導かれし者たちの短編

□K・O・W・A・I
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天空の塔は空へ続く。


地より遠く離れてすっかり薄くなった空気は刃のような鋭利さで肌を刺し、少しでも下を覗き込もうものなら、人の子のちっぽけな体は大気に塵と霧散してしまいそうだ。


……なんて、かっこつけて文学的表現してみました。ははは……はは……はぁ……。

そんなこと、本当はどうでもいいのです。

今ここで言いたいことなんてひとつだけ。





怖い!





怖いです、高い所!







「K・O・W・A・I」

〜So this is Christmas〜









「クリフト、大丈夫?顔がすごく青いわ。青すぎるわよ」

眉をひそめてこちらを見るアリーナ姫に、わたしはブリキ人形のような引きつった笑いを返した。

「ご、ご心配なさらず、姫様。これはその……そ、そう!髭が伸びて来たのです。

この塔を昇り始めてから、もうかなりの時間が経過しました。朝、手入れした髭がすっかり伸びてしまったのですよ」

「お前、そんなに髭が濃かったっけ?」

「髭だけでなく、本当は手も足もボーボーの毛むくじゃらなのです、わたしは。

幼い頃の仇名は、「サントハイムのフローラン・ダバディ」でした。毎日全身ツルツルにするために、カミソリ何本駄目にしたことか、トルシエ監督もびっくりですよ」

よし、緊迫した空気を和ませるウィットに富んだ冗談もばっちり決まった。

これで姫様は、よもやわたしが高いところを怖がっているなどと万が一にも思いもしないことだろう。

絶句したアリーナ姫に(精一杯)爽やかに笑いかけると、わたしは目の前の梯子に恐る恐る手を伸ばした。

この塔に足を踏み入れてから、もう何十回目かの昇降運動。

なにが恐ろしいかって、上下左右まるきり無防備な棒の羅列を昇って行く時ほど、血が凍る恐怖を感じることはない。

高い場所に危険を感じるのは翼を持たぬ生物の本能であり、怖がるのはごく正常な反応である。

むしろ、こういう状況においても恐怖を感じない方こそ精神的疾患者だと言えるのではないか、と主張する科学者もいるという。

このことから一部の学説では、赤ちゃんは本当は「高い高い」を怖がっているのではないか、と言われているくらいなのだ。

「ほー、そうか。そのトリビアは80ヘェ〜だな」

その時、不意に頭上から声が降って来て、わたしはぎょっとした。

天空の装備に身を固め、全身をまばゆいばかりに輝かせた勇者の少年が、梯子に手足をかけて、冷ややかな目でこちらを見下ろしている。

「つまらんウンチクを披露してる場合か。さっさと昇って来いよ。

体重の軽い男から先に昇ってるんだ、お前がもたもたしてると後がつかえる」

「わ、わたしは最後でよかったのに……」

「この状況で魔物に遭遇するとしたら、間違いなく上からだ。

素早く臨戦態勢に移れないこんな時こそ、死の呪文の使い手のお前が活躍すべきじゃないのか。

それともお前、最後尾のトルネコの後から昇るか?巨体を支えた直後の梯子の強度は保証出来ねえぞ。

それとも愛しい姫御前を先に昇らせて、うるわしのミニスカートの中を思うさま覗くか」

「な、なんとふしだらな……!そのようなみだりがわしい振る舞い、断じて許されません!」

「許すも許さないもない。いいか、俺たちは仲良く煙突掃除に向かってるわけじゃないんだ。

空の向こうのきらきら星じゃあるまいし、馬鹿みたいに全身を光らせてる俺の身にもなれ」

勇者の少年は絵のように端正な顔に苛立ちを滲ませて、わたしをじろりと睨んだ。

「この塔が放つ波動と共鳴して、天空の武器防具がダイヤモンドみたいに激しく輝いてる。

こんなにピカピカしちゃ、落ち着かない事この上ない。俺はどこかの派手好きな踊り子女とは違う。目立つのは嫌いなんだ」

「確かに、まるで体全体が巨大な宝石で覆い尽くされているかのようですね」

わたしは少年が身に着けている天空の装備一式をまじまじと眺めた。

鎧に盾、腰に吊るした剣の輝きも勿論だが、頭に嵌めた天空の兜の宝珠がことさらに強い光を放ち、彼の額を神々しい眩しさで彩っている。

「でも、とても綺麗ですよ。確か古代の太陽暦ではもうすぐ12月25日、いにしえの神が生まれたというクリスマスです。

あなたの髪は緑葉茂るモミの木のように美しい色をしているし、この際、一日限定人間クリスマスツリーになったということで」

「……てめー、馬鹿にしてるだろ。絶対馬鹿にしてるよな」

少年は片手を剣の柄にかけた。

「なんなら今からお前ひとりだけ、地上まで一気に逆戻りさせてやってもいいぞ。

カリン様の所で修業した孫悟空も、そうやって何回も塔を昇り直したんだ」

「いっ、いえ、結構です!

わたしの座右の銘は「平凡イコール日々これ無事」です。人並み以上に強くなんて、なりたくありませんから!」

慌てて梯子にしっかりしがみつくと、わたしは口調を改めた。

「ですが冗談ではなく、本当に貴方の美しい髪をふちどる輝きは、金銀の色彩で飾られた神が愛でし聖なる樹木のようです。

クリスマスツリーの三角形が表すのは、父と子と聖霊。

神と人間、そしてその子孫という、世界に必要不可欠な三つの核の調和。

いわばクリスマスツリーは神の理想の象徴であり、まさしくあなたの存在と同じ意味を持つのですよ」

「理想だかなんだか知らないが、どこの誰がクリスマスツリーみたいだなんて言われて喜ぶっていうんだ。

それにクリスマスなんて、めでたくもなんともない。俺は神なんて信じない」

勇者の少年は不機嫌そうに言い捨てると、言おうかどうか迷うようにわたしを見つめた。

すばやく声音を落とし、真下にいるわたしにしか聞こえない声で囁く。

「……本当は、俺だって怖いんだぜ」

「え?」

「これ以上進みたくない。この塔を昇って、その先にある世界に足を踏み入れるのが怖い。

鎧や盾や剣が、こんなに喜んで光ってる。まるで元いた所に帰れるのが嬉しくて仕方ないみたいに。

でも……俺は、こんな高い所で生まれたんじゃない。俺が帰りたい故郷は、こんな空の上にあるんじゃない。

それに、もしもそこに俺の本当のかあさ……」

少年は口をつぐんだ。

「本当の、なんですか?」

「なんでもない」

首を振り、口に出しかけた言葉を飲み込むと小さく笑う。

「たとえこれから何が待っていようとも、はっきりしてるのは、俺の背中に羽根は生えちゃいないってことだ。

お前の言う通り、飛べない人間はどうあっても高い所なんか好きになれないってことさ」

「ではわたしたちは二人揃って、高い場所が苦手なのですね」

わたしは笑った。

「不思議だな。そう聞くと、あれほど乱れていた動悸が鎮まって行く。

自分以外にも恐怖に立ち向かっている仲間がいると思うと、なぜか勇気が湧いて来る気がします」

「仲間も何も、今の俺は人間扱いされてないぞ」

「いいじゃありませんか、たった一日くらいクリスマスツリー代わりになっても。

大切なのは器の形なんかじゃありません。中に入っている心の輝きです」

「うまいこと言ってるっぽいが、実は思いっきりおかしいからな、お前の言葉。どうして俺がクリスマスツリーなんだよ。

なしくずしに丸めこもうとしやがって、これだから御託を並べるのが得意な聖職者は」

「ちょっとー、そこの男ふたり!早く昇りなさいよ!後ろがつかえてんのよ!」

「うるせーな、ったく」

勇者の少年は我に返って顔をしかめると、わたしを振り返り顎をしゃくった。

「騒がしい女どもには、俺たちの繊細な恐怖心がわからないんだ。ここはひとつガツンと言ってやれ。クリフト」

「な、なぜわたしが?このパーティーのリーダーは貴方でしょう」

「ああ言えばこう言うは、お前の専売特許だろ」

「ずるいですよ!こんな時ばかりわたしに損な役を押し付けて!」

「もう、なにやってるの?!早く昇りなさいってば、ふたりとも!」


「すいません!」「悪い!」


とっさに返したふたつの声が、鐘の音のように同時に重なる。

わたしと勇者の少年は顔を見合わせた。

小鳩のようにくくっと喉声で笑うと、まもなくクリスマスが訪れる紺碧の空じゅうに、互いに高らかに響き渡る声で叫ぶ。

「俺たちに羽根はない。いくら高みを目指しても、そんなに早くは進めない」

「一歩一歩、少しずつだけど昇って行きます。弱さから逃げない自分でいたいから。

でも時々は、立ち止まって休みます。三歩進んで二歩下がります」




「だって……俺たち(わたしたち)、


本当は怖いからだ(怖いんです)!!」



真下に並ぶいくつもの目が、揃って丸くなった。

まるで聖夜に黄金色の音色を蒔く、何対もの鈴のように。

わたしたちはそうして上へ上へと昇り続ける。

羽根のない天使が輝くクリスマスツリーを目印に、目指す頂上はあと少しだ。





−FIN−





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