導かれし者たちの短編

□ドラクエ4字書きさんに100のお題
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33・ゴシップ


「ねえねえ、聞いた?

城下教会の神官クリフトさん、こないだの礼拝で、なんと十人もの女性に同時に言い寄られたんですって!」

優雅に革張りのソファに腰掛け、淹れたてのお茶を飲みながら、眉のはしっこが勝手にぴくり。

「ええっ、十人も」

「もてもてなのねえ……!たしかにあのお姿にあの青い目、おまけに世界を救った英雄で、これ以上ないくらい素敵なお方だけれど」

「あなたと結ばれることが出来ないなら死んだほうがましですって、もうずいぶん年の行った寡婦に飛びつかれたこともあるって聞いたわよ」

「飛びつく!すっごーい!」

「それでそれで、当のクリフトさんはどうしたの?」

「さあ、そこまでは知らないけど……」

「なーんだ、そうなの」

(なによ!知らないんなら、話にすっきり落ちがつかないじゃないの!)

まるで味の感じられないお茶をごくっと音を立てて飲み下すと、ソーサーを掴んだ手が怒りにわなわなと震える。

どこへぶつけたらいいのかわからないこの怒り。

こんなゴシップ、聞かなければよかったと思っても、噂話に花を咲かせる口さがない侍女たちはいつも、これでもかと王女の間の扉を開け放った状態で情報交換を始めるのだ。

朝の三点鐘が鳴ったあと、忠実な従僕たちはすみやかにサントハイム王城の清掃活動を始める。

最上階のアリーナ王女の間は、原則として彼女と年の近い、若い未婚の侍女たちがその担当と決まっている。

花を飾ったり刺繍入りカーテンを取り換えたり、同じ女同士、細やかな気配りの行き届いた世話をしてくれるのはいいが、とにもかくにも私語が多いのには閉口だ。

しかもたちの悪いことに、しゃがみ込んで馬毛のブラシで床を磨きながら熱心に喋りまくっている間、部屋のあるじである王女がすぐそばにいることを完全に忘れている。

世界を救った「導かれし者」のひとり王女アリーナと、同じく幼馴染の神官クリフトの仲は、今や周知の事実だ。

だが未曾有の冒険の旅が終わり、サントハイム王国の民が謎の神隠しから無事戻ってから、ふたりの間についてはあまり表だって触れられないようになった。

賢い民は、知っているのだ。噂が独り歩きすればするほど、憶して身を引こうとする神官の真面目すぎる性格を。

まもなく結婚か、いよいよ身分を越えた世紀の恋の成就か、と世論が盛り上がるのに反比例して、堅物な「神の子供」はまるで分不相応な己れを恥じるかのように、王城へ足を運ぶのを控えるようになった。

従って、王女の間の清掃を担当する雇用したての若い侍女たちは、まだアリーナとクリフトの仲について知らない者も多い。

中には、わざとではないのか、というくらいアリーナのそばで熱心にクリフトの魅力について語る者もいて、そんな時はうんうんと内心頷くと同時に、どうしてそんなにクリフトについて知ってるのよ!と、もやもやした苛立ちが身体じゅうに立ちこめるのを抑えることが出来ないのである。

(教会で、そんなにたくさんの女の人に言い寄られてるなんて……。わたし、少しも知らなかった。

教会は愛や恋の煩悩を捨てて神と向き合い、心静かに祈りを捧げる場所だと思っていたもの)

身分違いの恋人が、罪つくりにも聖職者でありながらやたらともてるのは承知の上だ。

好きな人がもてるのは、嬉しい。クリフトという人間の魅力が世間に広く知れ渡っていて、しかもその彼が自分のものだということは、とても誇らしい気持ちになるのも確かだ。

けれど、その何倍も腹が立つ。こうしている今この時も、彼がどこの馬の骨ともしれぬ女性と接触しているのかもしれないと想像するだけで、頭にかあっと血が昇る。はっきり言って、クリフトには今後生きて行く上で、自分以外の一切の女と口もきいて欲しくないくらいだ。

恋を知って、初めてわかった。

わたしはとってもやきもち焼き。

でも、そんな感情にいちいち振り回されていたら、ひどく疲れる事も知っている。彼の職場で起きるいざこざ云々にまでやきもちを妬いていたら、身が持たない。

しかもこの目で見た出来事ならともかく、ゴシップなんてとかく大袈裟な尾ひれがついて、事実とは全く違うほど脚色されているのが世の常だ。

だから、知りたくない。聞きたくない。

知らなければ無用な嫉妬に身を焦がすこともないし、聞かなければ知らぬが仏、クリフトは今日も元気で頑張っているのね、わたしも自分の居場所で頑張るわ、という至って健康的なスタンスでいられるのに!

「ねえ、でもクリフトさんってああ見えて……」

「ちょっと!」

声を鋭くして思わず遮ると、まだ頬に思春期のにきびの花が咲き誇る侍女たちは、びくっと身をすくめた。

「も、申し訳ありません!失礼致しました……!」

おてんば姫の異名も高い王女の叱責は、一同を即座に黙らせるに覿面(てきめん)の効果があった。

度の過ぎた私語を注意されたと受け取った侍女たちは、慌てて口をつぐみ、青ざめて粛粛と掃除に集中し始める。

先ほどまでとは打って変わった静寂が辺りを包み、そこに漂っていたクリフトという存在感もあっけなく立ち消え、アリーナは今度は肩透かしを食らったような気分になった。

(聞かないなら聞かないで、なんだかすっきりしないわ)

クリフトさんって、ああ見えて?なんなの?

ああ見えて、じつは女ったらし?

いえ、そんなことは決してないわ。クリフトは誠実が形を取ったような人よ。そんな勝手な偏見を持つのは、彼に対してとても失礼だわ。駄目駄目。ごめんね、クリフト。

じゃあ……、もしかして、ああ見えてじつは足がくさいとか?

いえ、そんなことないわ!クリフトはいつも白檀の香油のかおりをさせているし、とても身綺麗にしているもの。足はきっとくさくないはずよ……、嗅いだ事はないけど……、いえ、き、きっと!絶対!

ああもう、クリフトはああ見えてなんなの?気になる!気になって仕方がないわ!

「わたしがああ見えて、なんなのですか?」

その時、星が降って来たようにすずやかな声音が降りて来て、アリーナは目を丸くして顔を上げた。

「クリフト!」

「うら若き貴婦人の御部屋に、ぶしつけにも朝早くから参上致しまして、大変申し訳ありません」

扉の前に立っていた背の高い神官は、驚くアリーナの瞳をとらえると歩み寄って来て、目前で優雅に臣下の礼を取ってみせた。

オレンジ色のストールを後ろにからげ、萌黄色の神官服の懐に手を入れる。

茶色いびろうどの張られた分厚い冊子を取り出し、額の前にうやうやしく掲げる。

「先月から刷っていた改訂版の聖書がこのたび出来あがりましたので、まず一番にアリーナ様にと、お届けに上がりました」

「あ……、ありがとう」

「ですが、それはあくまで表向きの口実」

クリフトは聖書を引っ込めると、アリーナの顔をまじまじと見つめ、どれほど隠そうとも彼の想い人が誰なのかひとめでわかる、心から嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「アリーナ様、お変わりなくお元気そうでなによりです」

「お前も、クリフト」

「もうひと月以上もお目にかかっていませんでしたので……、どうしてもお会いしたく、見習い修道士の仕事を無理矢理奪って参りました。

これまで、卑しき身分の分際で度をわきまえよ、と自分を律して来ましたが、ここらが限界です。神の前で心まで嘘をつくことはできません。

アリーナ様、わたしはやはり、貴女様だけをお慕いしています」

「あ、そ……、そう」

まっすぐな蒼い目に吸い込まれそうになると、首の後ろのほうからおかしな熱が巡って来る。

こめかみにじんわり汗が浮かび、アリーナは咳払いをしてごまかそうとしたがうまく行かなかった。

廊下の隅、扉の陰、柱の向こう。

好奇心できらきらと輝くいくつもの目、目、目が、懸命に掃除を続ける振りをしながら、こちらを食い入るように凝視している。

なんてことかしら、明日から彼女たちのゴシップの主人公はわたしだわ……、と焦りに背中を縮ませながら、アリーナはやけくそ気味にえーい、と声を大きくした。

「こうなったら、ままよ、だわ!」

クリフトはきょとんとした顔をした。

「はい?」

「興味のないふりや、知らん顔の演技はもう終わりよ。下らない噂話に振り回されるのは嫌い。わたしはわたしの目で見たものだけを信じたいの。

クリフト、わたしもお前が好き。いつかわたしたちは結婚することになるでしょう。身分が違うのは知ってる。聖職者と世継ぎの王女がゴールインなんて童話みたいな話、そううまくは運ばないってこともね。

でも、お前とわたしはなんとしても結ばれるのよ。これは夢物語でもゴシップでもない、れっきとした歴史上の事実。

いいクリフト、事実にするのよ。わたしたちふたりの熱意で、なんとしても!」

呆気にとられて口を開けていたクリフトの顔に、とたんにぼっと血の色が昇った。

「も、もも……、勿論です」

「わかったらみんな、下がってちょうだい。掃除の続きは明日でいいわ。

この一件について、かん口令も敷かないわよ。存分に喋ってもらって構わない。

ただし、事実だけをね」

侍女たちは恐れ入って平伏すると、蜘蛛の子を散らすようにまたたくまに去って行ってしまった。

王女の間に、ふたたび静寂が訪れる。

アリーナはため息をついた。

なにはともあれ、少なくともこれで明日以降は、恋人の真実ともつかぬ噂話にやきもきする必要はなくなったのだ。

「……一体、なにがなんのことでしょうか」

「お前は知らなくてもいいの」

わけがわからぬ様子のクリフトに寄り添うと、アリーナは彼の腕に自らの腕を巻きつけた。

クリフトの身体が、緊張でさっとこわばる。ほんの小さな頃から知っているのに、こと身の触れ合いに関すると、いつまでたっても彼は出会ったばかりのようにぎこちない。

さらさらした衣を通して、クリフトの体温が伝わって来る。ほら、いとしい人はこんなにも温かい。そしてわたしのそばにいる。信じればいいのはそれだけだ。

煙みたいな噂話はさっさと消えてしまえばいい。人づてに聞いた話なんて、わたしには一片の真実味もない。

大切なのは愛する人のたたえるぬくもり、ただそれだけ。

「そうだ、クリフト」

ぎこちなく腕を絡めあっただけで、一向にそれ以上の行動に出ようとしないクリフトに、アリーナはずいとにじり寄った。

クリフトは真っ赤になって後ずさった。

「な、なんでしょうか」

「もっとこっちへ来て」

「いえ、それは恐れながら、久し振りにお会いしたというのにあまりにも性急で……、わあっ、アリーナ様、なにをなさるんです!」

「お前、ちょっと靴を脱いでみなさい」

足元にしゃがみ込まれると、革のブーツを両手で掴まれ、クリフトは勢いあまってソファの上にひっくり返った。

「アリーナ様、何を……!」

「ああ見えて本当にそうなのかどうか、ゴシップの真偽を確かめるの」

「な、なんのことで……?」

ボストロールもかくやの恐ろしい腕力で、片方のブーツを足から無理矢理引っこ抜かれたかと思うと、真剣そのもののアリーナの顔が自分の足の裏に近付いて行く。

「心配しないで、クリフト。もしも噂が真実だったとしても、わたし、そんなことくらいでお前を嫌いになったりしないから。

それに、足はくさくたって洗えばいいんだものね」

「はあ?ちょっ、アリーナ様、お待ちくださ……!!」

一体なにがおやりになりたいのだ、このおてんば姫は?!

どういう目的か、倒れ込んだクリフトの上に容赦なく飛び乗ったアリーナは、執拗にクリフトの足を自分のほうに持って行こうとする。

久し振りに会ったいとしい想い人(しかも、王女)に突然こんな仕打ちを受ける男は恐らくこの世で自分だけであろうと、クリフトは泣き笑いになりながら裏返った悲鳴を上げた。



―FIN―




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