導かれし者たちの短編

□ドラクエ4字書きさんに100のお題・2
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56・顔も見たくない


「顔も見たくないわ」


鳥歌い楽器の音色舞い、街じゅうに祝賀の歓声あふれた十日十晩にも及ぶ豪華絢爛な婚礼が終わった夜。

皆さんざ飲み、踊り、しまいにはすっかり疲れて、鮮やかな五色の薔薇の花弁と無造作に酒樽の転がるくすんだ大理石の床に、折り重なるようにして眠っている。

燭台の灯かりがすべて落とされ、異様なほど暗くなったサントハイム王城の大広間の端で、その言葉は悲しげに放たれた。

「お前の顔なんて、もう見たくない」

クリフトは黙って唇を噛んだ。

婚礼が終わってやっと耳にした彼女のひとことは、こんなことになってもまだおめおめと動き続けている、愚かな心臓を射抜く裁きのかぶら矢だった。

真正面に立ってこちらを睨んでいる、彼女をどうしても見ることが出来ない。

身にまとうのは、王室御用達の職人の手仕事によるきめ細かなレースをふんだんにあしらった、目もあやな純白のドレス。なめらかなデコルテを飾る豪奢なダイアモンドのネックレス。愛らしい巻き毛に編み込まれた色とりどりの花々。あたりに漂う馥郁(ふくいく)たる芳香。

匂い立つようなあでやかさ。これまででいちばん女らしく、可憐だ。

他の男の花嫁となって初めて気づいた。彼女がこれほどまでに美しかったことを。

「わたし、これから新婚の夫が待つ寝室に向かうのよ。それがどういう意味かわかっているの」

彼女は繻子の手袋に包まれた手を差し出した。クリフトは苦しげにあえぎながらその手を取った。

「アリーナ様」

「お前が神の御名において、この手に聖婚の祝福をもたらしたの。高名なる大神官クリフト猊下(げいか)」

「では、他にどうすればよかったと言うのです」

クリフトは真っ青になって慟哭した。

「国王陛下がわたしを御指名なさったのですよ。貴女様の婚礼のすべてを、このわたしに取りしきれと。おそらくその苦しみを以ってして、いいかげん貴女様への想いを断てと暗に厳命したおつもりなのでしょう。

わたしにはどうすることも出来ない。貴女様が幸せにおなりになることを、ただ祈るしか」

「幸せに?」

アリーナはうつろに繰り返した。

「お前以外の人の物になって、わたしが本当に幸せだとでも思っているの?」

クリフトはついに顔を上げ、アリーナを狂おしい目で凝視した。

「いや、見ないで。きらいよ。クリフトなんて」

アリーナが顔をそむける。表情の抜け落ちた鳶色の瞳から、つうと涙がこぼれ落ちた。

「こっちを見ないで。こんな格好も……きらい。大きらい。いくじなしの弱虫。クリフトの馬鹿。

お前の顔なんてもう、二度と見たくないんだから」

「姫様……!」

クリフトは弾かれたようにアリーナを引きよせ、激しくかき抱いた。

「好きだ」

「もう、遅いわ」

「お慕いしています。生涯でただひとり、貴女様だけを心から愛して参りました。

初めて出会った時から、この命のすべてを賭けて」

「じゃあ、このままわたしを連れ去ってよ」

アリーナはおとがいを震わせながら言い放った。

「本当に命のすべてを賭けられるなら、なにもかも捨てて今すぐわたしを手に入れてよ。

サントハイムの王女として命じるわ。神官クリフト、ここからわたしを連れて逃げなさい」

クリフトは魅入られたように頷いた。

アリーナを横抱きにかかえ上げ、驚くほど身軽な動作で駆けだす。祝祭中施錠されていなかった裏門は、押すだけでごくたやすく開いた。酔い潰れた衛兵は槍を担いだまま柱にもたれて船を漕いでいる。

憑かれたように走るクリフトの腕や肩に、刺だらけの茨が絡みついて傷を作った。だが彼はひとたびも足を止めようとはしなかった。

切れたほほに薔薇のような紅い血がにじんだことも気づかず、子供の頃から愛し続けた王女を胸に抱いて、彼はただひたすら遠くを目指して逃げた。

王城を出、平原を駆け続け、テンペからさらに東に下った森の奥まで辿り着くと、ようやくクリフトはアリーナを腕から降ろしてそっと大樹にもたせかけた。

「こんなドレスは嫌い。早く脱いでしまいたいの」

でもそれを着ている貴女は、こんなにも綺麗なのに。なぜこうなってしまったのだろう。遅かった。あまりにも、すべてに気づくのが遅すぎた。

クリフトははらはらと涙をこぼしながら、アリーナを抱きしめてドレスを肩からすべり落とした。

どうしてだろうか、悲しくて悲しくて仕方がなかった。それなのに、幸せでたまらなかった。あらわになった彼女の肌に性急に唇を寄せると、遠くから衛兵たちの足音と鎧がぶつかり合う音がかすかに聞こえて来る。

「わたし、ずっとあなたのものになりたかったんだよ。クリフト」

夢中でなにも気づかないのか、アリーナは嬉しそうに両腕をクリフトの首に回す。真っ白なドレスはあっというまに土ぼこりにまみれ、もつれ合うふたりの身体に踏みしだかれてもはや原形をとどめていない。

足音は次第に近づいて来る。クリフトの震える手が、アリーナの両膝を柔らかく押し開いた。重ねた唇のすき間からなにごとかがささやかれ、そのたびにアリーナは頷きながらクリフトの背中に強くしがみついた。

体と体が波打つたび、冬枯れの琥珀色の木の葉がいくつもふたりの上に降り落ちる。

最期のその瞬間、クリフトは大きく息をついて弓のように胸を反らせ、愛していますとうわごとのように繰り返した。アリーナの唇から声にならない叫びがこぼれる。

足音は、もうすぐそこまで迫って来ていた。



―FIN―




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