コラボ作品の部屋
□新時代
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「御呼びでしょうか?」
王の執務室へと入室したサントハイム教父パリスは顔を顰めた。
酒臭い。
教義では飲酒を禁じており、最も敬虔なる信徒であるとされるサントハイム王家としては断じて破るような事はあってはならないものの、王ルシオは酒を愛飲している。
幼馴染であり、サントハイムの宗教指導者でもある教父パリスの前であってもその事を隠さないルシオだが、それでも仕事中は酒に手を出すような事は無い。彼にとって酒はあくまでも御褒美的存在なのだ。
「貴方らしくも無い」
パリスが卓の上に無造作に置かれている酒瓶を取り上げるとルシオは不服そうに唇を尖らせた。
「…何時もの俺と変わりないさ。呑まなきゃどうにかなっちまいそうだ。俺は……酒好きのどうしようもない王だ」
「何時もの貴方なら好きで酒を呑んでいるとは思いますが」
パリスは溜息混じりに呟く。
「今の貴方は何かの苦しみから逃れる為に酒に逃げようとしているだけでしょう。全く…貴方らしくも無い」
ルシオはその呟きを聴きながら手にある杯を見つめた。
魅惑的な紅は、王の瞳と酷似している。
その紅の雫に瞳を落としたまま、王は低く吼えた。
「忌々しい神め」
「……ルシオ様」
パリスは短く咎めるような声色で囁く。だが、ルシオは煩そうに右手を払う仕草を見せると同時に先程よりも声高に叫んだ。
「いいや、神なんて、居やしないんだろうな!居るとしたら相当の性悪だ!!」
「落ち着いて下さい。敬虔なる信徒ともあろう王のそのような台詞、誰かの耳にでも入ったら一大事ですよ」
努めて冷静な口調を保ちつつ、パリスはやんわりと王の杯を奪う。ルシオは苛々とした表情を隠すように額を手で覆った。
「では聞く、何故神は俺達にこんな試練を与える?俺には不必要な程の予言の能力を与えたというのに、何故、アリーナには…」
「……!!」
パリスは漸くルシオがこんなにも荒れている理由に思い至った。そして直ぐに卓の上に目を走らせ、目的の物が無いと知るや否やしゃがみ込み、床に目を凝らした。
あった。
パリスは無造作に棄てられている書類の束を拾うと埃を払う。
「ブライ様の報告書」
結果は見えている。だが、パリスはその表紙を捲る。
意志をはっきりと口にするブライらしく、最初に結果が記されていた。
『アリーナ王女には、先天的に魔法を操るだけの能力が備わっていない。
故に、王女は予言者としての能力も有していない。
現在の魔法技術では、如何なる手段を持ってしても解決不可能である』
薄々、そうではないかと思っていた。パリスは震える指を叱咤しながら報告書を卓の上に置いた。御歳六歳になられるルシオの一粒種アリーナ王女は、予知夢の断片、否、欠片すら視られた事は無い。
紅の瞳を有する者ならば、総じて五歳までにはその予兆があるというのに全く、という現状を憂慮した王はブライに王女の魔力や予知能力の強弱を調べさせていたのだ。
そして、まさか、というべきか、やはりというべきか。
良悪の判断に苦しむ結果が出た。
王は我が娘が自分とは対照的な苦悩を抱えての人生を歩む事を知り、何もしてやれない歯痒さやするだけ無駄な後悔や罪の意識を感じて自暴自棄になっていたのだ。
パリスは一度は卓に置いたブライの報告書を掴むと塵箱に投げ捨てる。そしてその行動に唖然としている幼馴染に微笑んだ。
「良かったではありませんか」
「何処がだ」
お前、そいつを棄てたのが見つかったらブライに殺されるぞ。ルシオはそう呟きながら塵箱の中の報告書に視線を注ぎ続けている。だが拾う気は無いらしい。仏頂面で塵箱を見つめたままのルシオに対し、パリスは諭すようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「姫様は一生涯、貴方のように現実となる悪夢で魘される事が無いのですよ。極普通の娘として神がこの世界に与えて下さったのです、良かったではありませんか」
「パリス……」
王は一瞬救われたような、輝く瞳を見せたが、直ぐに頭を振った。それと同時に再び瞳の輝きが失われる。
「駄目だ。俺達王家には未来を視るという役目がある」
「ふふっ、酔われているのですか?貴方らしくもない台詞ばかりですね」
パリスはくすくすと笑いながらルシオの肩に手を置いた。
心が安らぐ、癒しの温もり。ルシオは隠し切れない憂い漂う瞳を細める。
「そんな役目はアリーナ様の代では必要無いと神が仰って下さっているのです。貴方は以前仰っておられた。未来に絶望しか待っていないと知ってしまったら誰も真直ぐに生きる事が出来なくなってしまうと。ですが、これでサントハイムは不確定だからこそ明るい未来を信じ夢見る事が出来る王国へと変わる。予知の能力など必要の無い時代が来るという、神の御意志なのですよ」
「神の意志かどうか知らんが、時代の変遷期には動乱が付き物だ。それこそ未来の一つの可能性を見出す予知夢では追いつけない程の動乱がな。俺は……、アリシアが己の全てを賭けてこの世界に導いてくれた娘の人生は幸福なものであって欲しいと願っている」
「ええ、勿論ですとも。その為に貴方や私達が居るのでしょう?それに姫様ももう直ぐ二つと無い友を得られる。その者はきっと誰よりも姫様を幸福な未来へと導く事でしょう」
「アリーナを幸福へと導く、無二の…親友」
クリフト。
ルシオは遥か昔に視た名を心の中で呟いた。
今よりも成長した愛娘が誰よりも信頼を込めた瞳で見上げていた、青年の名を。
「そうだな…。喩え平穏な時代では無くとも、アリーナはきっと幸福な人生を歩む。俺やお前達、そしてあの娘の片腕となる者が必ずそうさせる」
「きっと姫様とその者が新しいサントハイムを作る存在となる事でしょう」
パリスはそう言いながら酒瓶を持ち上げると耳元で軽く振る。水音が小さく謳った。パリスは満足そうに頷いた後、極上の笑みを浮かべる。
「喜ばしい時には祝杯が付き物なのでしょう?」
ルシオはきょとんとした表情で教父を見上げていたが、大きな声でひと笑いすると卓の隅に追い遣られていた杯を手にし、何時もの不敵な笑みを浮かべた。
「その通りだ」
だけどお前に酒瓶は似合わないな。ルシオの言葉に苦笑しつつ、パリスは差し出された杯へと瓶を傾ける。
とろりと注がれた紅玉の輝きが齎すその芳醇な香りを楽しんだ後、ルシオは杯を掲げた。
「では、新しい時代の幕開けに」
乾杯。
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