クリアリ短編1

□裏
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……あ、今貴方、ちょっと期待してここをクリックしましたね。

残念!(みのもんた)

あるわけないでしょう、ここにう、う、う……裏なんて。

男クリフト、この世に生を受けて苦節二十余年、愛しいあのお方との表の関係もまったくの停滞中なのに、裏にまで発展するわけないじゃないですか。

大体、裏ってなんなんですか、裏って。

はあ……いつになったら、わたしは姫様に想いを告げることが出来るのかな。

季節はもうすぐ秋。

レモンバームの花が白から空色に変わる頃には、わたしがあのお方の旅の従者を仰せつかって、早や一年。

あのお方とわたしの距離は変わらない。

近くも遠くもない、あるじと臣下の関係。

あ、ちなみにレモンバームとは、サントハイム植物医学において、非常に高い癒しの力を誇る草花です。

かつて古代グラモーガン公ルウェリンは、レモンバームの茶を愛飲していたおかげで108歳まで生きたと書物に記されていますし、

こちらも古代サイデナムのジョン・ハシ―という男は、毎朝レモンバームの茶に蜂蜜をたらして飲むこと50年、なんと116歳まで病ひとつすることなく、すこぶる健康に生きたと言われています。

料理に使うなら細かく刻んでサラダ、魚料理のホワイトソースに、またピクルスにもとても合いますし、

ゼリーやカスタード、フルーツジュースやワインに入れても、素材本来の甘さを守りつつ、独特の風味を引き立たせます。

わたしは教会で育てたタラゴンとレモンバームを混ぜ、ブレンドビネガーをよく作っていました。

ええ、酸っぱい食べ物が好きなのです、意外と。

たとえばザワークラウトなどは、肉食を断たねばならぬ神学校時代、空腹を紛らすためにしょっちゅう食べていましたよ。

えっ、ザワークラウトとはなんだ、ですって?

ザワークラウトとは、古代仏語でシュークルート、オランダ語ではズールコールと呼び、ポーランド語ではキショナ・カプスタとも呼ぶ、あの料理です。

そうそう、古代日本語では「キャベツノスヅケ」とも呼びますね。

それならよく解る?そうですか。

耐えがたい空腹が痛みに代わって、胃がきりきり締め付けられる寸前、山のようにザワークラウトが盛られた大皿に顔を突っ込んで、一心不乱に食べる。

あの時ほど食物のありがたみ、大地がもたらす自然の恵みを尊く感じた事はありません。

なーんて本当は、つけ合せに鴨肉の燻製が食べたい、豚の塩焼きが食べたい、と、生臭な渇望で頭がいっぱいだったのですけれどね。

神学校時代、勉学より魔法学より苦しかったのは、なにより成長期の少年の健やかな食欲との戦いでした。

やせっぽちで小柄な学生が多いなか、なぜかわたしばかり背がぐんぐん伸び、お前、もしかしてお気に入りの王女からこっそり施しでも受けているんじゃないのか、とよく嫌味を言われたものです。

確かに姫様は、厨房から盗んで来た飴をいつもポケットにたくさん詰め込んでいましたが、

わたしが野菜以外を断っているのを知ったとたん、いっぺんに口に放り込み、氷を砕くような勢いでがりがり噛んでしまうと、

「ほら、もうなんにもなくなっちゃったわ。

だからクリフト、辛いのはお前ひとりじゃないよ。

これからはわたしも、お前といっしょだよ」とおっしゃって、顔じゅう笑顔になさったのでした。

城に戻られてから、今日からクリフトと同じように、わたしも野菜断ちをすると言い張って、ブライ様にそれはそれはこっぴどくお叱りを受けたようでしたが。

えっ、さっきから鍋をかきまわして、一体なにを作っているのかって?

ええ、そうです。これはレモンバームの葉を真ん中に閉じ込めた蜂蜜飴。

香草嫌いの姫様に、滋養たっぷりのレモンバームを召し上がって戴くため、このわたしが編み出した「裏」の手なのです。

じつはあまりお気づきの方がいらっしゃらないのですが、姫様は飴玉が小さくなると、そのままごくんと飲み込んでおしまいになる癖があります。

なんでも飴を噛むと、大切な存在が苦しんでいたことを思い出してしまい、それが嫌で、いつも慌てて飲み込んでしまうのだそうです。

誰でしょうね。飴で思い出す、苦しんでいた存在とは。

「んっがっぐっぐ」のサザエさんかなにかでしょうか。わたしにはわからないのですが……。

ですが、姫様のそのような不思議な癖も、今のわたしにとっては助かりもの。

これを上手く使うことによって、お嫌いな香草を気付かずに召し上がって戴くことが出来ます。

そう、誰だかわからないにせよ、姫様にその想いを与えた存在に、わたしは深く感謝なのです。

……いや、待てよ。

姫様にとって大切な存在。

よく考えるとこれは、まったく聞き捨てならない言葉なのではないだろうか?

姫様が飴を飲み込む癖を持つようになったのは、ずいぶんとお小さい頃からで、となるとその者は、当時から姫様にとって大切な存在であったということになる。

一体誰……わーっ、熱い!熱い!

よ、余計な考え事をしていたら、飴が煮詰まってしまいました……。

……もう止めよう、答えの出ないことで悩むのは。

考えたって、あのお方とわたしの距離は変わらない。

近くも遠くもない、あるじと臣下の関係。

えっ、あんたは馬鹿だ、ギガデイン級の鈍感神官だ、ですって?

なんですか、それ?鈍感神官。ずいぶん語呂がいいですね、ふふふ。

とにかく、わたしは今からもう一度この飴を作りなおします。

貴方こそ、そもそもなにが目的でここにいらしたのでしたっけ?

あ、そうそう。どうか姫様には秘密にしておいて下さいね。


あの方にお健やかでいて欲しくて、太陽のように変わらず輝いていて欲しくて、


とろけるような黄金の甘さの中にわたしがこっそり施す、



「裏」の手のことを、ね。




−FIN−





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