導かれし者たちの短編

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クリフトは黙ってアリーナを見つめていたが、ふとまなざしを雲の海のほうへ向けた。

「どこまでも続く、雪をもあざむく純白の世界。

ここにずっと居ると、日常に綾なす色彩というものを、いつしか忘れてしまうのかもしれませんね」

「決して悪い所だと言ってるんじゃないの。なんと言っても、この広い世界を統べる竜の神様が住んでいるお城なんだし。

……でも」

迷った末に、アリーナは言葉を続けた。

「ね、クリフト。どうしてなの。

どうして神様も天空人も人間もみんな、全てをあいつひとりだけに押しつけようとするの?」

クリフトは答えなかったが、こめかみがわずかに震えた。

アリーナは唇を噛み、喉まで込み上げた言葉を思い切って口にした。

「さっき、世界樹の庭園のそばで会った綺麗な人……、あいつの本当のお母さんでしょう」

そう、わからないはずはなかった。

かの勇者と呼ばれし少年は無口で、自分の身に起きた過去を語ることはほとんどなく、だから旅のさなかに聞いた噂を繋ぎあわせて、彼を襲った悲劇を想像することしか出来ない。

だが何の事情も知らぬクリフトとアリーナ、そして導かれし仲間たち全てが、天空城にたどり着き、呆然と向かい合う二人を目の当たりにしただけで、一瞬にしてなにもかもを理解した。

背中に翼の生えた女性と少年の、まるで合わせ鏡に映し出したような、同じ血が流れているとしか言いようのない、あまりにもうりふたつな容姿。

唯一はっきり違う部分と言えば、その目だった。

エメラルドを嵌め込んだような緑は、揃って同じ濃さをたたえていたけれど、割れた硝子の切っ先のような、他者を拒む鋭利な光を浮かべている少年のそれとは違い、

虹色の双翼を背に戴いた美しい女性の瞳は、ひとたびでも目があえばすぐにすがりついて来そうな、焦点のおぼつかない、ひどく頼りなげな輝きをたたえていた。

なにかのきっかけで今にも破れそうな、限界まで張り詰めた静寂。

耐え切れなくなった女性が、瞳を潤ませてなにかを言おうとしたその瞬間、少年は合図のようにくるりと踵を返し、早足でその場を立ち去ってしまった。

誰一人その後を追うことは出来なかった。

そう、アリーナ以外は。

「あいつ……、今まで見た中で、一番参っていたみたいだったわ」

人に見つからぬように石柱の陰に隠れ、まるで殴られたかのように腹を押さえて、膝を折って地面にうずくまり、激しく嗚咽を洩らしていた姿。

物怖じしない自分でなければ、きっと声すらかけられなかったろう。

「ちょっと、大丈……」

駆け寄って少年の丸めた背中に触れようとして、アリーナは言葉を飲み込んだ。

唇の端からしたたる透明な糸。


吐いている。


「大丈夫だ。

……来るな」

勇者の少年はアリーナの手を振り払おうとして、再び激しく咳き込んだ。

「だ、大丈夫じゃないでしょう!

クリフトに頼んで、すぐに水を持って来るわ。待ってて!」

「よせ!」

アリーナはびくっとして口をつぐんだ。

袖で乱暴に口許を拭って、こちらを睨んだ勇者の少年の、散々吐いて涙の滲んだ緑色の目。


何もない。


空っぽだ。


ここに来てしまったことで、彼女と遭ってしまったことで、彼は大切に温め続けていた最後のなにかまで、綺麗に失ってしまったのだ。


「あいつはきっと、実のお母さんに会えて嬉しいなんて、これっぽっちも思ってやしないわ」

アリーナは呟いた。

砕けた宝石のような、がらんどうの緑の目が、脳裏に焼き付いてどうしても離れなかった。

「わたし、思うの。

この世界を救うってことは、あいつの中に積み木みたいに積まれている、生きる力や未来への希望をひとつひとつ順番に壊して行くことなんじゃないかしら。

言ってみればこの世界の幸せは、あいつの不幸の上に成立っているのよ。

細い穴から、白砂がどんどん下へとなだれ落ちて行く砂時計みたいに、あいつが失い、痛み、傷を負えば負うほど、世界は安らぎと平和を取り戻して行く」
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