勇シン長編

□あの日出会ったあの勇者
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「俺に何か用か」


恐らくこの緑色の目をした美しい若者の気性には、物怖じとか気遅れといった婉曲な感情が存在していないのに違いない。

視線で相手の心の全てを見抜こうとするかのように、突然話しかけて来たライを正面から見つめ返す。フードを外してあらわにしたまなざしは意外にも鋭く、呼びとめられた時に浮かんだ困惑の色も既に消えていた。

艶やかな髪の隙間で、左耳だけに嵌めている蒼いピアスが雨を浴びてきらりと光っている。

「……」

ライが黙りこくっていると、若者は眉をひそめ、踵を返して歩きだそうとした。

「ま、待って!お願いだ!」

「だから、何だ。何の用だ」

再び振り返って、じろりと睨みつけて来る。どうやら麗しい美貌とは裏腹に、性格はずいぶんと剣呑なようだ。

「お……、お兄さんさ」

ライは懸命に言った。

「びっくりするくらい綺麗な顔をしてるけど、この街の人間じゃないね。

もしかして、旅の役者さんかなにかかい。エンドールの都から興行披露にやって来た、大きな一座の団員さん?それとも、歌を作って世界を巡る吟遊詩人?

お願いだよ。俺も一緒に連れて行ってくれないか。今すぐ働きたいんだ。なんでもやる。

俺……ひとりで生きていくための仕事が欲しいんだ!」

一気に言いたてると、はあっと息をつく。耳のそばで心臓がばくばくと鳴り打った。他人の前でいきなり突拍子もないことを口にした羞恥と、相手の反応を待つ緊張でお腹が痛くなる。

全部、考えるより先に声に出したその場の思いつきだ。一体どうしてたった今会ったばかりのこの若者に、そんなことを頼んでしまったのか解らない。

だが、なぜだろう。理由はないが、強烈に惹かれるのだ。目の前の若者の緑色の瞳。中に大きな何かを隠し持っている瞳。自分にはない、特別な運命を背負って生きて来たような瞳。

ひと目見た瞬間から、吸い寄せられるように惹きつけられている。

「……生憎だが、俺はそんなんじゃない」

しばし驚きに言葉を詰まらせ、革のマント姿の若者はややあってむっつりと言った。

「役者でも、詩人でもない。ただの田舎住まいの木工職人だ。

食い扶持稼ぎに里で作った木彫り製品を、ブランカのよろず屋に売りに来た。悪いがお前の頼みには応えられない」

「で、でも」

「連れを里に待たせて、急いでるんだ。じゃあな」

言って再び頭にフードを被せると、立ち去ろうと歩きだす。

だがなにかを思いなおしたのか、若者は足を止めてもう一度振り返り、悪意のなさを伝えるようにライのびしょぬれの頭にぽんと手を乗せた。

「役に立てなくて、ごめんな」

冷えきった髪を通して伝わる若者の手のひらの感触は、さらっとして思いがけぬほど温かかった。

「待ってくれ。お願いだ。置いて行かないでくれ」

ライは必死で追いすがった。

「あんたみたいな見た目の派手な男が、なにが木彫り職人なもんか。出鱈目言ってんじゃねえよ。

里ってどこだ?西のトンネルか東の砂漠を越えないと、集落にたどり着くことは出来ない。このブランカ城市の周辺はどこもかしこも山と森だらけで、人が住めるような村なんてないんだ。

俺、帰る所がないんだよ。母さんと喧嘩して……馬鹿野郎って怒鳴って、テーブルをひっくり返して飛び出して来ちまった。

もう帰れない。あんな家、二度と帰らない。絶対に帰るもんか。

なあ、だから俺を連れてってく……」

マントの裾を掴んで若者を引きとめようとした瞬間、頭を突き抜けるような痛みが足首に走り、ライは呻いてその場にしゃがみ込んだ。

「痛てぇ……っ!」

「どうした」

「あ、足が痛い。さっき、ぬかるみで転びそうになった時にひねったんだ。

……それに」

「なんだ」

「腹が減った」

ライは情けなさそうに言った。

「昼飯を食べる前に、家を飛び出してきちまったから」

「……」

緑の目をした若者は呆れたようにライを見つめた。

視線を離し、無言で暗い空を見上げる。雨が止む気配はなかった。暗い色の雲が空一面に低く垂れこめ、まるで罰を与えるかのように大地へ大量のしずくが降り注ぐ。

なおも若者は迷っていたようだったが、ライがぶるっと身を震わせてくしゃみをひとつすると、ため息をついておもむろにマントを脱いだ。

「……ったく」

ずぶぬれになったライの身体に、無造作に被せてやる。

マントを外した若者のまとうチュニカの腰に剣帯が巻かれ、銀製の大きな鞘が吊るされているのを見て、ライは内心ひそかに驚いた。

(なんてでかい剣だ。こいつ、やっぱり木彫り職人なんかじゃない。

だからって、役者や詩人でもない。……剣士だ。戦う剣士だ!)

緑色の目をした若者は相変わらずの無表情でライを見下ろすと、あまり優しいとは言えない声で言った。

「仕方ねえな。ついて来い」
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