導かれし者たちの短編

□約束の夜〜続・ゆびきりげんまん〜
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「おい」

肩を乱暴に揺すぶられて、はっと目を開ける。

酒のこぼれたテーブルの湿っぽい感触が頬をこすり、宿の食堂の光景が視界に広がった。

顔を上げると、翡翠色のふたつの瞳が無感動にこちらを見下ろしている。天空の勇者の呼ばれる少年だ。

「な、なによ。やーだ、あたしいつのまにか寝ちゃったのね」

急いで瞼をこすると、くまどった色彩が涙で濡れて手の甲に移り、マーニャは気まずさを噛みしめた。

よりによって、一番見られたくない奴に見られてしまった。

「宿のあるじが、続きは部屋で飲めだとさ。ここはもう終いだそうだ」

緑色の目をした少年はそっけなく言って、くるりと背を向けた。

「待ってよ!今の……」

「俺はなにも見てない」

無機質な背中が答える。

「それに誰が何を考えて泣こうが、興味もない」

「少しも知りたいと思わないの?仲間の涙の理由を」

「知ってどうなる。涙なんて欠伸ひとつで出るもんだ。それともお前、喋りたいのか」

「もし」

咄嗟に、考えてもみなかった言葉が口をついた。

「もしあたしが……あんたに聞いて欲しいって言ったら?」

勇者の少年は振り返り、黙ってマーニャを見つめた。

ただ美しいだけの、硝子玉みたいながらんどうの緑の目がこちらを射抜く。

(ああ、やっぱり嫌い。こいつ。どうしても好きになれない)

ざわざわと背中の産毛が逆立つような苛立ちが突きあげて、マーニャは唇を噛んだ。

この少年の何がむかつくかといえば、全身をハリネズミのように拒絶の棘で覆うことで、中に包まれた弱すぎる心を苦もなく守っていることだ。

(どんなに辛くても、能天気に振る舞うしか出来ない人間の苦しみなんか、あんたみたいな人間嫌いにはきっと解りもしないんでしょうよ)

それでも刺さった矢の痛みはきっと同じで、痛みの磁石が差す方向も同じだから、二人は決して相容れないけれど、いつも同じ色の血を流している。

「俺は今から夜風に当たりに行く」

勇者の少年は眉ひとすじ動かさずに言った。

「裏庭を出て、西の井戸の袂で少し休む。木彫りを彫りたいんだ。

宿の窓は全部東向きだから、そこでの話し声は中に聞こえることはない」

「……なにが言いたいの」

「井戸は丸いから、反対側に誰か座って独りごとを言っても、俺はきっと野良猫の声程度にしか気付かないだろうってことだ」

少年は視線を外して、もう一度マーニャを見た。

「同情はしない。言っておくが俺は、お前のことが嫌いだ」

「あたしもよ。あんたが嫌い」

「無理して明るい人間を演じて、嘘を塗り固める偽善者だ」

「自己憐憫に憑りつかれて、不幸をまき散らす軟弱者だわ」

「……けど」

「……でも」


痛みと傷をくぐった真実を映すラーの鏡の向こうには、多分互いの顔がある。


「ねえ、約束してよ。勇者様。あたしとあんたは嫌い同士だけど、それでもあたしの復讐に、あんたは必ず最後まで付き合うって」

マーニャが小指を突き出すと、勇者の少年は不快そうな顔をした。

「俺は約束は嫌いだ。約束は口当たりのいい嘘でしかない」

「じゃあ、あたしも約束する。あんたの復讐に最後まで付き合う」

「破らばもろともってやつか」

「どうとでも」

勇者の少年は小さく笑うと、マーニャの小指に小指を絡め、すぐに離した。

「針千本、用意しとけ」

「あんたがね」

暗闇を乗せた背中が片手を振り上げ、扉を開けて出て行く。


マーニャは立てた小指を長い間見つめてから、静かに立ち上がって扉を開け、その後を追った。





−FIN−




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