勇シン長編

□星の奇跡
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聞こえている?お星様。

もしもあの日のあの出会いが、あなたが遠い昔から決めていた約束だったというなら、わたしはようやく声を大にして言える。

奇跡ってどんなものなのか、やっとわかったって。

うんと胸を張って、薔薇の花のように誇り高く顔を上げて。

だっておかあさんの言った通り、本当に大切な宝物は、綺麗なお城でも馬車でもドレスでもない。

それはもっとささやかで、形さえないものだと気付いた、最初で最後の瞬間だったから。








冷たい雫がぽとりと唇の上に落ちて、わたしはうっすらと目を開けた。

(わぁ、なんだろ……?甘ぁい)

はちみつのような濃い甘みが喉に広がり、頭の奥からじんわりと目覚めが立ちのぼる。

冬枯れした硬い草の、ちくちくする感触。

顔のあちこちを刺すから痛くてかゆくて、まるで松の木の下で滑って転んだみたいだ。

だが起き上がろうとしてわたしは、思わず叫び声をあげた。

鈍い痛み。鼓膜まで突き抜ける。全身が麻痺したように強張り、指の先さえ動かすことが出来ない。


「ねえ、起きたのか」


その時、誰かの顔が目の前に現われた。

(誰……?)

翡翠色の影。

おかあさんじゃない。

ばらばらに散らばった意識を拾い集め、もやのように揺れる影を見つめていると、やがてそれは徐々に人の形になった。

白い手が伸びて来て、生きているのかをたしかめるようにそっと頬に触れる。

(冷たい!)

ひやりとした冷たさに呻くと、手は驚いたようにさっと引っ込んだ。

それからしばらくしてまた、小さな影が恐る恐る近付いて来る。

両膝をついて身体をかがめ、地面に前髪が着くほど首を傾けて、まるでアリの行列を覗き込むようにこちらをじいっと見つめる姿。

透けるような髪、大きすぎる翡翠色の目。

なめらかでふっくらした頬。

子供だ。

「痛いのか」

「……うん」

問いかけに答える声が、自分のものではないみたいにしゃがれていたので、わたしは不意にたまらなく悲しくなった。

「泣いてるのか」

「うん」

「どうして」

「だって、あんまり怖くて叫び過ぎたから、こんながらがら声になっちゃって……、もう風や鳥の歌も歌えないよ」

「うた?」

緑色の目をした男の子――それは、とても美しい男の子だった――は、首を傾げて不思議そうに何度かまばたきした。

「おまえ、風や鳥と一緒に歌を歌うのか」

「うん」

「どんな歌?聞きたい」

「無理だよ。こんな声じゃもう歌なんて歌えないもの」

「声がなおればいいのか」

子供は懐をごそごそと探り、中から人差し指ほどの小さな硝子瓶を取り出した。

「じゃあもういっぺん、おまえにやる」

光沢のある琥珀色の液体が、円柱形の硝子の中できらきらと揺れている。

男の子はコルクで出来た蓋を真剣な顔で開けると、片方の手をお椀のように丸めた。

「大切な薬、ほんとうは二回もあげたりしたくないけど」

掌の真ん中に小瓶を傾け、丁寧に二、三滴落とす。

「おまえはとくべつだ。くちを、あけろ」

ひんやりと冷たい手があてがわれる。

わたしはされるがまま唇を開いた。

小さな指をつたって流れ込んで来る、香り高くとろりと甘い味。

さっきと同じ味。

「おいしいだろぉ」

喉を鳴らして飲み込むわたしを見て、緑の目をした子供は得意そうに言った。

「村のみんなで作った、砂糖カエデの樹液。ものすごくちょっとしか取れないんだぞ。

大鍋みっつぶんの樹液を一日じゅう煮つめて、やっとこれだけ」

「とっても甘いねえ」

わたしは嬉しくなって、横たわったまま笑った。

「おやつに食べる百合の根や、草原ツツジの蜜よりずうっと。

カエデの樹液を煮たのなんて、初めて食べたよ。あなたは火を使う一族のエルフなの?」

「エルフ?」

男の子は怪訝そうに眉をひそめた。

「エルフって、かあさんが寝る前に読んでくれる絵本に出て来る、みみのながいヨウセイのことか」

わたしははっとした。

(この子、人間だわ……!)

雪のように白い肌や整った目鼻立ちに、すっかり同族だと思い込んでいたけれど、よく見ると耳の先は丸く、エルフ特有の瞳の中心に走る縦長の虹彩もない。

「ねえ、エルフってなに。お前はエルフなの。

エルフはみんな、風や鳥の歌をうたうのか」

緑の目の子供は見知らぬ魔法のありかを探すように、わたしを興味深げにじっと見つめた。
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