導かれし者たちの短編

□ドラクエ4字書きさんに100のお題
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17・昨日とおなじ


「あ……」

彼女の唇から、吐息が洩れた。無色透明なそれにもしも色が付いているのならば、そう、きっと桜色。

甘い、とろけるような、砂糖たっぷりの綿飴と同じ色。

「ん、……んっ」

どうか、これ以上そんな声を出さないで。どうにかなってしまう。身体が空気を入れ過ぎた風船のように、四方に弾けて飛び散ってしまいそうだ。

だったら動くのを止めたらいい。柔らかくて香り高い、もぎたての果実のような彼女から身を離せばいい。そんなのわかっている。でも、もう抑制は効かない。衝動ばかりが駆り立てられる。彼女の頬が薄紅に染まり、眉間にせつない皺が寄る。

そうさせている犯人は、わたし。

「クリ……フ、ト……!」

彼女がうわごとのようにわたしの名を呼んだ。どうして呼ぶのだろう。こんなにもそばにいるのに。これ以上ないほど近くにいて、唇を重ねて、触れあって、繋がっているのに。

自分の姿を、自分で見つめることは出来ない。だから彼女はひとつになった瞬間いつもわたしを見失い、途切れ途切れの声で何度も繰り返し名前を呼ぶ。

そうすることで、わたしがちゃんとここにいることを確認するかのように。想いを告げたとたん、水に溶けてあぶくに変わる人魚のように、目の前から消えてしまわないように。

「……、しても、いいですか?」

わたしは乱れた息を吐きながら、彼女の耳元で小さな要求を囁く。

「あなたの、

……に、……したい。姫様」

「……」

ふっくらした唇がゆるゆると、だめ、の形に動いた。だが声にはならなかった。

否定が肯定の役割を果たすことを知ったのは、甘い悲鳴が拒否ではないことを学んだからだ。人は苦しい時にだけ、苦しげな声を上げるんじゃない。苦しみと喜びはいつも、タロットカードのように表裏一体。なんて不思議で難しくて、いとおしい生き物。

彼女に触れるのがずっと、怖くてたまらなかった。許された瞬間、今度は狂おしいほど全てが欲しくなった。頬も、指も、髪も、まつ毛が落とすひとすじの影さえも。

もしも唇が刻印の役目を果たすなら、生涯わたしだけのものだと、あなたのすべてに消えないしるしを穿ってしまいたい。

わたしは彼女を抱き寄せ、体を柔らかく押し開き、望みの通りにした。新芽のような彼女の足先が震えた。

「クリ、フト、……駄目……!」

わたしは動くのを止め、顔を上げた。

「どうして?」

「だって、……だって、こうしたら」

昨日とおなじになっちゃうもの、と、消え入るようなか細い声で彼女が呟く。

「なってもいいんですよ」

「でも、わたし、きっとまたとてもおかしくなるわ。

昨日みたいに、すごく……自分で自分が、わからなくなってしまうくらい」

「構いません。それに、昨日と同じにはならないんです」

だってわたしはまだ他にも、あなたを愛するための色んな方法を知っていて、昨日とは違うあなたの表情が見たいから。

あなたを慈しみたいという想いと同時に、征服し尽くしたいという衝動がほむらのように吹き荒れる。きっと、まだ知らない顔がある。わたしの知らないあなたの顔。声。触れていない場所。全部知りたい。全部この目に、この心に焼きつけたい。

わたしに翻弄される姫様を、もっと見たいのです、と囁こうとしているわたしはあまりに罪深い、たったひとりを愛しすぎた神の子供。




−FIN−




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