導かれし者たちの短編

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見下ろすと、空を塗りつぶしたような一面の白雲。


ときおり風に吹き付けられて波打ち、揺れ、逆巻くそれは雲というより、まるで神々の悪戯によって青さを抜き取られてしまった、虚ろな海にも見える。

サントハイムの王女アリーナは鳶色の瞳をしばたたかせて、もう一度その白い絨毯を見渡した。

(なんて奇妙な光景なのかしら)

いつも首を延ばしては仰いでいた雲を、まさかこうして見下ろす時が来るなんて。

(空に浮かぶ、天空の城)

おとぎ話で何度も読んでは、うっとりと憧れた夢の世界。

大地を精緻に切り取ったように真円形で浮かぶ地面、底から何千と垂れた、軟体動物の足のような世界樹ユグドラシルの根、それ自体が魔法の石で出来た彫刻のように、青白くそびえ立つ荘厳な城。

そして朱赤の毛氈が敷かれた玉座に泰然と身を置いている、不思議で巨大な竜の神。

感嘆はすぐに疲れたため息に取ってかわり、アリーナはこめかみを押さえてうつむいた。

(とても綺麗だけど、わたしが思っていたのとは少し違うみたい……)

背中から七色の翼を生やした天空人たちは、確かにはっと目を奪われるほど美しかった。

だが彼らの目は皆一様に、自らの意思と言うものがまるで感じられない平淡な光を浮かべていて、

最初に瞳を合わせて挨拶を交わした瞬間、アリーナはひどく美しい人形と向かい合っているような気になり、思わずぞくりと背中を震わせたのだった。

思えばここに来るまでいっときの間、共に旅した少女ルーシアもそうだった。

天空城から落ちてしまったという彼女の、美貌とは裏腹の無邪気な振る舞いは、汚れを知らない幼い子供のようだった。

だが天真爛漫のようでありながら、いざ何かを問えば「わかりません。皆さんにお任せします」と笑顔で繰り返すだけの言動は機械的で、まるであらかじめ「そう動け」とインプットされている、ぜんまい仕掛けの玩具のようにも見えた。

(自分の足で行動する、とはよく言ったものだわ)

翼を持つがゆえに足を使わなくなった彼ら天空人の心はいつしか行き場を失い、この城と同様まっさらな白雲の中に、綿毛のようにふわふわとたゆたっているのかもしれない。

「アリーナ様」

大理石なのか石英なのか、素材のわからない鈍色に輝く石壁にもたれていると、神官であり、祖国サントハイムを出立した時からずっと行動を共にしている忠実な従者、クリフトがこちらにやって来た。

「お姿が見当たらないと思ったら、ここにいらしたのですね。

マスタードラゴン様より奥に一室を与えられ、皆さん食事をお取りになっています。どうぞ、アリーナ様も今のうちに」

「わたし、まだおなかはすいていないわ」

「そうはおっしゃられましても、食べられるうちに食べておかなければなりませんよ」

クリフトは目を細めてあるじを凝視し、なにか変わった様子はないか確かめていたが、やがてふっと表情から力を抜いて、優しく微笑んだ。

「とは言っても、わたしもほとんどなにも喉を通らなかったのですけれど。

自分は今、雲よりも高いところにいるのだと思うと、おちおち食事などとても」

いつもと変わらぬ澄んだ蒼い瞳と、穏やかで良くも悪くも堅い口調。

耳にしていると、ここに来てからずっと感じているわけのわからない不安が、煙のように消えて行くのを感じ、アリーナは両手を天に向けて、深呼吸しながら伸びをした。

「あーあ、なんだか頭が痛くてたまらないの。

でもごはんは食べなくちゃね。体力をつけておかないと、これからまた新たな戦いが始まるんだもの。

……クリフト、お前だから言うけれど、実はわたし、なんだかここ、好きじゃなくて」

クリフトは眉を上げてアリーナを見たが、さほど意外そうな様子はなかった。

「と、おっしゃいますと」

「その……なんて言えばいいのかしら」

アリーナは逡巡した。

「とても美しくて厳かで、身が引き締まるような気持ちにさせられる場所だけれど、ここにいると、全てが実体のないまぼろしで出来ているんじゃないだろうかって感じるの。

住んでいる人たちもみんな、浮き草みたいに頼りなくふわふわしていて、この城そのものが自分達の力で生きようとしていない、他人まかせの無意思の塊みたいな気がするのよ。

まるで風船の上に描いた影絵の世界に、うっかり入り込んじゃったみたい。

光がないと存在していられない彼らは、太陽を待って無責任に空に浮かぶだけで、曇りの日はただじっと息をひそめて、覆いかぶさる闇が去るのを待っているの」
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