十二国記:冗陽小説

□客死
1ページ/1ページ

雨が静かにぬかるんだ地面を叩く。

陽子は泥の中に半ば顔を埋めて倒れたままだった。
妖魔の襲撃を切り抜ける事は出来たが、飢餓と怪我で衰弱し、もはや身動きする事も叶わなかった。

こんな道の途中で倒れていたら人に見つかる。早く山中に戻らねば。
陽子は必死で声を絞り出した。
「…ジョウユウ…山へ…」

かすれた囁きに応じる様に、背筋をゾロリとしたものが這う。僅かに腕に力が入る。…だが、それだけだった。
ジョウユウの力を借りても、体を起こす事すら出来なかった。

(これは、人に見つかるまでもなく、死ぬな。)

陽子は他人事の様にぼんやりと考えた。
先程見た刀の幻は、陽子の「生きたい」という気力を奪い取って行った。

どうせ帰れたとしても…

(あちらには、もともと私の居場所などなかったのだ。
 あちらにもこちらにも居場所がないのなら、私が生きている事に何の意味があるというのか。)


…だが、もうどうでもいい。ここでこのまま死んで行くのだから

陽子が考える事を止めようとした時、玉を握り込んだ手がずるりと動いた。

(ジョウユウ?)

立ち上がるのが無理なら、這いずってでも山中に戻ろうというのか。
ずるりずるりと交互に腕を動かして前進しようとしている。

「ジョウユウ…もう…いいんだ…」

だがジョウユウは腕を動かすのを止めようとしなかった。
思い返せばジョウユウが陽子の頼みを聞いてくれた事など、一度もない。

(そうだった。こいつはケイキの命令しか聞かない。)

今もただ、ケイキの命に従って、陽子の命を守ろうとしているだけなのだ。

(でも、それでもジョウユウは私を守ってくれている。)


理由など、どうでも良かった。
どちらの世界にも拒否され、自分自身ですら捨てた命を守ろうとしてくれる者がここにいた。


陽子は目頭に熱を感じて、ぎゅっと目を閉じた。流す水分など体には残っていないけれど。
陽子の口から小さな嗚咽をもれた。

(私の居場所は、ここにあった。この身の内に。自分の体ひとつ分の居場所。)

他人など、世界など、どうでも良い事に思えた。
ジョウユウが生きろと言ってくれるのなら、いや、私が生きたいと思うなら、生きていていいんだ。
誰にでも体ひとつ分の居場所がある。そこに居る事は他の誰にも邪魔する事は出来ないのだから。

しかし、やがてジョウユウも力尽き、陽子は再び地に伏した。

(私が死んだら、ジョウユウはどうするんだろう。
 今の私を動かせないのなら、死体を操る事は不可能。
 やはり私の屍骸を置いてさっさとケイキを探しに行くのだろうか。)

陽子は不意に恐怖を感じた。

(ジョウユウが離れる。)

身に馴染んで久しいゾロリとした感触を、自分を包み守ってくれた存在を、ケイキが毟り取って行く。
そんな姿が脳裏に浮かんだ。

(嫌だ。)

死体が何かを感じるはずなどないのに。
それでも陽子は虚無の中に一人放り出されたような恐怖に襲われた。

ジョウユウが惜しかった。

誰にも望まれぬ自分の命など大して惜しくもなかったが、
ジョウユウを失う事だけは、耐え難い程に惜しかった。

死ねば、ジョウユウは行ってしまう。

「・・・・死にたくない・・・・」


陽子はギリリと歯噛みし、それきり意識を失った。





[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ