導かれし者たちの短編

□ドラクエ4字書きさんに100のお題
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21・これ、誰のですか?


少年がはっと目を覚ますと、あたりは明るくなっていた。

頬にあたるサフラン色の毛布が、綿雪みたいに柔らかくて気持ちいい。蔦のように頭に絡みついて来る眠気に引き込まれてもう一度目を閉じると、耳のそばでさあさあと音がした。

……雨?

違う、これは……さあさあじゃない、じゅうじゅう、だ。

台所から聞こえて来る、何かを丹念に焼く音。

この匂いは、魚?それとも昨日獲ったばかりのヤマバトの肉?たっぷり振りかけたちぎりハーブが、塩胡椒と一緒に焦げる匂い。いい匂い。

料理を食べ終わったあと皿の底に残った、ハーブまじりの脂をパンで拭って食べると、びっくりするくらいうまいんだよな。

小さじ一杯ぶんの黄金色の脂に、おいしいエキスがぎゅっと詰まってる感じがする。時々、料理そのものよりうまいんじゃないか、っていうくらい。

そぼふる雨のようなじゅうじゅうという音は途切れ、やがてとんとんとん、という硬質な音に変わった。まな板の上のなにかを切る音。止まっては鳴り、鳴っては止まり、ずいぶんたどたどしい。

とんとん、とん。止まる。とん、とん。上手く続かない。もどかしくて、聞いてるこっちが代わってやりたくなる。料理を始めてもうだいぶ経つのに、どうして一向に上達しないんだ?

つっかえもっかえの「とんとん」の独奏は終わり、しばらくして今度はぱたぱた、と鳥の羽ばたきのような足音が床を叩いた。

足音はこっちに向かって来ず、隣の扉を開けて入って行く。浴室に繋がる小さな脱衣所だ。盥(たらい)の溜め水で洗濯を始めたのか、水音と一緒に甘い鼻歌が流れ出した。

ララ、ラ、ルルル

変ホ長調のこのメロディ、知ってる。きいろい朝日に照らされた森、寝ぼすけカケスはまだ夢の中……。「三番鳥が間違えた子守唄」だ。

子供の時、花畑に寝そべってよくふたりで歌った、大好きなフェアリーテイルの一小節。

あ、もう

ふと鼻歌がやみ、困ったようなひとりごとが聞こえた。

また、脱いだものをくしゃくしゃに丸めたまま突っ込んでるんだから

どうしてなおらないのかなあ

汚れた服はちゃんと皺を伸ばして籠に入れておいてね、っていつもあれほど言ってるのに

あー、この緑色のチュニカなんて、二本の腕が両方とも内側に入ったままだよ……まったくもう

どこの小さな子供が脱いだの?

これ、誰のですか?

ねえしわくちゃのお洋服さん、面倒くさがりなあなたのご主人さまはだあれ?





俺だ



少年は胸が疼くような幸福感に包まれて、ばっと頭の上まで毛布をかぶった。

柔らかくて温かな暗がりの中で、この涙が出そうなほどいとおしい想いが消えてしまわないうちに、いつものように、他の誰にも知られないように声に出さず心から祈った。

ベッドにもぐって行われる、少年の毎朝の秘密の日課。


おはよう、神様

もしもいるなら、どうかお願いします

今日もあいつが幸せでありますように

今日もあいつが幸せでありますように

あいつの毎日がいつも、花束みたいな笑顔に包まれていますように

もう二度と、あいつが哀しい思いをすることがありませんように


「こらー、いつまで寝てるの?」

扉が勢いをつけて開き、声が大きくなった。

「お日様があんなに高く昇って、もうお昼になっちゃうよ。わたしなんて朝ごはんの支度もお洗濯も、とっくに全部終わらせちゃったんだから」

「知ってる」

少年は毛布の中で組み合わせていた両手を離し、伸びをしてベッドからすべり降りた。

「おはよう。今朝は寝過ぎたな」

「こんな時間じゃおはよう、じゃなくておそよう、ですよーだ」

むくれた声がすぐに笑った。

「おはよう。いい天気だよ。あなたの元気なおはようを一番に聞けたから、今日も楽しいことがたくさんありそう。

と言っても、あなたのおはようを一番に聞くのは毎日のことだったね」

少年は黙って笑い返した。

おはようの挨拶を届けるのは、本当は彼女が一番じゃないことにほんの少し罪悪感を抱き、そのちくりとした痛みをそっと心の小箱にしまいながら、あくびをするふりで目に滲んだ涙を手の甲でこすった。

「腹減った。今日の朝飯、魚?それともヤマバト?」

「さあ、どっちでしょう。テーブルについてのお楽しみだよ。わたしもおなかすいちゃった。早く、一緒に食べよ」

少年と少女は優しさと嬉しさの入り混じったよく似たほほえみをかわし、手を繋いで部屋を出た。

香ばしい湯気を昇らせる朝食、水と泡と風と踊る洗濯物、あたたかくて柔らかな毛布、決して失いたくないたったひとつの笑顔。

いつかのどこか、あの日からずっと見えない神様がこの胸に住んでいることは、誰にも言わない俺だけの永遠の秘密。




−FIN−




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