導かれし者たちの短編

□雨のかくれんぼ
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空を、暗い薄灰色の闇雲が覆っていく。


もうすぐひと雨来そうだ。それも強いのが。

早くうちに帰らなきゃ、と村はずれの林檎の木の下に寝そべっていた緑の目の少年は起き上がり、駆け出そうとしたが驚いて動きを止めた。

いつのまにか、目の前に人が立っている。

燃えるように赤い瞳をした女の子が、微笑んでこちらを見ている。

まだ雨は降っていないというのに、ふしぎと女の子は全身ずぶ濡れで、長い髪の先からぽたぽたとしずくを滴らせていた。

………誰?

ああそうだ、知ってる。

この子はおれの、いちばんたいせつな女の子。

泣くと、血みたいに真っ赤な宝石を瞳からぽろぽろこぼすんだ。


ねえ かくれんぼしようよ


女の子が言う。

少年はまばたきした。

おれとおまえで?


そう わたしとあなたで


二人でかくれんぼなんかしたって、ぜんぜん面白くないやという言葉は、煙のように喉の奥で消えた。

少年と少女にはもっと、ずっと小さな頃から、二人以外の友達は誰ひとりいなかったのだ。

いいよ、やろ。

少年はこくりと頷いた。

少女がかすかに笑ったように見えたが、なぜか表情はよどんだ薄闇にぼやけてよく見えなかった。


じゃあ あなたがさいしょに隠れて


わたしが鬼になるからね


うん、いいよ。でもお前、きっとおれを見つけられないよ。

少年は得意そうに小さな胸を反らせた。

牢獄のように閉じ込められ続けた狭い村の隅々までを熟知していて、どこに深い茂みがあるのか、人目を避けることの出来る窪みがあるのか、頭に地図を書いたようによく知っているのだ。

林檎の木の幹に顔を伏せて、少女が数え始めた。


いーち、にーい


さーん、しーい


少年は走り出した。

走って、走って、村の東端のエニシダの茂みの中に、四つん這いになって頭からごそごそともぐりこんだ。

ここならきっと、あの子もわからないはず。

この勝負、おれの勝ちだ。

負けん気の強い少年の心が、勝利の予感に誇らしく包まれたその時、音のない稲妻がぴかっと頭上で走った。

数秒後、突如として堰を切ったようにざあっと大粒の雨が降り始める。

ゴロゴロゴロッという雷鳴が轟き、少年はうずくまって頭を抱えていた手を離し、茂みからそっと顔を出した。

とたんに激しい雨が少年の頬を打ち、たちまち髪も肩もびしょびしょになる。

うわあ、と叫んで、少年はふたたび茂みの中に引っ込んだ。

とうとう降り始めた。こんなにすごい雨じゃ、かくれんぼなんてもう出来ない。それに、家にも帰れない。

服を濡らして帰ったら母さんにこっぴどく叱られるし、もしも風邪でも引こうものなら、苦い薬をたくさん飲まされて、何日もベッドに寝かされる羽目になってしまう。

小さな少年が病気を患うのに、両親は恐ろしく過敏だった。

絶対に病ませてはならない、健康で強く逞しく育てなければならないと誰かに命じられたかのように、彼らはことあるごとに少年に薬を飲ませ、温かい服を着せ、死に至る病から厳重に護った。


まるで健やかに成長するやいなや生体実験に投じられる、何も知らないモルモットを大切に育てるように。


狭い、狭い山奥の村。楽しいことなんてなにもない。

窮屈でつまらないし、どこにいたって誰かがいつも、珍しい飼育動物を観察するように自分のことをじっと見つめている。

それでも少年はベッドで寝こむより、木剣を担いで外を走り回るほうがずっとましだった。

それに花畑に行けば、あの女の子と遊ぶことが出来る。

そういえば、あの子はどこに行ったんだろう。

自分からかくれんぼの鬼になった、あの赤い目をした女の子。

少年はふと首を傾げた。

……あれ、あの子の名前、なんだったっけ。

雨は激しさを増し、水煙で視界が白くなった。雨の音以外何も聞こえなくなって、少年は茂みの中にうずくまり続けた。

体や足は濡れていないのに、なぜか異様に寒い。尖ったエニシダの葉が、震える首や膝をちくちく刺す。

ちっとも鬼が探しに来ないのは、おれがあんまり隠れるのがじょうずだからだ。

でも、もう帰りたい。

どんなにじょうずに隠れたって、かくれんぼは見つけてもらえなきゃ意味がない。


帰りたい。



帰りたい。





その時、少年の想いを合図にしたかのように、「それ」は始まった。

少年は不思議そうにまばたきした。

まだそんなに長くない首をもたげ、降りしきる雨の向こうにまっすぐに目を向けると、「それ」は目の前を残像のように横切った。






大変だあーっ


魔物が、魔物がこの村に攻めて来た 


ついに、この村の存在が魔物に見つかってしまった


武器を取れ 戦うんだ 勇者を、天空の勇者を護れ


みな、勇者のために……今日のこの時のために 命を捨てろ


勇者を護れ そのために死ね


世界を救う運命の子供を 命を懸けて守れ






テンクウノ ユーシャ?

なんだ、それ。

みんなが陰でこっそりおれのことをユーシャって呼んでるのは、知ってるけど。

横殴りの雨の向こうに怪訝そうに目を凝らした、幼い少年のあどけない顔が、やがてみるみる恐怖に凍りついた。





ごうごうと降りしきる雨の向こうで、真っ黒な影が哄笑を上げてうごめいている。


武器を手にした村人たちが弾き飛ばされ、泣き叫びながら逃げ惑う。


なぎ倒される。

引き裂かれる。

噛み砕かれる。



こんなに雨が降っているのに、巨大な竜巻のような炎が吹き上がり、木も家も川も、すべてを飲み込みつくして行く。




人が木切れのように燃えていく。






「あ、あ、ああ………」


だいじょうぶだよ


がたがたと震えだした少年の横に、いつのまにかあの赤い目をした女の子が立っていた。

ぽた、ぽた。

ずぶ濡れの長い髪の先から、血のような水滴がしたたり落ちる。


だいじょうぶだよ へいき


あなたはここに かくれてなきゃいけないの


だって 鬼はわたしなんだから

 
少女の唇がにこっと笑ったが、やはり顔は薄闇に覆われて見えなかった。


じゃあ 今度は交代ね あなたが鬼よ


顔を隠して 十数えて 薄目はずるだからぜったいにだめ


わたしがもういいよ って言うまで 絶対にここからでて来ちゃいけないよ


少年は震えながら頷き、茂みにもぐり込むと地面にしっかりと顔を伏せた。


じゃあ わたし行くね


あなたと遊べて とっても楽しかった



さようなら



鬼を交代した少女が身を翻し、雨の中に走り出ていく。


さようなら?


どうしてさよならなんて言うの?


遊べてたのしかったって、おれたちはまだ、一緒にあそんでるんじゃないの?


かくれんぼの途中なんじゃないの?



今度はおれが、お前を見つける鬼なのに。




顔を上げようとして、まだ数をひとつも数えていなかったことを思い出し、少年は慌てて地面に突っ伏して声を張り上げた。


ずるはいけない。


ちゃんと数えなきゃ。


いーち、にーい


さーん、しーい


ご……




数字の順番に頭を悩ませながら、やっと半分まで辿り着いた声に、突然ねばりつくような不協和音が重なる。




デスピサロ サマ


デスピサロサマ、勇者メヲ討チ取リマシタ


タシカニ息ノ根ヲ止メマシタユエ、ドウゾ 死体ヲゴ確認下サイ





水煙の向こうで残響を轟かせる声音に、少年は闇の中で眉をひそめた。


誰?デスピサロって。

すごくうるさい。

今、がんばって十まで数えてるんだから、邪魔しないでくれよ。


少年は硬く目を閉じ、暗闇の中で雨の音に負けないように、ふたたび声を大きく張り上げた。

赤い目をしたあの女の子に、ちゃんと聞こえるように。




もういいよ、って、言ってもらえるように。




ごーお、ろーく



なーな、はーち




きゅう………











じゅう















もういいかい?

















横殴りの雨が、窓硝子を責め立てるようにごうごうと打ちつけている。

雨が降るたびに必ず見る夢。

風が吠えるように呻き、激しい雨と風の音以外は全くなにも聞こえない。

緑の目の少年は、のろのろと寝台から起き上がった。

起き上がり、頬にべっとりとついた大量の涙を手の甲で拭った。

顎先を伝い、首から胸まで流れ落ちた涙を、服の裾で何度も拭った。

拭っても、拭っても、涙はあふれ続けた。

やがて足から力が抜け、床に崩れ落ちた少年の潰れた喉から、「ああああああっ」と悲鳴が洩れた。

罠に嵌まって無惨に死にゆく狼の、断末魔の絶叫のような悲鳴が洩れたが、激しい雨の音にかき消され、彼の姿もやがて闇に飲み込まれてしまった。





雨に飲み込まれてしまった。







薄灰色の闇雲が空を覆い、雨が降る限り、少年のかくれんぼは終わらない。




鬼にされたまま、見つける者すらわからずに、たったひとりのかくれんぼは続く。






−FIN−





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