導かれし者たちの短編

□ドラクエ4字書きさんに100のお題
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23・古い友人


古い友人に会いに行こう。突然そう思い立ったのに、とくに理由なんてなかった。

ただ、東の山の端を彩る朝日がいつもより濃い橙色をしていて、その光を背負って咲く金木犀の花の群れがまるで太陽が生んだ子供たちのように見えた時、思ったのだ。

自分にも子供がいる。時が過ぎていつのまにか、そんな年齢になった。

子供が子供を持つなんて馬鹿馬鹿しいわ、と皮肉を吐いては家族を得る恐怖から逃げていたのはいつの日の事やら、今では自分によく似た小さな分身が可愛くてたまらないのだから、月日が経つというのはまったく恐ろしいものだ。

「お母さん、どこへ行くの」

「んー、ちょっとね。昔の友達に会いに行くのよ。大丈夫、心配しないでお父さんと待ってて。すぐに帰って来るからさ」

奔放な母親の気ままな振る舞いにはもう慣れているのか、子供は聞き分けよく頷いて、お土産買って来てよね、と見送り際にちゃっかりねだるのも忘れなかった。

「ルーラ」

目を閉じて懐かしい移動呪文の聖句を唱えると、ざわっと血が逆流する感覚が体内を巡る。

長いこと封印していた記憶。第六感にうたた寝する海月のようにあやふやにたゆたっていた魔力の目覚め。そして、発動。

すぐに時空を越える浮遊感が襲って来たということは、これほどのブランクを経ても、身の内にたたえた魔法の力は少しも錆びついていなかったのだ。

それが嬉しくもあり、少し怖くもあった。
 
じゃああたし、今でもまだそこらの森ひとつ吹っ飛ばす大爆発を簡単に起こせるし、必要とあらばでっかい炎を吐く凶暴な竜にだって瞬時に変身出来ちゃう……ってことか。

うーん、そんな姿、出来れば可愛い坊やには一生見せたくないな。

母さんがじつはかつての世界の救世主で、魔法が使えるってことすら内緒にしておきたい。不思議なもんね。守るべき者があるから人は戦うんだとずっと思ってたけど、どうやらそれ、すこし違うみたい。

守るべき者が出来ると、人は戦いたくなくなるんだ。そんな血なまぐさい、恐ろしい場所にはさっさと背を向けて、大事な家族と安全な場所へ手に手を取りあって逃げだしたくなるんだ。

だって生きていたいもの。あの子を守りたい。でも、あの子のためならいつだって死ねるなんて言えない。そんな無責任なことは言えない。

あたし、もっともっと生きたい。今はまだほんの小さな、でもいつか必ず大きくなるあたしの宝物が手にする未来をこの目で見たい。それも、できる限り長い時間をかけて。近すぎない遠すぎない場所から。

目の前の敵を荒々しく倒すだけが、戦うって意味じゃないことを知った。
 
ただ、今を生きること。今と正面から向き合うこと。変わらない毎日を乗り切ること。それが、戦うこと。

「久し振りね。来たわよ」
 
鬱蒼とした森のそこ一点だけ突き出たような、祖国一面を見渡せる高い丘の上で眠ることを選んだのは、死してなお活き活きと脈打ち続ける彼の愛国心の表れだ。
 
ざわめく葉擦れの音が耳元で響き、前髪が額をさやさやと撫でた。いつ来ても、ここは心地良い風が吹き抜ける。無言の歓迎をされているのだ、と思う。来るたび安心する。

そしてしょっちゅう来ないことに、安心と同じだけ罪悪感も感じる。

だからわざと笑顔を作ると、五角形の白い墓標に向かって片目をつぶり、手にしていた葡萄酒の瓶をおどけるように振る。
 
「相変わらず雑草一本生えてなくて、完璧に手入れしてあるのね。きっと几帳面なクリフトの差し金なんだろうけど、いい心がけだわ。清潔なお墓って気持ちがいいものよ。
 
そ、見ての通り、残念ながら今回もあたしひとり。今年こそ坊やも連れて来ようと思ったけど、やっぱりそれだとゆっくり話せないし、飲めもしないからね。
 
それにがさつなマーニャの子だけあって行儀が悪いだの、礼儀がなっとらんだの、せっかくの久しぶりの再会に爺様お得意の小言を発揮されても困るし。
 
ま、飲んで。たまのお酒もあの世じゃ甘露でしょ。こんなこと、クリフトもアリーナもやっちゃくれないわよ」

あらかじめコルクを抜いておいた葡萄酒の瓶を、墓標の真上でくるりと逆さにひっくり返す。
 
中身がどっとあふれ、甘酸っぱい匂いと共に四角い大理石の表面に臙脂(えんじ)色の地図がみるみる広がる。臙脂色は下降し、流線を描いてつたい落ちてゆく。墓石に精緻に彫り込まれた文字のくぼみに、ながれ落ちる色鮮やかな液体がじわじわと溜まる。香り高い色彩を得た文字は途端に意味を持つ。
 
「偉大なる魔道師」「サントハイムの氷竜の杖」「ここに、やすらかに眠る」

「どう、さみしくない?がみがみお爺さん」
 
語りかけながらもう一度、墓石の頭頂に葡萄酒を盛大にかける。

「あの頃の仲間うちじゃまだ、誰ひとりそっちへ行ってあげられてないけど。ま、みんな爺様とは結構な歳の差があるんだからそりゃ仕方ないわよね。
 
だからって、まだ当分会いには行けないわよ。あたしも色々と忙しいの。母親なんて面倒なものになっちゃったし、踊りだって続けてるし、この美貌を保つため毎日こつこつ努力しなくちゃいけないし。

それに……たまにはみんなで集まって、旅の思い出でも語り合いながら思う存分騒ぎたいし」

長い爪で握りしめた酒瓶を艶やかな唇にあてがい、喉を反らせて勢いよくあおる。

「そう、じつは今度ね、何年ぶりかでみんなして集まることになったの。

クリフトにアリーナは勿論、ライアンもトルネコもミネアも……、それに自分からはろくに連絡して来やしないあいつも、なんと今回は山奥の村からシンシアさんと子供達を連れて来る予定なのよ!

ふっしぎよねえ……旅の始めは他人とまっすぐ目を合わせるのすら嫌がってたあいつが、今や立派に家族を持ってるっていうんだもの。

まあ、あたしも人のことは言えないけど。ねえお爺さん、人生ってさ、まるで中に色とりどりのビーズが詰まった万華鏡みたいだと思わない?

筒をくるりと回すだけで思いも寄らない模様に変わって、一秒先にどんな色が飛び出して来るかわからない」

物言わぬ大理石の墓標は黙していらえを返すことはなく、臙脂色の酒と太陽の日差しを浴びてただ静かに輝く。

ここでは、静けさはなによりの雄弁さの証だ。音のない返答に満足し、微笑んで殻になった瓶を地面に置くと、膝の土を払ってそっと立ち上がる。

「みんなで集まる前に、お爺さんに事前報告だけはしておきたかったんだ。なんじゃ、わしひとりだけ仲間外れか!なんて怒られたくないもんね。

よかったら、来てよ。一緒に騒ぎましょうよ。もう持病の腰痛からもすっかり解放されて、風に乗っていつでもどこでも好きなところへひとっ飛びでしょ。

あたし、調子がいいのかな。旅の間はあんなにいがみあってたのに、あなたに会えなくなってから、なんだかすごく好きだったような気がしてるよ。

父さんしかいなかったあたしにとって本当のお爺ちゃんみたいで、怒られてもすごく嬉しかったような気がしてるよ。

自分もあなたみたいに、間違いは間違いだってきちんと言葉で伝えられる人間になりたいと思ってるよ。これでも一応、あたしも母親だからね。

……じゃあ、行くね。またそのうち来るわ。いつになるかはわからないけど」

ひらひら、と手を振って背中を向け、歩き出す。墓標の目の前で呪文を唱えるのは敬意を欠いているような気がして、かかとの高い靴で巧妙にバランスを取りながら、勾配のきつい丘を滑るように降りて行く。

古い友人はあたしの気まぐれなひとり語りに、いつだってなんの返答もしない。

ミネアと違ってあたしには霊感なんてないから、そこに佇むかの人の気配やなつかしい息吹を、わずかなりとも感じ取ることは出来ない。

でも、まっさらな新しい気持ちをくれる。どうしてここに来るだけでこんなに清々しくて、胸にたまったごちゃごちゃしたものを全部洗われたような気になるんだろう。あたしはお爺さんのためにここに来てるんじゃない。きっと、自分のために来てるんだ。

それでも、ちょっとは喜んでくれてるわよね。お酒だって決して嫌いじゃなかったし、見かけによらずじつはうんと人好きだったもの。

お説教するていを装って、いつも仲間全員の後をせっせと追い回してた。怒ってるふりして誰よりも仲間思いだった。あたし、ちゃんと知ってたんだから。ばれてたんだからね、がみがみお爺さん。

「さよなら、またね!」

移動呪文の聖句を唱え、襲い来る血の逆流に身を任せた。次ここに来るのは果たしていつになるだろう。

多分また、突然思い立った時だ。理由なんてない。ふと会いたくなる。ふと思い出す。あの白い髭と、皺だらけのしかめっ面。もう二度と逢えない。でもそれは風が吹くように花が咲くように、生きているうちに目にするごく当たり前のひとつの出来事。

「あ、お土産」

買うの忘れた、と気づいた時、体はもう我が家の前にあった。

便利すぎる魔法も考えものだ、と頭を掻きながら、ため息をついて丸めた拳で扉を叩く。中から幼い声で「はーい」と返事がする。

手ぶらで帰って来たことに、坊やはきっとすねるだろうな。まあいいか。母さん、無事に戻ったんだもの。それがなによりの土産でしょ?その代わり、今夜は腕によりをかけたごちそうを作ってあげる。

古い友人とのごく短い逢瀬を終えて、生きてるあたしは扉の向こうのいつもの暮らしに今日も戻って行く。

永遠に続くようで、終わりのある日々。だから大切に、大切に。

あなたが教えてくれたんだよ、口うるさくってとびきり優しい、サントハイムの白髭の魔法使い。


「ただいまー。ごめんね、遅くなっちゃって。いい子にしてた?

ちょっともう、なによこの部屋の散らかりようは!ほらほら、今すぐ片付けなさーい!」




ーFINー




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