勇シン短編1

□天空の勇者の憂い
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かつてこの世界を救った、天空の勇者と呼ばれる年若い少年英雄。

己れの人生の一時を犠牲にしてこの世を救った、彼は今どこでどうしているのか、知るものはもう誰もいないのだろうか。






ある日のブランカ王国北部、山奥の村。

一日は終わり、眠りを忘れた蝉が一匹、窓の向こうの闇の中で絶え間なく鳴いているのを除けば、その夜もおおむね静かだった。

間もなくすればまた東の山稜は茜に染まり、真新しい朝がやって来る。

だが勇者と呼ばれた緑色の目の少年は一睡も出来ぬまま、もう何時間も前から枕にぎゅっと顔を押し付けては、苦しげな寝返りを繰り返していた。

その理由はひとつ。

隣でぐっすり眠ったシンシアが、この暑さのせいか、なぜかいつのまにか綺麗に服を脱いでしまっているのだ。

折しも季節は夏。

今年の夏は特に暑い。

ここは辺鄙な田舎の隠れ里で、ひと晩じゅう小姓が団扇であおいでくれるお城でもなければ、地下の氷室から氷を運んで寝床に敷いて眠るような金持ちの屋敷でもない。

暑ければ脱ぐしかない。それはしごく単純かつ正当な理由で、本能的にそれに従ったシンシアに何の落ち度もない。

それにもともと、シンシアは昔から薄着な子供だった。大地と共に生きる精霊エルフには、気候に逆らうように厚着をする、という考えがそもそもないのかもしれない。

だから悪いのは全部自分なのだ。

こんな何でもないことで、爪の先までぴりぴりするほど我れを失いそうになってしまう自分。

いっそ気づかなければ、なにも知らずに朝まで眠っていられたのに……、と、勇者の少年はぎゅっと目を閉じ、水を飲もうとうっかり起きてしまった己れを深く恨んだ。

子供の頃からの変わらぬ習慣で、今夜も二粒のさくらんぼのようにぴたりと寄り添って眠ったが、さすがに真夏の夜はくっついていると暑く、途中で目が醒めてしまったのだ。

寝ぼけまなこで起き上がり、枕元のテーブルの水差しから行儀悪く直接水を飲むと、何気なく傍らのシンシアに視線をやって、勇者の少年は口に入れた水をぶーっと全部吹いた。

(な、な、な……)

なんでなにも着てねーんだ!

おおっ、起きぬけから願ってもないシチュエーション。据え膳食わぬは男の恥、せっかくなのでここは遠慮なく……!!

と、目を輝かせて突然のハプニングを心ゆくまで楽しむなんてアグレッシブな冒険心、残念ながら自分はこれっぽっちも持ち合わせていない。

薄暗がりの中、ひとりで動揺しまくってベッドから落ちそうになり、焦ってよじのぼると大慌てで裸ですやすやと眠るシンシアに背を向けた。

瞳の奥に、たった今見たうつくしい白肌の残像が焼きつく。丸めた身体の中で、心臓が暴れ狂っている。

シンシアの生まれたままの姿を見るのは、別にこれが初めてというわけではない。子供の頃は毎日一緒に風呂に入っていたし、じつはこないだだって、どういうわけか話の流れで一緒に入った。

彼女の肌のぬくもりや香りも、もうちゃんと知っている。だからいつまでたってもこんなにどきどきするのは、本当はおかしいのかもしれない。

互いのすべてを知りつくした恋人同士、もっと泰然自若と構えて、服を着ていない彼女に「風邪引くぞ」と羽根布団くらいかけてやるのが、大人の男の優しさというものなのかもしれない。

(根暗助平野郎のクリフトなら余裕で出来るのかもしれねえけど、俺には無理だ)

剣と魔法の腕はレベル99でも、そっちの方はまだまだ見習い勇者。

何度肌を触れ合わせても、いまだにそのさなかに真正面から彼女の顔を見ることが出来ず、うわごとのように自分の名前を呼ぶシンシアのとろんとした目と目があった瞬間、頭の回路が毎回吹っ飛びそうになるというのに。

一糸まとわず眠る彼女を隣で鷹揚に見守るなんて芸当、未熟者の自分にはきっと、あと五年くらい経験と修行を積まなければ無理だ。

勇者の少年は恐る恐る寝返りを打ち、うつぶせて枕に顔を押しつけながら、片目だけでちらっとシンシアの方を見た。(片目が、彼の勇気の精いっぱいだった)

あどけない寝顔の可愛さと、アンバランスな肢体の妖艶さに息を飲み、慌てて枕で視界を遮断する。

衣服をまとっていないシンシアのうつくしさは、まさに神に愛された至上の妖精だ。

(……ちくしょ)


めちゃくちゃ、きれいだ。

世界でいちばん。

俺、こいつがすごく好きだ。




……だから、



触れたい。





途端に、みぞおちから突き上げるような、手に負えない獰猛な感情が暴れ狂う。

こらえかねた勇者の少年はついに我れを忘れ、飢えた虎のように愛するシンシアの裸身にがばっと飛び付いた……、

わけではなかった。

「○×△☆□$ーーーっ!!!」

枕に顔に固く押し付け、隙間から洩れる声を完全に封鎖して、喉も枯れよとなにかを叫ぶ。

「□○△×、●$▽☆やがったら、

$♪◎●×□たくなるだろーーーーっ!!」

瞬時にぴかっと夜空に雷鳴が轟き、窓の向こうにどーんと雷が落ちた。

勇者の少年は一時間に渡って枕に顔を押し付けたまま、憑かれたようになにかを叫び続け、その間絶えずギガデインの巨大な雷が、山奥の村の大地を焦がした。

そしてある瞬間、雷鳴がぴたりと止んだ。

少年は身体じゅうの気力という気力を使い果たしてぐったりと突っ伏し、なにも気づかず眠り続けるシンシアの傍らで、青ざめてようやっと眠りについていた。

若く健やかな身体にたたえられたMPの残量は、0だった。






それから毎年、ブランカの山奥では夏になると満天の星降る真夜中に、原因不明の謎の稲光が幾度も落ちたという。

不思議な不思議な異常気象。

人々は首をひねりつつその奇妙な現象を、かつて偉大なる雷の力を操り、この世界を救ったかの英雄の名になぞらえて、「天空の勇者の憂い」と呼んだ。

己れの人生の一時を犠牲にしてこの世界を救った、年若い少年英雄が今どこでどうしているのか、知るものは誰もいない。




だが、皆こう信じている。




きっと彼は今、幸せでいるだろう……、と。





−FIN−





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