遺志

□遺志
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〜遺志〜




其の壱・発端





その日、陽光がすっかり西に傾く頃、彼は急ぎ足で家路を戻って来た。

かつて勇者と呼ばれた少年は月に一度、住まいである山奥の村から南東のブランカ城市に、独り出向く。

愛用のククリナイフ一本で手づから作った木彫りの靴や人形、笛に首飾り。

形の大きなものは椅子や机や箪笥、時に木剣や盾まで、依頼されて拵えたものや気の向くままに作った木工芸品、すべてを売りに行くためだ。

天性の器用さで請われたものはなんでも作ってしまう、卓越した木彫りの腕前。

誰も知らぬ山奥でひっそりと生きる自分が持つ、唯一の食い扶持稼ぎの技。

たとえ救世の勇者として全世界にその名を知らしめたとしても、形なき栄光と名声だけを糧に、いつまでも安穏と暮らして行けるわけじゃない。

特に自分は平和が戻った後、爆発的に噴出した歓喜の大波から逃げるように背を向け、

招かれた世界各国の祝祭になにひとつ列席せずさっさと村に引っ込んで、幼馴染みのエルフの少女とふたり、隠居のような生活を始めてしまったのだ。

反りが合わず、旅の間じゅういがみ合い続けたモンバーバラの踊り子マーニャに、「世界を平和にするだけしたら、まともな正体も明かさずどろんと消える。

まるで仙人ね、あんた」と揶揄されたのも、あながち間違いではなかったのかもしれなかった。

だが彼は、今の暮らしに満足していた。

大切な存在のぬくもりを確かめながら目覚め、三度の食事を彼女と共に摂る。

自らの手で生計を支え、多くを持たぬ慎ましやかな暮らしに身を置いて、喪われた魂を悼み墓標を守って静かに生きて行く。

それでよかったのだ。

だからこんなことになってまず混乱したのは、他ならぬ少年自身だった。


彼を襲ったある日の事件。





「全部で五百ゴールド、それでいいかい」

もう顔なじみになった、ブランカのよろず屋の主人が上げた胴間声に、少年は美しい眉をかすかにしかめた。

「同じ数で、こないだは六百ゴールドだったはずだ」

「そうだったかね?だが五百ゴールド、これ以上は出せないよ」

主人は田舎の商人らしい狡猾さに欠けた笑顔を浮かべて、すまなそうに言った。

「なあ、この笛も腕輪も作ってるのはあんた本人だったね」

「ああ」

「悪いことは言わない。こんな田舎の城下町じゃなく、さっさとエンドールの都にでも売りに出るんだ。

はっきり言うが、あんたの腕は目玉が飛び出るくらい素晴らしい。

作る品すべてが正確無比に左右対称、笛は一分の音程の狂いもなく、樫材の腕輪と来たらそこらの青銅製よりもつやつや美しいときたもんだ。

だが残念なことにね、こんな雛里にゃその価値を理解出来るような目利きはいないんだよ。

この街じゃせっかくの優れた笛も腕輪も、せいぜい子供たちの娯楽と、貧しい恋人達の精一杯のお洒落に使われるくらいのもんさ。

見たところあんたはまだ若い。きちんと修業を積めば、今に世界に名を轟かす彫刻家になるだろう。

こんな田舎町は見限って、都会で思う存分才能を花開かせるがいいよ。

大体あんたいつもここに来るけど、一体どこに住んでるんだい?この城市近郊に人が住む村なんて……あ、ちょっと!」

「五百でいい。ありがとな。次もまた頼む」

遮るように言ってしわくちゃの札を掴むと、少年はくるりと踵を返した。

目立ちすぎる容姿を隠すため、頭からすっぽり被っていた皮のマントを、もう一度引っ張って被りなおす。

(急がないと)

雨上がりだったせいもあり、往路をいつもよりゆっくり歩いたら、こんなに時間を食ってしまった。

西日が街を囲う花崗岩の壁を、美しい茜色に染め上げる。

今頃彼女は、ようやく慣れて来たがまだたどたどしい手つきで、自分のための夕食を作っている頃だろう。

シンシア。

彼の生きる理由―――今となっては命そのもののような、かけがえのない存在だった。
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