勇シン短編1
□やる気ない勇者の物語
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「だるいんだよ」
突然の言葉にシンシアは呆気に取られて、気怠げに欠伸を噛み殺す目の前の勇者の少年を見つめた。
まさか、空耳だろうか。これまでずいぶん長く彼と過ごして来たが、あまり聞くことのなかった語彙だ。
「だ、だるいって……どういうことかな」
「やる気がねえんだ、つまり」
少年は他人事のように惚けた口調で言うと、その場によっこらしょと寝そべって、片肘をついて頭を支えた。
「あー、このポーズいいな。
このままテレビの前に陣取って、「のど○し」飲みながら巨人戦でも見たいところだ。
楽チン、楽チン」
「ら、楽チン?」
「俺はもう、頑張るのに疲れた」
こめかみにくらっと眩暈が駆け抜けるのを感じて、シンシアはごくんと喉を鳴らした。
「大体なんだよ、みんなで寄ってたかって俺に世界を救えだの、強くなれだの。
勝手なことばっかり言ってんじゃねーってんだ。じゃあ、自分はどうなんだ?
頑張れっていう奴は、頑張ってんのかよ。強くなれっていう奴は、強いのかよ。
言葉は鏡だ。いいものも悪いものも自分に返って来る。
やたらと頑張れっていう奴は、ほんとうは自分が頑張りたいんだ。
強くなりたいけど勇気がないから、他人に変わりにやってもらおうとしてんだ。
俺だって疲れる。いちいち全部背負ってられないんだよ。
すこしでも相手を思う優しさがあるなら、もっと言葉を選んで口にするべきだ」
「で、でも……それは、あなたにこそ言いたいわ!」
シンシアは気色ばんで叫んだ。
「あなたって人は、いつもいつもムッツリしては言いたい放題、ちょっとは共に旅するみんなの気持ちを考えたことがあるの?
「俺、こういう人間だから」は理由にならない。人は決してひとりじゃ生きていけないのよ。
垣根を越えてみようよ。言葉を渡す相手が、自分自身だと思ってみようよ。
きっと、びっくりするくらいやさしくなれるはずだよ。
だって誰でも、本当は一番に自分を愛していたいから……、って」
シンシアは絶句した。
勇者の少年が起き上がって今度は椅子にもたれ、魂の抜けた表情で立てた小指を耳に突っこんでいる。
「あー、これもいい。いいな」
「ち、ちょっと……いいじゃないでしょ!聞いてるの?!ねえったら!」
「ああ」
少年はとろんとした目つきで、シンシアを見つめ返した。
「うるさいな、そんなにガミガミ言わなくてもわかってるさ。今からちゃんとこっちも掃除する。
綺麗にしとかないと、もしも間近で見つめ合った時、バカボンパパみたいに毛が飛び出してたらカッコ悪りいもんな」
いや、ちがうの、やめて………!!!
シンシアは足元が崩れ落ちて行くような慟哭に襲われた。
その姿だけは、見たくないの!
顔が綺麗なだけになおさら!
だがどんな美形も、見る見られるにかかわらず、そうしなければいつかは鼻づまり。
氷の彫像のように美しい少年の顔が、まるで催眠術に操られたかのようにうっとりと弛緩して、
伸ばした小指が矢を射かけるように正確に、穿たれた穴のひとつへ滑り込んだその時、
(い、やーーーー!!)
意識が泡のように弾けて、途絶えた。
「………さん、………さん、起きて下さい」
勇者の少年は身体を揺さぶられて、はっと目を開いた。
「こんなところでうたた寝していると、お風邪を召しますよ。起きて下さい」
気が付くと、宿の食堂のテーブル。
蒼い瞳の神官クリフトが、心配そうにこちらを見降ろしている。
「大丈夫ですか?ずいぶんうなされていたようでしたが。悪い夢でもご覧になりましたか」
「……」
少年は額の汗をぬぐって瞬きした。
未曾有の悲劇を経験し、旅に出て以降、悪夢なら数え切れないほど見ている。
だが今日は珍しくいとしい彼女が登場したぶん、どちらかと言えば良い夢の部類と言ってもいいのではないだろうか。
(いや……)
勇者の少年は小指を立ててじっと視線を注ぎ、それから頬を赤くした。
「……あれは、いくらなんでもまずいよな。バカボンパパ。子供の頃だってやったことがなかったぞ」
「? なんのことです」
「ま、仕方ないさ。夢とはいえ、やっちまったものはしょうがない。緊張と弛緩のタイミングを間違えたんだ。
人間、張りつめて頑張らなきゃならない時もあれば、緩むんで休まなきゃならない時だってある。
ただ、どんなに相手のことが好きでも、自分の意思に関係なく何もかもさらけ出されて気分のいい奴はいない。
お前だってそうだろ、クリフト。アリーナが突然目の前で鼻掃除を始めたらどうする」
「はあ……?」
眉をひそめるクリフトに、勇者の少年は肩をすくめて首を振った。
「なんでもない。人生は短い。たった一度きりだ。
誰かの前で腐ってる暇があったら、やる気を出せってことだ」
「いきなり、なにをおっしゃいますやら」
「そして、時々は休めってことだ。走り続けるためには休憩も必要だ。
ただし、だれにも迷惑を掛けないようにな。鼻掃除は出来るだけこっそりやれ。
完全なる休息とは、孤独と共にある」
「……お疲れが、溜まっておられるのかな。
このところ少し、強行軍に過ぎましたから……後ほど薬草を煎じましょう」
クリフトは首を傾げると、「とにかく、部屋に戻られて下さいね」と言い残して、その場を立ち去ってしまった。
「……悪かったな、シンシア。愚痴こぼしちまって」
少年は左の懐に手を入れると、すっかり煤けた汚れた羽根帽子を取り出して見つめた。
「文句ばかり言ってても、何も始まらないよな。やる気も出したり引っ込めたり、バランス感覚の問題だ。
「ガンガンいこうぜ」の時もあれば、「いのちだいじに」しなきゃならない時だってある。
疲れることもあるけどさ、休んだらまた俺、頑張るよ。ぼちぼちな」
(うん、そうだよ。頑張ろうね!
あなたは独りじゃない。いつだってみんながついてる。
それにわたし、バカボンパパみたいなあなただって、大好きだよ!)
勇者の少年は目を丸くして、辺りを見回した。
掌の上の羽根帽子に視線を落とすと、引き結んでいた唇から、ふっと微笑みがこぼれる。
「そうか。じゃあ今度そっちで会えたら、見せてやる。笑うんじゃねーぞ。
みんな、頑張ってるんだ。
悩んで、もがいて、それでも必死で生きてるんだ。
だから……、「これでいいのだ」、だよな」
−FIN−