導かれし者たちの短編

□ドラクエ4字書きさんに100のお題
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18・いずれ終わる


傍にいることも、背を向けていることも辛かった。避けようとすればするほど意識がいってしまう。そこにあいつがいる。あの野郎……、あの野郎。

だからろくに噛みもせずにその日の夕食を喉に流し込んだ後、 宵闇が覆う葦の群生した草むらに身を投げるように飛び込んだ。誰も追って来なかったところを見ると、仲間たちも多少は察してくれているのだろう。

暴れ狂う鼓動を鎮めようとヴァイオレット色の夜空を見上げ、いつものように懐に手を突っ込んで、そこに入っている煤けた羽根帽子に触れた。だが、今日に限ってそれは逆効果だった。

これが持ち主の手を離れてここにある、そのことこそが、全てあの男が犯した忌まわしい暴挙に起因しているではないか。俺はなにひとつ忘れていない。あの日の耐えがたい驚きと悲しみ、突如滅ぼされた大切な故郷。燃えさかる家々。逃げ惑う人々の恐怖の叫び声。

「あなたと一緒にあそべて、楽しかった」という澄んだ水晶のようなほほえみ。

「う、あ、……あ」

背の高い葦を目茶苦茶にかき分け、くずおれるようにその場に両手と両膝をついた。たちまち手のひらと膝が、湿気た灰色の泥で汚れた。

呻き声を洩らしたとたん、さっき喉に流し込んだものが全部戻って来た。咳きこめるだけ咳きこみ、片手で首をむしり掴んでぜいぜいと息を弾ませると、嗚咽と共に熱い涙が泥の中にしたたり落ちた。もはや、理性で押しとどめられるものではなかった。

あの野郎と一緒に旅をする、だと?ふざけるな。

これ以上悪趣味な冗談が世の中にあるなら、聞かせてほしいくらいだ。神様とやらはどうやら筋金入りのサディストで、とことん俺が嫌いらしい。

あいつを殺すことこそが、俺の旅のたったひとつの目的だった。そうじゃないということに気付けたのは、これほど時間をかけて途方もなく長い階段を一歩ずつ昇り、時に足踏みして、時に転んで幾段もすべり落ち、それでも足を止めてなるものかと歯を食いしばって、今日まで歩んで来たからだ。

復讐の妄執からようやく解放されかけた頃、今度はたった一日で憎い仇敵が突如旅の仲間に変わった。その事実すら笑顔で受け止めなければならない、それも選ばれし勇者の宿命だと言うのなら。

「俺は、勇者になんかなりたくなかった……!」

拳で膝を力任せに叩いた。泥飛沫が舞い、噛みしめた唇から血の糸が落ちた。

憎しみは新しい憎しみを生むだけだ。だから、もうなにも憎まない。他の誰かに起きるはずだった悲劇なら、いっそ俺に起きた方がいい。自分以外の人間が苦しむくらいなら。

そう、心に決めたはずだった。だがいざこうして現実に全てを奪った張本人を目の前にすると、圧倒的な感情の暴走にその誓いの全てが嵐の前の塵芥のようにたやすく吹き飛ばされてしまう。

魔族の王であるあの男の、髪一本から爪の先までおぞけをふるうほど憎い。銀の月のような妖艶な美貌に、今すぐこの手で剣を突き立てたい。あの男の手にかかって死んだのだ。父さんも母さんも、剣と魔法の師範も、優しい村人たちも、……シンシアも。

「シンシア」

シンシア。

助けてくれ……、と、あの日と同じ悲痛な呟きがこぼれた。

苦しい。あの日と同じほども。

全てを奪われた悲しみは、新しく出会った仲間の温かさによって少しずつ癒された。人のぬくもりを知った。他人とかかわることの難しさと、それ以上の素晴らしさも。

自分という存在は、決してひとりで生きているわけじゃない。 世界は悲しみと喜びが平等に秤にかけられていて、誰かが両手を打って喜んだぶんだけ、違うどこかで誰かが泣いている。悲喜のバランスでこの世は成り立っている。憎みすぎること、悲しみ過ぎることはその均衡を崩してしまうことなのだと。

全部わかっている。わかっているのに、波立ち過ぎた心を自分ひとりの力で沈めることはあまりにも辛く、苦しく、難しかった。

(頑張って)

その時、瞼の向こうに幼い頃から愛し続けたエルフの少女の残像が浮かんだ。

(頑張って。これまで紡がれた「導かれし者たち」というひとつの物語の、これがあなたが乗り越えるべき最後の試練。

あなたなら出来るわ。だから、頑張って)

「もう、これ以上頑張れねえよ」

まなじりから涙がひとすじ流れ落ちた。

「俺、今までも、けっこう頑張った」

(知ってる)

残像がほほえんだ。

(わたし、あなたが頑張ってたことをちゃあんと知ってるよ。いつもあなたを見てたもの)

「どうしてあいつと一緒に行かなきゃならないんだ。別々ならよかった。目の前にいさえしなければ、まだ……」

(でも、それは「ふりをする」ってことでしょう?そこにあるものから目を逸らして、見て見ぬふりをするってことでしょう?

今ここにあるこの運命は、あなただけのもの。あなたが乗り越えなければ、他の誰も代わってくれないよ)

ぬかるんだ泥を見つめる虚ろな瞳の中で、懐かしい少女がいとおしそうにほほえんだ。

(ねえ、わたしたち小さい頃、よく喧嘩したよね。その時いつも先に仲直りしようとしてくれたのは、優しいあなただった。

思い出して。その時あなたは、わたしになんて言った?なあシンシア、おれたち、ずっと仲良くしよう。どんなことがあっても、ぷんぷん怒りすぎないようにしよう。

この世界で一番いい言葉は、仲良しだ。仲良しは幸せを生む。悪いことをしてしまったやつは、かわいそうだ。だから、かわいそうなやつには自分からこう言ってやるんだ。せえの……)

「ゆー、るー、す」

緑の瞳からまた涙があふれた。


許す

そう

許してやるんだ

悪いことをしてしまった、かわいそうなやつのこと

俺に出来るのかな

こんなにも難しい誓い、子供の頃は平気な顔して言ってた


(今の全部は、いずれ終わるんだよ)

少女の残像がいとしい想い人を抱きしめようとするように、華奢な腕を伸ばした。その輪郭がゆっくりと薄くなり、記憶に溶け始めた。

(放っておいても、いずれ終わるの。失わせようとしなくてもなくなるし、大事に取っておいてもいつのまにか消えてしまう)

(だから、頑張って。今のあなたに出来ることから逃げずに、懸命に)

(今のあなただけに出来ることを……)


おぼろな光が完全に見えなくなった時、目に映ったのは灰色の泥たまりだった。

茶色く変色した葦がさやさやと揺れてこすれ合い、乾いた音を立てる。両手両膝をついたせいで手のひらも足も、靴までものの見事に泥に染まっていた。

今夜は野営だ。風呂にも入れないのに汚してしまった、と気付いたとたん、なぜか不思議なほど心が平静を取り戻していた。

(今の全部は、いずれ終わる)

一見悲しいその言葉が、奇妙なほど深い安らぎをもたらしてくれる。全ては終わる。永遠に続く命などない。この憎しみさえも、いつか終わりを告げる時が来る。

無限の苦しみは堪えきれそうもないが、必ず終わる人生ならば、戦うことだって出来るかもしれない。だったら試してみよう。頑張れるかどうか。シンシアが、あなたなら出来ると言ってくれた俺の試練、果たして本当に乗り越えられるかどうか。

幼い子供の頃、彼女に向かって口にした言葉。彼女を今も深く愛しているからこそ、大人になったからといって簡単に裏切ることは出来ない。

手足にまとわりついた泥を払って、立ちあがった。頬の涙の痕を手の甲で拭った。仲間のほとんどは、自分を冷静で感情を揺らがせることなどない勇者だと思っている。みっともなく涙を見せるわけにはいかない。

茂みを出て歩きだすと、遠くの焚火の明かりのそばに仲間たちの影があった。その中のひとつに、銀色の姿が見えた。暁色の瞳でこちらを静かに見つめている。竪琴の弦のような長い髪と、額に巻いた緋色の絹布が目に映ると、みぞおちがざわざわと泡立った。

息を深く吸い込んだ。心を鎮めろ。大丈夫、乗り越えられない試練なんてない。すぐには無理かもしれない。時間がかかってもいい。

俺には出来る。だよな、シンシア。

記憶に溶けた少女のまぼろしがふふ、と笑った。


あなたは優しいひと、そして誰より強い ひと

わたしも一緒に、言ってあげるね


(せえの)



ゆー、るー、す




−FIN−




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