勇シン短編1

□未来絵図U
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鬱蒼と伸びた茂みから昇る濃い草いきれが、雲をもあざむく白い肌を覆う。

未だ暑さの去らぬ、夏の終わり。

健やかな若葉の群れの間に実る蜜柑が、陽光を受けてフローライトの色に光る。

こめかみから透明な汗が流れ落ちるのも気にせず、精霊エルフ族と同じ長い耳をした子供は、懸命に背伸びして梢に手を伸ばした。

「んしょ、よいしょ……、

やったあ!取れた!」

自分の顔ほどもある、大きくて丸い果実を幹からもぎ取ると、瞳を輝かせて後ろを振り返る。

「ねえお父さん、これ、まだ青いけど食べられるかな?」

「へたの周りが黄色くなっていればいい。幹で実を叩けば、中の繊維が割れて甘くなる」

「ふうん。こう?」

小さな子供は神妙な顔で片手に果実を掴むと、ぎこちない動作でとんとんと幹を小突いた。

後ろに立っているすらりとした体躯の人物の口元が、ふっとほころんだ。

「力が足りないな。こうだ」

ふっくらした手の甲に、しなやかに引き締まった手が重なる。

次の瞬間力強く果実は幹を叩き、辺りいちめん甘酸っぱい柑橘の香りが立ち込めた。

「うーん!素敵。おいしそうな匂い」

子供は嬉しそうに鼻をひくつかせた。

「でもやっぱり、これでもまだ酸っぱいんじゃないかなあ」

「そのまま食べるんじゃないから大丈夫だ。それに、確かこれはお前のものじゃないはずだが」

諭すようなその言葉に、長い耳をした子供が、緑色の大きな瞳をぱちぱちしばたたかせる。

「あ、そうか。ぼくはこれを食べるんじゃなくて、蜂蜜漬けにする役だった」

「そうだ。もう長いこと重い体で頑張ってるお前の母さんに、たっぷり栄養をつけさせてあげるんだろ。

お前もあと少しで、兄貴なんだからな」

「う、うん。お母さん、あんなに細くて、とってもおなか重たそうだもんね」

ヒワのさえずりのような声が照れくさげに途切れ、小さな指が父親の腕を引っ張った。

「……ねえ、お父さん」

「なんだ」

「ほんとなの、お母さんのおなかで眠ってる赤ちゃんがふたりだって。

お父さんのお友達だっていう、あのサントハイムの背の高い王様は、お医者さまじゃないのにどうしてそんなことがわかるの。

まるで魔法の目を持ってるみたいに、おなかの中が透けて見えるのかな」

「魔法の目か。案外そうかもしれないな。なんせあいつの渾名は、神の子供だ」

「えっ、神さまの子供?すごい。それって天使?」

小さな子供は驚いて地面を跳びはねた。

「あの蒼い目の王様のお兄ちゃんは羽根も生えていないのに、天使なの?

じゃあ一緒にいたひまわりみたいな笑顔のお姉ちゃんも、もしかして天使の仲間?」

「さあ、どうだろうな。古い伝説には、守護天使が世界を守っているという言い伝えもあるようだが、なにも羽根だけが目に見えないものだとは限らないさ。

その証拠に、お前の背中にも羽根があるぞ。どこに飛ぶのかわからない、たんぽぽの綿毛みたいな羽根が」

抑えた声にかすかな笑みが混じると、子供が腰に挿した剣の鞘を指さす。

「さあ、そろそろお喋りの時間は終わりだ。さっさとその蜜柑を家に置いて来い。

これから夕刻まで剣の稽古をする」

「えーっ、今日も?嫌だなあ。ぼく、まだ遊んでいたいよ」

「甘ったれるな」

声はがらりと厳しくなって、子供と同じ色をした瞳が鋭い光を滲ませた。

「いつも言ってるだろ。誰がお前の母さんを守るんだ?

俺と、お前の母さんの命の時間は違う。俺はこの身体に入ったままで、ずっと母さんを守っていられるわけじゃない。

お前は誰よりも強くなって、世界中のなにもかもから母さんを守れるようにならなくちゃならない。

俺が出来なかったことだ。そしてこれからも、出来ない」

「わかってるよ。ぼくは天空のユーシャの子供だもん。責任重大なんだよね」

子供は大人びた仕草でおどけるように肩をすくめてみせ、すぐに笑った。

「ぼくのぜんぶでお母さんを守る。でもそれ以上に、お父さんを守らなきゃならないんだよ、ぼくは」

子供を見つめる緑の目が、ふと困惑したように揺れた。

「……俺を?」

「うん。お母さんはいつも言ってるよ。

坊や、わたしといっしょにお父さんのことを守って。

そして悲しまないで、どうか覚えておいて、って。

お母さんとお父さんに与えられた命の長さが違うのは、正しいことなんだって。

お父さんはもう決して、ひとりで残されてはいけない人なんだって。

だからお母さんがお父さんを見送るのは、神さまが与えてくれた、世界でいちばん幸せなプレゼントなんだって。

ぼくにはよくわかんなかったけど、どういう意味かなあ」

「……さあな」

低い声がごくわずかに震えたが、子供はそれには気付かなかった。

「さあ、早く蜜柑を置いて来い。ここで待ってるから、皮をむいて皿に分けて来るといい」

「うん!おかあさんに見つからないように、こっそり家に入るよ。蜂蜜は棚の上から三番目だったよね」

「ああ。……でも」

子供の頭を撫でた手が、つと自らの左耳に触れた。

己れの運命を穿った、天空の青より深いブルーサファイアのピアス。愛してやまない彼女がくれたもの。



(ねえ、大好きだよ)


(わたしたち、ずっといっしょだよ)


(もしもこの身体を失くしても、星の海で必ずあなたを見つける)


(あなたは異端じゃない。奇跡なの)


(あなたはわたしで、わたしはあなただから)





どんなに願っても重ねられない命の時間の向こうにあるのは、とこしえに失われない愛。

それを教えてくれたのは、もう失くしたものと、今ここにあるもの。



見えない永遠なら、俺の手の中にちゃんとある。



「やっぱり蜂蜜じゃなくて、砂糖カエデの樹液にしてくれないか。俺とお前の母さんは、そっちの方が好きなんだ。

俺たちはいつも、耐える。

たえるこころが本当に大事なものを教えてくれる。

お前にその味を教えるのが正しいのかどうか、俺にはわからない。

でも、ただひとつ言えることは……苦いの後の甘いはなにより、



幸せ、だ」








−FIN−





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