クリアリ短編1

□天使が来る夜−I wanna kiss− 
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眠れない夜は、いつも貴方を思う。


そうすれば心が灯のようにぽっと温かくなって、とげだらけにささくれだったもどかしさが、淡雪のように優しく溶けて消えて行くから。

ねえ、クリフト。

こんな月の明るい夜は、あなたもわたしを少しは思ってくれている?

窓から顔を出すと、町並みの中に、蔦の絡まる小高い尖塔を覗かせている、石造りの古い教会が見える。

祭壇に膝まづき、頭を垂れて静かに祈りを捧げる姿は、まるで彼自身が翼の生えた天使であるかのように、限りなく無垢で静謐。

後ろから忍び足で近付いて、突然背中から思い切り抱き着くと小さく声を上げて驚き、振り向いてわたしを認めては、切れ長の蒼い目を細めて笑う。

長い睫毛にくちづけ、そのまま彼をお城へ連れて帰ってしまいたいけれど、そうもいかなくて。

神と共に生きて行くために、彼を切実に必要としている人々が、この街には溢れているから。

わたしはいつもこうして、夜空に会えないあなたを思う。

すらりと背の高い身体に、磨き抜かれた水晶のような澄んだまなざし。

細く長い指、珊瑚色のきっぱりした唇。空気まで和らげる、物静かで低い声。

なにもかもが愛おしくて、全てを自分のものにしてしまいたくて、でも出来なくて。

だからわたしは金色の月に、届かぬ願いを託して投げた。

「どうか、クリフトに会えますように。ほんの少しだけでいいから」

それから少し考えて、ほんのり贅沢な付け加えも。

「会えたら、いっぱいいっぱい、キスしてくれますように。

わたしが好きだって言ってくれますように」

「わたしはいつでも、アリーナ様の事が好きですよ」


不意に後ろから掛けられた、織りたての絹のような柔らかな声。

わたしは思わず瞬きすることすら忘れて、夜空に浮かぶ月と向かい合う。


これは、夢?


それとも、もう叶えてくれたの?


痛いくらい高鳴る心臓の音を聞きながら、わたしは微かに唇を震わせた。

こんなに期待して、振り向いて、もしそこに誰もいなかったら?

夜を統べる妖精ナイトメアが振り上げたワンダーワンドの作る、からかい混じりの悪戯だったとしたら。

首を傾げて舌を出し、馬鹿なアリーナと自分を笑うことで、こんなに弾ませてしまった愚かな心をなだめることすら、きっとわたしには出来ない。

振り向くのが怖い。

でもちゃんと、見なくちゃいけない。

なによりも大切で、愛しくてならないあなたがほんとうに今、そこにいるのかを。

ぜんまい仕掛けの人形のように硬い仕草で、おずおずと振り返ると、



彼はいた。



白い歯を見せて、笑ってる。


「どうして?」

まるで自分のものじゃないような、か細く頼りない声が洩れる。

「どうしてここにいるの?クリフト」

「侍従長のカーラさんに、特別に手引きをして頂きました。今宵、神に捧げる月夜の祈りを、姫様と共に」

じゃあ、夢じゃないんだ。

そうはっきりと解ったのは、しなやかな腕がわたしを抱き寄せて、引き締まった胸に頬を埋め、白檀の香りを体の奥深くまで吸い込んだ瞬間だった。

「聖なる女神ルビスの助けを借りて、参りました」

クリフトは微笑みを含んだ声で言った。

「アリーナ様、貴方の願いを叶えるために」

「わたしの願いって?」

ほんとは解っているのに、わざと問い返すのは、精霊の羽ばたきのようなその囁きを、もっと聞いていたいから。

でもクリフトは、もう答えはしなかった。

涼やかな息が額を撫で、睫毛の下から蒼い瞳が覗く。鼻先が触れ、そっと顎を持ち上げられる。

唇が重なり、全身に痺れるような喜びが駆け抜けて、わたしは目を閉じて、大切な願いが叶えられた幸福に心から酔いしれた。

「お月様に、お礼を言わなくちゃ」

顔中に甘いキスの雨を降らせ、ようやく離れた唇からこぼれた呟きに、クリフトは微笑み、わたしの両頬を掌で包んだ。

「お月さまだけではなくて、わたしにはないのですか?貴方様からの労りのお言葉は」

「もちろん、あるわ。それから命令もひとつ」

「なんでしょう」

「まず、お礼を言わせてね。来てくれてありがとう、クリフト。

すごくすごく、体がよじれちゃうくらい逢いたくてたまらなかったの」

クリフトはにっこりと笑い、わたしの鼻の頭に音を立ててくちづけた。

「身に余るお言葉、有り難き幸せです」

「それから、今度は命令よ」

「なんなりと」

「月が消えてしまうまで、ううん、消えてもここにいて」

わたしは顔を赤らめ、着ているナイトドレスの裾をもじもじと引っ張った。

「月の女神様にささげる祈りが終わっても……お願い、まだ帰らないで」

だが答えはない。

わたしは不安になって顔を上げようとしたが、両頬をしっかりとクリフトに包まれていて動くことが出来ない。

すると一瞬の静寂の後、まるで、これは永遠に自分のものなのだと印を刻むように、もう一度、今度は長く深いくちづけが降りて来て、

わたしは呼吸することすら忘れてしまうほど甘く切ないキスに、深々と身を委ねた。

「一応演出上では、天使の力を借りてやって来たということになっているんですけど」

唇を離すと、クリフトははにかむように笑って、わたしの背中を引き寄せた。

「このままここにいれば、わたしは天使にあるまじき事をしてしまいたくなります。かまいませんか?」

わたしは彼の身体に両手を回し、子供のようにことんと首をもたせかけた。

答えなんて、言うまでもない。

だって恋する二人には、それがなにより月や星、この世の全てに祈りを込めても欲しいもの。

精霊が空をめぐる夜、天使がわたしの元に舞い降りて、願いを叶えてくれたら目も眩む幸せが訪れる。

わたしはクリフトの頬に唇を押し当てて、悪戯っぽく囁いた。


「きっと、叶うわ。

クリフト、それがあなたの願いなら」



今夜やって来た蒼い目の天使は、見えない翼を広げ、わたしににっこり微笑んだ。





−FIN−






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