司書室1

□乙女のワルツ。
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誰よりも馬鹿で無鉄砲な貴方へ―。
どうか、俺をずっと側に置いて下さい。
他には何も欲しがりません。
それだけあれば…、誰よりも幸せですから…。





屋敷の大多数の人間が寝静まった夜更け。
自室で着流しを上半身だけ取り去り、幸村は鮮血が滲んだ晒しを静かに解いた。
事前に準備していた消毒用の懐紙を左手に握って創傷に強く押し付けた。
「っ…く…」
それに含ませた酒が右二の腕のそれに染み込み、疼痛を呼び起こさせる。
その直後、先日戦場で対峙した女性の姿が頭の中を掠めた。
(独眼竜…、伊達政宗…)
『来なよ。俺を楽しませてみせな』
艶やかな焦げ茶色の髪に非常に端整な顔立ち。
挑発的な視線で投げ掛けられた瞬間、彼女に対して燃え立つ様な熱情を抱いた自分。
何度か刃を交え、勝敗を決する前に撤収の合図に黙って従う事しか出来なかった日。
様々な感情が入り混じると無性に苛立ちを覚え、幸村は左手の懐紙を柱に向かって投げ捨てた。
(……)
小さな音を立て、畳の上に落ちる様子を見届けて溜め息をついた直後。
「あーぁ、虎の若子ともあろうお方が物に当たってら」
僅かに呆れを含んだ佐助の声が鼓膜を振動した。
音もなく眼前に現れた彼女に驚いてから、幸村は平静を装った声で言う。
「う、煩い!お前には関係のない事だ!」
そんな彼の態度に顔を顰め、佐助は吐き捨てた。
「関係ありますよぉだ。馬鹿村様」
言い終えてから、中途半端に投げ出されていた幸村の右二の腕の創傷を懐紙で包む。
「俺が居なけりゃ何にも出来ない癖に。無謀に突っ込むのだけは人一倍何だから」
毒突きながらも手際良く晒しを巻き付ける彼女に敢えて問い掛けた。
「…怒っているのか?」
彼の問い掛けに対し、即座に首を縦に振った。
「うん。物凄く」
その答えに幸村は申し訳なさそうに瞼を伏せる。
「大事には至らなかったからいいとするけど。怪我してんのに戦何かに出て、それが原因で討ち取られてたらどうするつもりだったの?」
俺の気も知らないで…。
最後の言葉を咄嗟に飲み込んでから、佐助は問い掛け続けた。
「何でも自分だけで片付けようって躍起になっちゃってさ。自分はそんなに出来た人間だとか思ってるの?」
全ての言葉から滲み出ている彼女の静かな怒りに幸村は頭を垂れる事しか出来なかった。
暫くの沈黙の後、小さな声で言葉を紡ぐ。
「…すまぬ…」
晒しを巻き付け終えたと同時に謝罪され、佐助は苦笑を浮かべた。
(全く、あんたって男は罪作り何だから…)
「俺こそ、出しゃばった事言ってごめん。でも、心配だったんだ…」
幸村の頭を左手で撫でながら、双眸を細めた。
「旦那が死んじゃったりしたら…、俺の生きてる意味が無くなるから…」
余った懐紙と晒しを片付けながら、寂しさを宿した笑みを浮かべた。
そんな彼女の心情を悟る事なく、幸村は言う。
「その時は、お館様に付けば…」
「そういう問題じゃないの!」
彼の言葉を遮り、佐助は素早く背中を向けた。
「兎に角、もう無茶はしない事。それが守れない様だったら実家に帰らせて貰うから」
「ま、待て…!」
投げ掛けられると同時にその場に取り残され、幸村は左手を髪の毛に差し込んだ。
(…女子とは、誠に解し難い生き物だ…)
右二の腕に施された手当てに指先で触れ、小さな溜め息をついた。





「はぁ…」
整然と敷き詰められている黒色の瓦の上。
濃紺色の夜空に君臨する満月を一瞥してから、佐助は胡座をかいて小さな溜め息をついた。
(何で素直に言えないんだろ…)
右手で額を包んで表情を曇らせる。
「…馬鹿みたい…」
呆れを含んだ声で呟いてその場に横たわった。
無限に広がるそれは何よりも美しく、眺めていると何故か胸に痛みが走った。
(でも…、今回はよしとするか…)
双眸を細め、首を縦に振って瞼を閉じる。
そんな彼女を見守る様に白色の流星が穏やかに滑り落ちた―。

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