導かれし者たちの短編

□ドラクエ4字書きさんに100のお題・2
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64.理解に苦しむ


船上を吹き抜ける海風が、甲板に佇むクリフトの頬を優しくなでる。

目を閉じると、左右の耳を同時におだやかな波音がくすぐる。潮の香りは甘く豊かだ。凪いだ海とはなんと心地よいのだろう。

このままあと数十秒もまぶたを触れ合わせていようものなら、昼間から夢の世界にさらわれてしまいそうだ。

「けれど……居眠りをするには、少し寒いかな」

クリフトはひとりごちて、お仕着せの橙色のストールを首にしっかりと巻き直した。

質素を好むクリフトにしてはずいぶんと華やかな色あいだが、15歳という異例の若さにして修道士から神官に昇格した折、サントハイム国王から賜った極上の絹織物だ。

もう何年も、丁寧に洗っては身につけ ているが、一向に色あせることも、傷むこともない。長きに渡ってまといたい、大切なクリフトの宝物だった。どんな過酷な旅の間も決して肌身から離すことはないだろう。

(それにしても……)

クリフトはちらと瞳を上げた。

「ん?なあに?」

屹立した高いマストに絶妙なバランスで腰かけて、ぶらぶらと楽しげに足を揺らす姿。

「なに?もしかして敵の姿でも発見したの?クリフト」

にわかに嬉しそうになる声に、クリフトはため息をついた。

「いいえ、違います」

「なーんだ、つまんないの」

声の主ーーーそれは当然といえば当然ながら、サントハイムの音に聞こえし「おてんば姫」アリーナ王女だったーーーは、あからさまに落胆すると、「えいっ」とかけ声をつけて勢いよくマストから飛び降りた。

足の付け根ぎりぎりの丈しかない柔らかいスカートが、花が開くようにふわりと舞い上がる。

クリフトはアリーナが飛び降りようとする瞬間、彼女のあまりにも短いスカートがそうなるであろうとあらかじめ予測出来ていたので、思いきり首をねじって顔を反らし、ぎゅっと目をつぶった。

「姫様!」

目をつぶったまま、叫んだ。

「なんとあられもない。かようにたしなみのないお振る舞い、もしも国王陛下がおわしましたら、どれほどお嘆きになりますことか」

「こんなところにお父様なんていないもの」

アリーナはじつに身軽な仕草で着地すると、甲板を靴のかかとで叩きながらつんとして言った。

「お前はいつも、もしもで話をするのね。

もしも、この場が諸外国の王侯貴族が集まる社交の場でありましたなら。

もしも、今ここで姫様がサントハイム大使として磨き上げられた礼儀作法を披露せねばならないのでしたら。

姫様は一体、どうするおつもりなのですか?……って、どうもしないわよ。だってそんな「もしも」存在しやしないんだからね」

「で、ですがもしも、その「もしも」が存在しなかったとしても」

クリフトは自分でもなにを言っているのかだんだんわからなくなりながら、必死で食い下がった。

「王女たる者、いついかなる時も淑女としての品格をお忘れなきようにせねばなりません」

「いいじゃないの、この旅の間くらいわたしの好きなようにしたって。

お前まで、いつまでも頭の固い大臣たちやお城のお偉方たちと同じことを言わないでよ」

クリフトは弱り果ててため息をついた。

「ですが、姫様」

「わたしね、クリフト。この旅に出てから、やっと体の底から空気が吸えている気がするの。

その空気の名前は「自由」と言うのよ」

アリーナはクリフトをまっすぐ見つめ返した。

「自由の空気には、特別な香りがあるの。

胸の奥まで心地よさで満たされる、甘く澄んだ爽快な香り。お城のドレスルームの鏡台にずらりと並んでいる、どの香水の瓶にもない香り。

広い海の中をどこまでも泳いでいく、大きなお魚ってこんな気持ちなのかしら。わたし、今、毎日が楽しくて仕方ない。手足を動かすたびに体じゅうに力があふれて来る気がする。

でも……それって、不謹慎なことなのかな」

「え?」

アリーナは今度はもじもじと下を向いた。

「だって、世界は人々をおびやかす魔物だらけだし、お父様やお城のみんなもどこへ行ってしまったのかわからないし……。

こんな状況が楽しくて仕方ないなんて、どう考えてもおかしいわよね」

「そんなことはありません。

今ここにいる自分が快いということと、今の状況が楽しいかということは、全くの別問題です」

クリフトはきっぱりと言い切った。

「たとえ悲しい出来事があったからと言って、いつまでも悲しみに沈んで生きていくことが誠実な訳ではないでしょう。

人は、己れに与えられた環境でなにがなんでも生きてゆかねばならないのです。時代も他人も風習も、個人の力でそう簡単に変えることは出来ません。

我々がたやすく変えられるのは、自分自身だけなのですよ。そしてそのたやすいはずの変化が、ある種の人間にとってはどれほど難しいことか。

わたしはアリーナ様を不謹慎だとは少しも思いません。むしろ、どんな状況の中にも自分自身が心地よく生きるための方法を見つけ出せる、強く逞しい貴女様を誇りに思います」

「あ……ありがとう」

手放しで褒め称えられ、アリーナは顔を真っ赤にしてあわてて首を振った。

「で、でも、わたしにはほら、さっき言ってた淑女としての品格もないし……」

「品格が何の役に立ちましょうか。人間の本当の品格とは、わざわざ意図せずとも心身から匂い立つように漂うもの。

アリーナ様には真の品格がすでにおありになる。付け焼き刃のしとやかさや見せかけの儀礼など、はなから必要ないのです」

「あぁ……う、うん。そうね……」

「ですから姫様には、そのようにご自分を卑下なさるご理由はまったくありません」

「う……ん……」

語気を強めて言い切るクリフトを眺めながら、アリーナは困ったように肩をすくめた。

(まったく、もう……。クリフトのこういうところ、ほんと理解に苦しむわ。

ほめてくれるのは嬉しいんだけど、だったら一体、この人の本音はどっちなんだか)

さっき、自分で言ったことを今度は真っ向から否定している。

いつもそうなのだ。諫(いさ)めておいて、反省すると急にそんなことはないと持ち上げる。

アリーナに対してのみ、クリフトはよくそうするのだ。しかも本人は、そんな己れの矛盾にちっとも気づいていない。

たとえば、「姫様、女だてらに魔物と素手で戦うとはなんとはしたない」と眉をひそめるくせに、武術大会に出場するわたしを誰よりも熱く応援する。

魔物に蹴りを入れるたび、両手をちぎれるほど振り、涙を流さんばかりに高揚して「姫様、なんと素晴らしい動き!姫様は最高です!

わがサントハイムのアリーナ姫こそ、唯一無二の地上の軍神!ハイホォーー!」と絶叫していたのを、わたしはちゃんと知っているんだからね。

「……ね、クリフト」

「はい」

「お前はどうして、いつもわたしにくどくど小言を言うの」

突然聞かれて、クリフトは真顔になった。

「それは……、わたしはサントハイム王家の臣にして、恐れ多くも姫様のお世話役でもありますゆえ。

姫様の御為を思ってこそ、お耳に痛い諫言(かんげん)を申し上げております」

「それじゃあ」

アリーナはつかつかとクリフトに歩み寄り、人差し指で彼の胸をとん、と押した。

つまさきでぐんと背伸びしたアリーナの顔が、思いのほか間近に寄せられる。

クリフトはにわかに動揺して、かっとほほに朱色を昇らせた。

「一方でお前はどうして、わたしのことを手放しで認めて、励ましてくれるの」

「……そ、それは……」

「わたしは今のままじゃダメなの?それとも、このままでいいの?

お前の本心は、一体どっちなのかしら。クリフト」

「そ、それはその……」

ようやく己れの一貫性のなさに気づいたのか、クリフトはうろたえて視線を左右に泳がせた。

主家の姫とのあまりに近すぎる距離をなんとかしようとあわてて後ずさりしたが、アリーナ姫は顎先を上げてますます顔を近づけて来たので、どうすればいいのかわからなくなり、必死で叫んだ。

「申し訳ありません。確かにおっしゃる通り、わたしは姫様に対して非常に理不尽なことを申し上げていたようです。

ですが……」

「ですが、なに?」

アリーナにじっと見つめられ、クリフトは真っ赤になった。

「ですがちゃんと……自覚しております。

それは、わたしの中にふたつの心があるからです」

「ふたつの心?」

「はい」

クリフトは情けなさそうにうなずいた。

「一方は、姫様にサントハイムの次代王位継承者として、儀礼を守り慎み深くふるまわれるよう、ご指導申し上げねばと思う家臣の心。

そして、もう一方は」

「もう一方は?」

クリフトは言い淀むようにしばらくうつむいていたが、思い切って顔を上げた。

「クリフトという、愚かで弱い一介の人間である、ありのままのわたしの心です」

アリーナは首をかしげた。

「……よく、わからないわ。もっと、理解しやすい言葉で言って」

「つまり、その……姫様の家臣であるべきだという心がひとつと、

もうひとつ、幼き頃より姫様をお慕い……いえ」

クリフトは急いで言い直した。

「幼き頃より今も変わりなく、姫様の幼なじみのままでいつづけたいという心がひとつ。

このふたつの心が混在しているゆえ、わたしの言動はときどき支離滅裂になってしまうのです。まことに……申し訳ございません」

「ふうん」

アリーナは頷いた。

「じゃあ、そのお前の中のふたつに分かれてしまっている心は、いつかひとつになるのかしら?」

「ならないでしょう。それは磁石の対極のように、正反対で決して合わさることのない心なのです。

どちらかひとつを、綺麗に捨て去らない限りは。そしていずれ、必ずそうしなければならない時が来ます」

「それじゃあ、お前はその時が来たら、どっちの心を捨てるというの?」

クリフトはそれには答えず、黙ってほほえんだ。

その笑顔はひどく寂しそうで、アリーナは胸のはじっこが、すんと痛むように急に縮こまるのを感じた。

「いずれにせよ、アリーナ様はなにも気になさるご必要はありません。そのときは、わたしのこの支離滅裂も改善されましょう。きっと、そう遠い未来ではありません。

どうか、これだけはお知り置きください。

わたしは生涯、いち家臣としてアリーナ様をお守り致します。ひとときもおそばを離れることはありません。

わたしはいついかなる時も、貴女様の進まれる道を力の限りお支えしたいと考えています。たとえいつか死して、我がむくろが醜く朽ち果て、かたちなき魂だけの存在になろうとも。

わたしの忠節は生涯、つねに貴女様だけのもの。

それこそが、わたしの望む生き方であり、心のありようなのです」

さあ、ここは冷えます。もう中へお入り下さい。

この海の様子では、残念ながらしばらく敵が現れることもないでしょう。

クリフトに穏やかに促され、アリーナはきびすを返すと、船室への扉をぎいい、と開けた。

閉まりかけた扉のすきまからおずおずと振り返ると、もうクリフトはこちらを向いておらず、甲板の舳先に立って遠くの海をじっと見つめていた。

海と同じくらい蒼い目。

祖国の王よりじかに賜った橙色の鮮やかなストールが、まるで縛るように彼の首回りにしっかりと巻きついている。

(クリフト)

たったいま聞いた言葉は、一体なんだったのだろう?

まるで、ふたりの未来へのかすかな希望をばっさりと断ち切った断絶の宣言であったような気がするし、また、ひとりの男から女への、これ以上ない峻烈な愛の告白であったような気もする。

(まったくもう、理解に苦しむわ。

……ううん。ほんとうはよくわかってる。

お前の言いたいことも、お前の心も、よくわかってるの。でも、わたしはわかりたくないのよ、クリフト。

そんな物分かりのよさ、わたしはいらない。忠節も礼儀も欲しくない。

たったいま、お前が捨て去ろうとしている心のひとつを、わたしは大事に握りしめていたいの。ずっと)

波音がふたりの耳をくすぐる。クリフトが、何かを振り切るように苦しげに目を閉じるのと、アリーナがまつ毛を伏せて悲しそうに唇を噛んだのは、ほぼ同時だった。

彼と彼女の背中の後ろで、ふたりの心を分かつかのように重々しい扉が、容赦なくばたんと閉まる。船上を吹き抜ける海風が、甲板に佇むクリフトの頬をなでた。



―FIN―




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