導かれし者たちの短編

□ドラクエ4字書きさんに100のお題・2
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47・勇者様


「勇者様」

返事をとくに待っているわけでもない歌うような調子で、その単語はささやかれた。

「勇者様。わたしの。

ゆ、う、しゃ、さ、ま」

「んだよ」

だが呼ばれたほうの人間は敏感に反応し、あからさまに嫌な顔をした。

「お前まで止めろ。その呼び方、嫌いだって言っただろ」

「そっか。ごめんなさい」

「それに、俺はもう勇者じゃない。役目は終わったんだ。とっくに」

呼ばれた者――それはとても美しい翡翠色の髪と瞳をした、二十歳前後の若者だった――は、少し考えるように宙を見つめてから言った。

「つまり、元・勇者だ」

「そうだね。ごめんね」

細くとがった耳をした、こでまりのように愛らしい精霊の少女はすまなそうに舌を出した。若者は黙って肩をすくめ、言葉を出さず理解の意思表示をしてみせた。

風は柔らかくそよぎ、無造作に肩先に流れ落ちた若者のなめらかな髪を撫でる。咲き誇る春の花畑に、ふたりは一対のさくらんぼのように寄り添って横たわっている。

花々のむせかえるような甘い香りが辺りを包む。鳥は豊かにさえずり、空はどこまでも青い。言葉が途切れたとたん、なにかの承認のようにそっとふたりの唇が重なる。

山奥の村は静かだった。

「でも、一度呼んでみたかったの。勇者様って」

少女は唇を離し、若者の前髪をかきわけて額に触れながら言った。

「わたしのいない間に、外の世界で出来たあなたのたくさんのお友達、今でもみんなあなたをそう呼ぶわ」

「旅してる時ずっと呼んでたから、癖になってるんだろ」

勇者と呼ばれた若者は、目を閉じた。桜色をした一枚の花びらがどこからか飛んで来て、ひら、と頬に落ちかかった。

「勇者なんて呼び名、ただの記号だ。時が経ったら、今度は俺じゃないどこかの誰かがそう呼ばれる。

ずっと使い回されるんだ。俺の番はもう終わった」

「もしもそうだとしても、とても素敵な記号だよ」

少女は目を閉じたままでいる若者の頬を両手で包んだ。

「いいな。みんなが羨ましい。わたしも勇者だったあなたと旅してみたかったな」

お前はちゃんと旅してたぞ、俺といつも一緒に。

若者は心の中でこっそりと呟くと、いかにも億劫そうな振りをしてのろのろと瞳を開いた。

「駄目だ」

「えっ、どうして」

「お前には呼んで欲しくない。勇者様なんて」

若者は花の群れの中から腕を伸ばして少女を抱き寄せ、まるでか弱い小鳥を守るかのように、ひどく大事そうに胸の中に押し込めた。

「俺には俺の名前がある」

「うん、知ってる」

少女はうっとりと呟いた。

「世界で一番きれいな、この世で一番大好きな名前だもの」

若者は照れくさそうにそっぽを向いた。耳元で少女が名を呼ぶ。過去も未来も、彼のすべてがそこに凝縮されているような、ごく短くて美しい名前だ。

まだ生まれたての頃、いずれ勇者様と呼ばれるであろう彼の幸福を心から願って名付けられた。

「ねえ、もう一度キスしてもいい?」

少女が若者を見上げた。若者は不思議そうにまばたきした。さっきは聞かなかったのに、なんで二度目は聞くんだ?

その時、気付いた。ああ、そうだ。きっと彼女も俺に名前を呼んでほしいのだ。

深い、深い愛を込めて授けられた名前という刻印。その命が尽きるまで何百度も何千度も大切に呼ばれ続ける。

「いいよ、シンシア」

ふたりの唇がまた重なる。ほほえみながら交わした吐息が同じ温度で頬をあたため、重なる手のひらが組み合わさった瞬間、太陽を向いたいくつもの花が、揺れた。



―FIN―




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