「心理的社会的発達の8段階」とは、自我心理学者であるエリクソンが説いた学説であり、発達心理学を語る上で重要なものです。
人間の人生を8段階に分類し、人間にはその期間に相応した問題があり、それらをどう消化し解決していくのか?という課題があると考えました。

■乳幼児前期■(誕生〜1歳半ぐらいまで)
母親のお腹の中で何不自由なく生きてきた赤ちゃんにとって、外の世界というのは過酷なものです。
そのため、自分の周りに母親を含めた他の人がいても、「自分を助けてくれないだろう」という不信感が生まれます。
しかし、生後1年までの乳児期に、食べ物を手ずから与えてもらったり、おしめを替えてもらったりという作業をしてもらうと、「助けてくれる人がいる」と感じ、不信が信頼となります。
逆に満たしてもらえなかった場合には、不信と不安を抱えたまま成長を始めてしまいます。

■乳児期後期■(1歳半〜3歳まで)
「赤ちゃん」を卒業したこの時期、親もしつけを始めることが多くなります。
全て世話をしてもらっていた状態から、服を着たり、食事をしたりといったような、自分で責任をもって何かを行うことが子供に対して求められるようになります。
上手く行うことができ、周りの大人に褒めてもらえると、よくできた自分に対する満足感を得ることができますが、大人がその努力に満足できず、失敗を叱りすぎてしまうと、自分の能力に疑いをもち恥を感じてしまいます。

■幼児期■(3歳〜6歳まで)
この時期、保育園や幼稚園から持ち帰った知識や遊びを家庭内で披露したりするようになります。
さらに子供は子供なりの遊びの計画を立て、目標達成のためにあれこれと行います。
ですが、大人の目にはそれがどうしても「いたずら」に映り、つい叱ってしまうことが多いようです。
しかし、すぐ怒って止めさせてしまうと、子供は罪の意識をもち、自己評価の低下へと繋がる可能性があります。
特に危険がない限り、何でもかんでも怒るのは逆効果とみてよく、遊びを通して成長する次期だと、見逃してあげるのがいいでしょう。

■児童期■(6歳〜12歳まで)
さらに広い社会である近隣に関係が広がります。
学校や近所での習い事なども含まれ、子供は家族という枠から一歩踏み出し、必ずしも十分な配慮やいたわりがあるとはいえない社会の中で行動していくことをしいられます。
そして学校での様々な学習や練習が始まると、必ずといっていいほど理解の早い子、遅い子の差がでてきます。
つまり、劣等感をもつ子が現れてくるのです。
成功すれば満足感へと変化しますが、失敗してしまうとさらに自分で自己評価を落としてしまいます。

■青年期■(12歳〜20歳ぐらいまで)
「自分は誰なのか?」「これからの人生をどうしようか?」といった疑問に対して考え、試行錯誤しながら答えを探していくのが青年期の特徴です。
しかし、全てのものに飛びつくことによって、それに振り回されてしまうと、自分を見失ってしまいかねません。
エリクソンは、この時期は社会的義務や責任を一時的に負わなくてよいとされているとし、モラトリアムという単語で表現しました。

■成人期■(20歳頃〜30歳まで)
この年代で特に関心をもつのは「他人と親密になれるだろうか?」ということです。
つまり親友や恋人ができるかどうかです。
成功すれば相手のことを理解できる共感性をもち、同時に自分を相手に伝える自己開示性も手に入れることができます。
ただし失敗してしまうと、孤立感だけが深まります。
親友や恋人を望むのは、傷ついたり恥をかいたりとリスクを伴うかもしれませんが、人を愛し、親密な関係を手に入れることこそ、この段階の目標としています。

■壮年期■(30歳〜60歳まで)
この時期になると、社会の中に安定した居場所を見つけることができるようになります。
しかし、不安定だった夢と、可能性に溢れていた若い時期が過ぎ、自分の将来が見えてしまうと、希望のない中年になりかねません。
しかし、何かを育む喜びを知っていれば、それは回避できるでしょう。
自分の子供を生み育てることだけではなく、例え子供がいなくても、後輩や部下、会社の地域社会や芸術作品など、次世代へ繋がるものを育てることを知っているかいないかは、大きな違いをもたらすでしょう。

■老年期■(60歳〜)
仕事を退職し、子育てからも開放され、自分のためだけに生きようとする時期ですが、「死」というテーマから逃れることは不可能です。
1日生きたということは1日死に近づいたことになります。
そこで重要なのが「自我の統合」です。
「欠点もあった、失敗もあった、しかし自分の人生は素晴らしいものだった」と考えることができさえすれば、絶望に沈むのではなく、輝く終わりを迎えることが可能でしょう。

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