導かれし者たちの短編

□ドラクエ4字書きさんに100のお題
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19・最優先事項


「ミネアさん、怪我をなさっていますね。手を見せて」

常日頃は優しい声音が、珍しく真剣な響きをたたえていたので、その時の彼女は断ることが出来なかった。

いつもなら「このくらいの傷、平気です。自分でなんとかしますから気になさらないでください。クリフトさんは大袈裟なんです」と苦笑いしながら足早にその場を離れるのに。

そういう時、それ以上クリフトは追って来ない。占星術師のミネアは薬学にも造詣が深いし、なにより彼女自身が卓越した回復魔法の使い手であることは、彼もよく知っている。

だがその日のクリフトは珍しく表情を硬くし、遠慮がちなミネアの言葉にも決して引こうとはしなかった。

「先ほどの戦闘で、手のひらに魔物の鱗が刺さったままになっています。一刻も早く抜かなければ、神経をやられてしまう。魔法でどうにかなるものではありません」

腕をぐいと掴まれ、「こちらへ。手を見せて下さい」と体ごと引き寄せられた。

すらりとした外見からは想像もつかぬ男らしい力強さと、かすかに肘が触れた胸の引き締まった広さに、ミネアは動転した。みるみる顔が真っ赤になった。

「や、や、止めて下さい!クリフトさん……!」

「いいえ、止めません」

クリフトは頑強に首を振った。

「いくらあなたがわたしから逃げようとしても、この手は絶対に離しませんよ。傷ついたあなたを放っておけるわけなどない」

ともすれば大きな誤解を招きそうな台詞を、ごく真剣な顔で言ってのける。世界でも五指に入る白魔法のエキスパートの彼が、誠心誠意言葉通りの思いを口にしているのはミネアにもわかっている。

恐らく今彼の心には、目の前の傷を癒さなければ、という燃えるような職業魂しかないのだ。ミネアだからじゃない。対象が誰であろうと、クリフトはきっと寸分たがわず同じ行動を取るだろう。相手が老人であろうと。生まれたての赤子であろうと。

「クリフト」とはそういう人間なのだ。だからこそ彼は、神の子供なのだ。

「じっとして」

「は、はい」

ミネアを木陰に座らせると自分も背後に座り、真鍮製の棘抜きを使って、クリフトはミネアの手のひらに埋まった魔物の鱗をじりじりと、だが確実に引き抜いていった。

鱗が肌の裂け目から浮き上がるたび、焼けた針を押しつけられたような鋭い熱さが走った。ミネアは唇を噛み、黙って痛みに耐えた。

「痛む?」

「……ええ」

「このまま動かないで。深く刺さった鱗を抜き取る瞬間、もっと痛みが強くなる。

あと少し、頑張れるかい?ミネアさん」

「はい」

ミネアが毅然と頷くと、背後でクリフトは「いい子だ」と囁いた。声音に日だまりのような温かさが滲んだ。

とあるいきさつあって、クリフトは仲間内で唯一、ミネアにだけは敬語を使わずに話す。ミネアはそれが嬉しくもあり、同時に切なくもあった。

彼の口にする言葉が好きだった。聖書に書かれた詩歌のような、裏表のない真直ぐな言葉が。どんな状況でもこれだけは正しいのだと無条件に信じられる、調律のぴたりと合った楽器の音色のような言葉。

それが、敬語という壁を取り払ってわたしだけに語りかけてくれる。まるで、仲の良い友人のように。気の合う親しい兄のように。

そう……、まるで、本当の妹に対するように。

胸がうずいた瞬間、瞼に赤い光が散った。喉が縮むような強い痛みが刹那走り、魔物の鱗はミネアの肌から這い出していた。

「頑張ったね。あとは、傷口をよく消毒すれば大丈夫だ。破片も残っていない。魔法は必要ないだろう」

忌々しい鱗を放り投げて地に返し、クリフトはこれで役目を終えたというように、ミネアからすっと腕を離して立ちあがった。

突然体を解放されたミネアは、重心の行き場を失って思わずよろめいた。だがクリフトはもう、それに気づいていなかった。

「馬車から消毒薬を取って来るよ」

「いえ」

ミネアも立ちあがった。

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。そのくらいは自分でやりますわ」

クリフトは真意を計るようにミネアの顔を見たが、頷いた。

「まだしばらくは痛む。傷口が化膿すると厄介だ。決して無理はしないようにね」

「わかりました」

「では、お大事に。ミネアさん」

クリフトはほほえみ、ミネアに背を向けた。その動作は優雅だったがきっぱりとしていて、少しの迷いも感じられなかった。

もう振り返ることはなく、歩きながら今度は他の仲間たちの様子にさりげなく視線を配っている。彼は天性の治癒者なのだ。終わった治療に固執しない。しかし治さねばならない傷には、何があっても固執する。

その彼が治癒者の仮面を脱ぎ、最後に向かう先など、見なくてもわかった。コバルトブルーの三角帽子を被った彼女が彼が戻って来たのを認め、顔じゅうを嬉しそうな笑顔にした。

とたんに謹厳な神官の生真面目な頬に、とまどいがちな血の色があざやかに昇った。

職務熱心な神の子供の最優先事項は、傷を癒すことだ。だが心の最優先事項は違う。だって彼は同時に、こんなにも人の子だ。身分違いのあるじに愚かにも深く恋をしている。

神より近くにいる。でも、決して手が届かない。

彼女と何を話しているのだろう。彼の横顔が白い歯を見せ、瞳を細めて笑った。

ミネアはぎゅっと手を丸め、遠くにある萌黄色の法衣をまとった広い背中を見つめた。まだ熱さをとどめる手のひらから、傷のせいだけではない鈍い痛みがじわじわと広がっていった。




−FIN−




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