導かれし者たちの短編

□占い師の告解
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最後にサントハイムを訪れたのは、もう三年前にもなります。


大陸の西に位置する城市には、春らしからぬ冷えた風が吹いていましたが、恐らくその日を寒いなどと感じた国民は、広大な領地を隅々まで探しても誰ひとりいなかったことでしょう。

世にもめでたい、かの国にもたらされた二十数年ぶりの王家の聖婚祭。

稀代のおてんば姫として名を馳せた聖祖サントハイムの末裔の王女と、その従者であり神官であった若き新王の、絢爛豪華な婚礼。

王城前の広場は朝から群衆と貴族たちの人波でごった返し、少年合唱団の祝婚賛歌が高らかに響き渡っていました。

国王のもとの住まいでもあった、教会の大鐘楼から鐘の音が鳴ると、それを合図に城中の鐘楼がいっせいに鐘を打ち始めます。

花火がひっきりなしに打ち上げられ、空に白煙を吹きます。オルガンの音色が幾重にも重なって、人々の歓声を彩ります。

広場の中央には、両縁を花で埋め尽くした赤い絨毯が引かれ、新王夫妻の乗った馬車が、白銀のよろいをまとった二列の騎兵団を引き連れて通ります。

なんて典雅で素晴らしいロイヤル・ウェディング。

これほど派手やかで、かつ瀟洒(しょうしゃ)な婚礼は、わたしも見たことがありませんでした。

以前旅の途中、エンドール王家の婚礼なら目にしましたが、あれは闘技場であった場所を強引に祭儀場に変えたお粗末なもので、確かに豪華ではあったものの、装飾も儀礼も洗練されているとはとても言い難かったですから。

先導する騎馬兵が吹く角笛の音が鳴り渡ると、新王夫妻の乗った馬車が人垣をふたつに割って、広場をゆっくりと進んでいきます。

既に歓声は割れんばかりで、見守る群衆の顔は光り輝くようでした。

民間出身の元聖職者というサントハイム王国史上初の異色の王は、紫の王のマントの着心地に未だ慣れぬらしく、盛大な歓声に戸惑ったようにごく控えめな会釈を返していました。

顔色はお世辞にもよくなく、ずいぶん緊張なさっていたようです。遠目に見ても判りましたもの、額にびっしりと浮かんだ汗が。

それは微笑ましさと同時に、この王を盛り立てねばという国民の涙ぐましい決意も誘いましたが、

厳しく評すると彼にまだ施政者としての風格はなく、即位直後では帝王の威厳は到底身に着いていなかったと言えるでしょう。

対照的に、かたわらで純白のドレスに身を包んだ花嫁は、群衆の多さにも地鳴りのような歓喜のシュプレヒコールにも、全く動じていないようでした。

決して彼女が女王然と気取っていたり、取り澄ましていたというわけではありません。

むしろ顔じゅうを眩しいほどの笑顔にし、嬉しさのあまりじっとしていられないという様子は、今にも立ち上がってウサギのように馬車からぴょんと飛び降りてしまいそうで、

既にその警戒も充分行っているのか、背後に付き従っていた護衛兵は、新しい王妃の一挙手一投足に終始抜かりなく目を配っていました。

出自の貴賎が人格を作る、とは勿論思いませんが、磨かれた血統が紡ぎ出す生来の気品とは、やはりあるものなのでしょう。

着飾った花嫁の全身からは、敬われることに慣れた者だけの侵しがたい高潔さが漂っていて、彼女の立ち居振る舞いが無邪気な分だけ、より一層それは希有なものとして、見ている国民に敬意を抱かせました。

夫として隣にいる新王ですら、深い崇拝の目で彼女を見つめていたのですから。

新妻に見とれるあまり、舞い飛ぶ紙吹雪の幾枚かが彼の口に入り、驚いて咳き込む国王を見て、わっと群衆から笑いが起きました。

国家の元首たる王に笑い声を浴びせるなど、もしもここがエンドールやキングレオでもあれば、全員揃って打ち首に処される所です。

ですが市井と王家の交流の門戸を開き、身分の隔てない自由な国風を謳っているサントハイムでは、それは特に咎め立てされることではないようでした。

無論、笑いの種類が好意的なものだったからということもあります。

ですがまた、この新しい王からは、それを許す春の日向のように穏やかな優しさが滲み出ていたのです。

ぎこちない笑顔で観衆に手を振る夫と、頬を紅潮させて嬉しそうにほほえむ花嫁の姿は、「幸福」という題名が形を取った、一枚の美しい絵画のように見えました。

きっとこのふたりは幸せになる、と、わたしは確信しました。

未来を読み解く占い師だから判るのだろう?いいえ、わざわざタロットを視ずとも明白な事実です。

そしてこのふたりを支配者と奉る、この国もまた必ず幸せな国になる、とも。

それきり、わたしはサントハイムを訪れてはいません。

わたしは占い師です。憂慮煩悶を抱える方々の、導き手となるべき者です。幸福な国に赴く必要はないでしょう。わたしにはもっと、向かわねばならない地があるのです。

それでも時折、思い出します。

風の便りに彼らに新しい家族が増えたと聞いて、喜びと同時に、忘れ得ぬ想いに胸が鋭く痛むことがあります。

かつて苦しかった旅のさなか、海のように蒼いまなざしに幾度となく目を奪われたことも、

甘く涼やかな声に胸を騒がせたことも、まだ少しも思い出に出来ていない自分に気付いて、愕然とすることがあるのです。

わたしはこれからも、物言わぬタロットや水晶玉が示す生の旅路を、紐が解かれるように遠ざかる過去のはざまを、行き先を持たない蝶のように彷徨うでしょう。

自分の未来は決して見えない。それは占い師として生きる者の業でもあります。

ですがわたしは、どんな時も心から願い続けます。

あの澄んだ蒼い瞳が、どうかいつまでも、悲しみに翳ることがありませんように。

淡雪のように優しいあの声が、涙の驟雨(しゅうう)に打たれて温もりを失うことがありませんように。

彼らの……いいえ、口先だけの綺麗ごとを言うのはもう止めましょう。


彼の、クリフトさんの幸せが永遠に続きますように。


愛し合うふたりが幸福を寿ぐあの国を、わたしが訪れる機会が、どうかもう決して来ることがありませんように。






−FIN−





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