勇シン短編1

□子守りをやってみよう
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おんぎゃああ、おんぎゃあああ。


泣く、泣く、泣く。

赤ん坊は泣くのが仕事だ、となにかの本に書いてあったが、だとしたら自分の仕事にこれほど忠実な人間もいないだろう。

顔を真っ赤にし、小さな拳をぎゅっと握りしめ、全身全霊の力を振り絞って泣いている。

(このまま泣き続けたら、血管、切れちまうんじゃないのか……)

寝台の真ん中に横たえられた、小さな赤ん坊を不安げに覗き込む人影は、いっそ自分のほうが泣きだせたらとばかりに、途方に暮れた顔をした。









〜子守りをやってみよう〜











「わたしたちの赤ちゃんが生まれてから、ちょうど一ヶ月経ったでしょ。

クリフトさんが、わたしの身体の具合を診てくれるっていうの。赤ちゃんを生んだあとのお母さんが体調を整えることは、とっても大事なんですって。

アリーナさんにも会いたいし、今日一日、キメラの翼でサントハイムのお城へ行って来るね」

「べつに、……いいけどさ」

恋人、いや、今では大切な妻となったシンシアにそう言われ、例によってべつによさそうではない返答をかえしたのは、かつて天空の勇者と呼ばれた少年だった。

誰に名付けられたのか、神話の女神が口ずさむ歌のようなうつくしい名前を持つ、まだ若いこの世界の救世主。

既に過去となった長い旅の日々より幾年か歳を重ね、このところまた少し身長が伸び、すでに成長過程の少年の殻はほとんど脱している。

だが愛する伴侶が千年を生きる精霊エルフなせいか、もしくは自身が天空びとと人間の混血のせいか、憂いを帯びた緑色のまなざしには年齢を超越した透明感が漂い、

その抜きん出た美貌もあいまって、少年を幼さと精悍さのはざまに漂う、不思議なたたずまいの若者に見せていた。

仲間たちと世界を巡った懐かしい冒険時代より、ひときわ凛々しさを増した顔をむっつりとしかめ、なにか言いたそうにしたが思い直して首をこくりと縦に振る。

「行って来いよ。この一ヶ月、ずっと家にこもって赤ん坊の面倒ばかり見てたもんな。気晴らしがてらゆっくりして来るといい。

それにしても、身体の具合を見るだなんて気色悪い言い方をする奴だ。あの変態神官。

聖職者の分際でもしもお前におかしなことしたら、ただじゃおかねえ」

「もう!またそんな言い方をして」

シンシアは困ったようにたしなめた。

「あなたはすぐクリフトさんの優しさに甘えて、手のかかる弟みたいになにかと突っかかるんだから。

わたしはエルフだし、あなたも半分天空びとの血が流れているから、ごく普通の街のお医者様にはかかれないでしょう。

こうしてクリフトさんがなにかと体調を気にかけてくれることは、とてもありがたいことなのよ。わかってる?」

「……わかってるよ」

「じゃあ、行って来るね。暗くならないうちに帰って来るからね。

少しの間だけ、赤ちゃんのことをお願いね」

人間に狙われるエルフであるがゆえ、めったに村の外に出られないシンシアにとって、気兼ねなく接してくれるアリーナとクリフトのいるサントハイム城へ出向くのは、なによりも楽しみなことであるらしかった。

久し振りの外出の喜びに、いつまでたってもあどけなさの抜けない頬を紅潮させ、彼女は大急ぎで留守番役の夫に頼みたいことの指示を始めた。

「ええと、赤ちゃんのミルクは棚の中だよ。

お腹をすかせてぐずったら、テーブルの上に置いてある哺乳瓶でひと瓶ぶんずつあげてね。

おむつの布は、寝室の箪笥の引き出し。汚れた布はお風呂場の桶に入れて、石鹸を溶いたお水につけておいてね。

それと、あなたのごはんは台所のお鍋に……」

「俺は大丈夫だ。早く行って来い」

勇者の少年はシンシアを急かすように言った。

「だいぶ前、お前が風邪をひいて寝込んだ時だって、洗濯も掃除も自分でちゃんと出来ただろ。

赤ん坊の子守りくらい、ひとりで平気だ。だって俺は……」


父親なんだぞ。


……とは、言えなかった。

なにげなくさらっと口にしてみたかったのに、いざ言おうとすると、喉に熱い何かがつっかえたみたいにものすごく恥ずかしい。

でも、一度くらい胸を張って言ってみたい。

なにも大袈裟な嘘をついているわけじゃない、俺が父親。それこそまぎれもない真実なのだから。

「じゃあ、ごめんね。行って来るね」

勇者の少年の内心の葛藤に気付いているのかいないのか、シンシアはひどく嬉しそうに浮き立ち、「お留守番、お願いします」とぺこりとお辞儀した。

エルフ特有の長く尖った耳を、麻生地のショールで注意深く包んで隠すと、キメラの翼を放り投げて虚空へと姿を消す。

人型の残像が完全に消える。

そして母親はいなくなった。

天空の勇者の少年とそのひとり息子である赤ん坊は、人生初の父と子、ふたりきりになった。
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