寂しさが陽子を襲う。

「ありがとう。ジョウユウ。」

返答を期待せずに呟くと、背後から応える声があった。

「そんなバケモノ、信用していいのかよォ。」
ふりかえると、首だけの猿がきゃらきゃらと笑っていた。

「ケイキの下僕だぜェ。グルになって騙してるに決まってるさァ。」
「うるさいッ。」
陽子は剣で斬りつける。しかしジョウユウがいなければ、消えては現れる猿に刃は届かない。

「ジョウユウが首から上に上がってこないなんて、誰が保証したのさァ。 そいつはじわじわ這い登ってきてるぜェ。じきに脳みそまで乗っ取って、ケイキの操り人形の出来上がりサァ。」
「うるさい、うるさいッ。」
振り回される剣を避けて、猿は笑いながら遠ざかっていく。

陽子は追いかけながら叫んだ。
「ジョウユウ!あんな猿、斬っちゃってよォ!」


猿は白い樹の前で消え、現れることはなかった。陽子は疲労に耐え切れず、膝をついた。
低く張り出した白い枝を這いくぐり、樹の根元に座り込んだ。

猿の言葉が頭の中でぐるぐる回っている。
陽子は絶望していた。
「私には、もう誰もいない。」

その時、ジョウユウがぞろりと動いた。「脳みそまで・・・」猿の声が頭の中に響いて、陽子はヒッと声を上げた。

しかしジョウユウは、陽子のだらりと下げた両腕をゆっくりと持ち上げ、彼女の肩をしっかりと抱いた。

思いがけない程の力で、自分が自分を抱きしめる。

陽子は動転して、体をこわばらせた。ジョウユウが妖魔を斬る他に彼女の体を動かしたことは、今までなかった。

・・・やがて彼女の右手が彼女の左肩をそっとたたき始めた。母親が幼子をあやす様に、優しくトントンとたたき続ける。

「ジョウユウ・・・」
陽子の目から涙があふれた。
陽子を包むジョウユウの気配が、あまりに温かくて涙が止まらない。

ジョウユウが、信じていいのだと言ってくれている。

私には、私を守り、戦ってくれる人がいる。

陽子の左手が涙を拭った。
それが自分の意思なのか、ジョウユウの意思なのか、もはや陽子には判らなかった。

大丈夫、私は生き残る。

陽子は、初めてジョウユウの気配に包まれて眠った。





 

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