真・三國無双(庶法)

□*香霧――雅やかな恋
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 香霧のなかに麗人を見た。
 夜が吐き出す乳白色(ルーパイスー)の霧は紗のようにそのすがたを押し包み、烟月に浮かび上がらせる。
 長剣と短刀を繋いだ風変わりな剣――撃剣を手にした徐庶は、飾り紐を夜気にまかせながら対峙していた。
「唐突だけれど…俺はあなたが気に入りました。あなたほど美しい人はいないでしょう」
 精悍な風采を隠すように頭巾をかぶる徐庶同様、人影もしとやかに衣被きをしている。それも徐庶のように戦袍の一部としてかぶるようなものではなく、豪奢な金糸で精緻な刺繍を施された深紅の被衣(かつぎ)だ。
「ええと…、なのでここは、俺に拐われていただきたい」
 挑発的な艶紅(イェンホン)の下にあるかたちのよい唇が、やはり挑発的に笑む。幻のごときその妖艶に、徐庶は見とれた。
 しかし幻と呼ぶにはあまりにも鮮烈に、彼は錦繍を翻してその美貌をあらわす。漆黒の髪から下ろした織物を肩にかけ、武器のように構えた。
「待っていたぞ。傾国の美男子、法孝直が相手をしてやろう。覚悟を決めてかかってくるといい」


 一瞬ののち、ふたりは同時に声を上げた。
「ほ、法正殿?」
「…徐庶?」
 哎呀、と徐庶は顔をほころばせ、頭巾を肩に下ろす。大股に歩み寄ると、彼の武器であり防具でもある連結布ごと法正を抱きしめた。 
「信じられない。こんなところであなたに逢えるなんて…夢でも見ているようです」
「それは、俺もだ…だがなぜここにお前がいる?」
「俺はその、孔明たちと哨戒に…ああ、道理で美しいと思いました。貴方なわけですね」
 徐庶の答えは普段の彼に似ず、的確とは言い難い。しかし霧に濡れた髪に武骨な指をすきいれられた法正は満更でもなさそうに目を細め、
「大仰だな」
 踵を浮かせ、賛辞をくれた唇に礼をするように口づけた。
「ではありますが、傾国の美男子とは、まさか…?」
 唇を返しながら、徐庶はからかうように額をぶつけて覗きこむ。失言に気づいた法正が口をつぐむと、
「軍師を担ぐのも面白いもんだねえ」
「あなたのそんなに嬉しそうな感嘆詞ははじめて聞きました」
「士元、孔明、どういうことだい?」
 鳳雛、臥龍と音に聞こえた蜀の軍師――龐統と諸葛亮が、霧を分けて姿を現した。
「いやあ、おまえさんたちが最近忙しくて、逢瀬の時間もないみたいだからねえ。あっしと諸葛亮でちょいと驚かせてやろうと思ってさ」
「軍師のおふたりを嵌めるには、ひねりがなさすぎるかと危ぶみましたが…取り越し苦労でしたね」
 知の両雄は、我が事成れりとばかりに顔を見合わせる。
「参ったな。君たちが手を組んだら、俺に勝ち目はないよ」
 いまだ法正をゆるく抱いたまま、徐庶はふたりを賞賛する。羨望や劣等感が混じりがちな言葉も、このときばかりは喜悦にみちていた。
 先刻、辺境への視察から戻ったばかりの徐庶へ、諸葛亮と龐統が持ちかけたところには――
 いわく、このところ夜盗が巷を荒らしている。なんでも美女に目がないそうだから、こちらから囮を立てて誘い込み成敗しよう、とのこと。
 そこまでは聞いていた。今夜はその予行練習、夜盗に扮した徐庶をみなで包囲し取り押さえる算段だった。しかしその時点では囮役には女官を使うと、二人とも言っていたのである。
「考えてみりゃ、本物の娘さんを危険に晒すわけにもいかないからね」
 囮に選ばれた法正のほうはといえば作戦こそ知っていれど、予行練習だとは聞かされておらず、本物の夜盗と遭遇したものと思っていたようだ。
「しかし、法正殿までこうもあっさりひっかかってくださるとは。嬉しい誤算でした」
「…あなたがた揃いも揃って、人がお悪いですよ」
 徐庶の腕のなかで、情人の口づけをいくつも髪に受けながら法正が苦言を呈する。
「法正殿は、意外とお人好しだからねえ」
 どちらにしてもふたりの知己からの、何よりのねぎらいなのだ。徐庶の心は温かくなる。
「ありがとう。しかし拐おうというのも、これでは演技とは言えないな」
「いいよいいよ、持っていきな」
「今なら連結布もおつけしますよ」
 和やかに言葉を交わす水鏡門下生に囲まれ、徳性なき参謀はひとり不興を託った。
「…いずれお二人には倍返しです。俺にみだりに恩を売ったらどうなるか、教えてさしあげますよ」
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