クリアリ短編1

□誓いの命
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「ねえ見て、クリフト!花が咲いてる」

まるで刃物のように屹立した岩場の続く荒れ野を、導かれし者たちを乗せた馬車は進む。

「……本当ですね」

「ね、すごいでしょ。こんなにひび割れて乾ききった土の上に、こんなに綺麗に」

サントハイムの王女アリーナの朗らかな声に、従者の神官クリフトは身を乗り出して車輪のきしむ音の響く地面を覗き込んだ。

なんという種類の花なのだろう。鋼色をした硬い土の亀裂から、雪を集めたような純白の花が一輪、誇らしげに花弁を広げて天に顔を向けている。

「たおやかで美しい外見とは裏腹に、さぞ生命力を秘めている花なのでしょうね。強く、何者にも屈しない逞しさと勇気を携えている」

アリーナ様、まるで貴女様のように。

その言葉をクリフトは飲み込んだ。

「綺麗……ああ、もう見えなくなっちゃった」

アリーナは残念そうに首を振ると、御者席に座る人影をきっと睨んだ。

「すぐそばにいるんだもの。何を話してたのか聞こえてるんでしょう。花を見ている時くらい、馬車の歩みをゆるめてくれたって罰は当たらないんじゃないの。

パトリシアだってもう疲れてるわ。ただでさえ、朝から一度も休憩を取っていないのよ。

それもこれも、あんたがやたらと鞭を打ちつけて馬車を駆り続けるからじゃない。一体、何を考えているの」

「おめでたいやつらだ」

御者席から響く、清き水のせせらぎが香気を含んで流れるのにも似た、誇り高く澄んだ感情のこもらない声。

エメラルド色のまなざしは、決して癒えることのない深い傷を残して尖り、明らかに人間以外の血を感じさせる異質なほど美貌の少年は、こちらを一瞥するとすぐ前に向き直り、背中越しに何かを放り投げて来た。

「なにするのよ!」

「アリーナ様、お待ち下さい」

クリフトは主人を制し、足元に転がった空っぽの水筒を拾い上げた。

「携行用の飲み水はもう一滴もない。この乾燥地帯を今日のうちにさっさと抜けなければ、干からびるのは地面じゃなくて俺たちだ。

呑気に花を眺めてる余裕があるんなら、一体どうやって八人分の飲み水を確保するのか、せいぜい考えることだな」

「……そんなの」

アリーナは戸惑ったように唇を噛んだ。

「残りの水の量なんて、いちいち確認してから飲んだりしないわ。早いうちに教えてくれなきゃ……解るわけないじゃない」

「姫御前はこれだから困るんだ」

手綱を両手であやつり、じつに巧みに馬車を駆りながら、勇者の少年は振り向かずに言った。

「この三日のあいだ野宿、辺りの景色は見ての通り。いちいち教えてもらわないと解らないことか。

毎度、食事のたびに考えなしに水をがぶ飲みするのは誰だ?ここは召し使いが金箔入りの水をせっせと運んでくる、恵まれたお城の中じゃないぜ。

これから先も旅の一行としてついて来るつもりなら、少しは危機管理術ってものを学べ。

それが出来ないのなら、いくら武術に長けていると言え、世間知らずのお姫様なんて単なる足手まといにしかならないね」

「無礼な!アリーナ王女に対してその口の聞きよう、たとえ勇者とて見過ごせぬぞ!」

「ブライ様」

皺深いおもてを強張らせ、憤然と立ち上がろうとした老魔法使いの肩を押さえ、クリフトは急いで首を振った。

「彼は間違ったことは言っていません。どうか、ここはご寛慮を」

「……ふん」

ブライはいまいましげに鼻を鳴らすと、渋々荷台に腰を下ろした。

「この世をしろしめす神とやらも、じつに面妖な計らいを。これほど探してようやっと出会うことが出来た救世の勇者が、まさかあのように礼儀を知らぬ若造とは想像もしなんだわ」

「……水の気配がします」

立ち込めた険悪な空気を振り払うように、水晶玉を見つめていたミネアが静かに言葉を発した。

「東の方角にオアシスがあるようです。緑の匂いもする。このままあと二時間も進めば、日没までには」

「二時間か」

勇者の少年は目を伏せ、考えを巡らせているのか、軽く首を傾けて黙り込んだ。

傍らのアリーナの目が、吸い寄せられるようにそちらへ向けられるのに、ふとクリフトは気付いた。

(アリーナ様……?)

勇者の少年の長い髪に隠された横顔からは、その表情を伺い知ることは出来ない。そうでなくとも、この美しい救世主は常日頃から非常に表情の変化というものが乏しいのだ。

数十秒考えて少年は顔を上げ、片手をつと白馬の背に伸ばすと、形のよい唇を珍しくほほえませて言った。

「悪いな、パトリシア。お前頼みなんだ。しんどいだろうけどあと少し頑張ってくれるか。

オアシスについたら真っ先に水を飲ませて、腹一杯草を食べさせてやる。蹄鉄もそろそろ換えてやるからな」

従順な白馬は全てを飲み込んでいるらしく、足を止めずに小さくいななき、その声にはっと我に返ると、慌てたようにアリーナは少年から目を逸らした。

(……まさか)

尖った針を刺したような、痛みにも似た不安が胸をよぎる。

クリフトは小さく首を振り、自分に言い聞かせるように口の中で呟いた。

(まさか、な)

だが傍らのいとしいあるじは、既に自分だけの思いにとらわれて押し黙り、二人で見つけた白い清らかな花ももうとっくに見えなくなっていた。
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