真・三國無双(庶法)

□*風花――雄々しき恋
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 軍師との逢瀬のために練兵場に赴くというのも妙な話だ。
 士卒が上げる裂帛の気合いが寒天にぬける。重なる嘶きを聞くに、騎馬での鍛練をしているようだ。
(馬超殿が奮闘なさっていそうだな)
 そのなかに情人の声を聞き分けつつ、法正は隣接する厩舎に足を運んだ。
 法正の愛馬は――その腹黒にそぐわぬとはよく言われるが――白馬である。雪白(シュエパイ)、という名のこの馬は少々臆病なのが難だが、獣らしからず賢いところが気に入っていた。きちんと法正の眼を見て、彼の考えていることを理解する。厩舎から出す前に頸を撫でてやると、甘えるように鼻面を寄せてきた。叱ろうかとも思ったが、聞き分けのよいこの馬が甘えてくるのも珍しい。そのままたてがみを指で梳いてやっていると、
「これは軍師どの、今日は愛馬と悪巧みですかな」
 矍鑠とした声が背中にかかった。馬を構う手を止め、法正は振り向く。
「黄忠殿。…ご精が出ますね」
 老いてますます盛ん、と音に聞こえた弓の名手が厩舎に入ってくるところだった。馬を連れにきたところを見ると、これから騎馬の訓練に加わるつもりのようだ。さすがに趙雲や関羽、馬超と並び「五虎大将」と称されるだけのことはある。
「なに、若武者の戦振りに居ても立ってもいられなくなりましてのう。どうじゃ、法正殿も参戦なさらぬか」
 定軍山で軍監を務めてからというもの、黄忠は彼に殊勲をもたらせた法正を買ってくれているようだ。以来何くれとなく気にかけてくれるこの老将を、無論法正も嫌いではない。
「お戯れを。いやしくも軍師の分際で、五虎大将の鍛練に混ざるほど無謀にはなれませんよ」
「その無謀をものともせぬ軍師もおるようですぞ」
「そのようですね。何を隠そう俺はその軍師に、御の稽古をつけてもらいにきたのですよ」
黄忠は呵呵と笑った。
「法正殿こそ、お戯れじゃのう。あの益荒男(ますらお)を乗りこなせる貴殿なら、稽古など必要あるまいて」
 黄忠らしい豪快な物言いだった。つられて法正が笑うと、愛撫を催促するように愛馬が頬を擦り寄せてくる。あしらう法正を、黄忠は愉快そうに眺めた。
「おお、馬も待ちかねておるようですわい。参りますかな。しかし法正殿は、馬面に好かれる相やものう」
 練兵場では、人馬入り乱れての戦闘訓練が行われている。参戦する黄忠の健闘を祈り、法正は視線を巡らせた。
 求める風体――確かに面長だ――は馬上にある。ざくざくとはねる硬い黒髪、瑪瑙を思わせる透徹した眸。がっしりとした長身に削げがちな頬や口許の無精髭は、いかにも精悍を思わせた。
 蜀の軍師であり、また武将でもある徐庶――徐元直のまとう翠緑(ツイリュー)の軍袍は武装というにはやや軽装だが、ところどころになされた金属の装飾や手甲は、やはり軍師の衣装とは一線を画している。彼の立場を象徴する出で立ちと言えた。
 撃剣という風変わりな刀剣を手にした徐庶は、低い気合いの声とともに短刀を繋いだ紐を鮮やかに繰り、長剣を捌いて敵を斬り伏せる。今は訓練用のものを使っているようだが、腕のほどは変わらなかった。訓練が一段落つくと輪から外れ、興奮する馬を宥めている。徐庶の馬も法正と同じ白馬だが、こちらはなかなか気性が荒かった。声をかけ、首を叩いてやるうちに、悍馬は次第に呼吸を落ち着けていく。
「ご壮健ですね」
「…法正殿」
 声をかけると、引き締まっていた表情が解れた。馬を降りて歩み寄ってくる。
「お手紙、届きましたか」
 ありかを示すように、法正は胸元に手を当てて見せた。
「稽古はともかく、あなたの勇姿を拝見しに。…まあ、あなたの偉丈夫ぶりを目の当たりにしたところで、今さら驚きませんが」
 名だたる猛将と渡り合い、士卒を打ち負かす軍師も珍しい。撃剣の達人と言われるわりに、徐庶は手加減は出来ないと公言している。知では卑屈なほど自信のない代わり、武にはかなりの覚えがあるらしく、強敵を前にしても怯むどころか、
「手加減なしでいく。覚悟しておいたほうがいい」
 そんな言葉を吐いてみせることもある。
 法正と徐庶が話しているあいだ、ふたりの馬は尾を振り、緩やかにじゃれていた。徐庶はあちこちに乱れる黒髪に手をのせる。
「いやあ、そんな…。執訊の方に礼を言わないとならないな」
「もののついでだからと仰っていましたよ。いよいよ罷免を仰せつかるのかと、内心ひやひやしましたが」
「有り得ないよ、辣腕の尚書令殿」
 今度は法正がまばゆそうに目を細めた。執訊とは辞令を扱う官人である。徐庶から法正への託けは彼を介していた。
「ああ、お手紙のお礼と言っては何ですが、蘭を差し上げます。沐浴にでもお使いください」
 法正は懐から、連結布にくるんだ蘭をとりだした。蘭とは藤袴のことで、おんなぐさやよろいぐさと並ぶ香草である。芳香を放つ葉を乾かした保存状態がいいものが手に入ったので、手土産にしたのだ。
「蘭…かい?」
「以前、俺が髪洗いに使っていたのはこれですよ。随分とお気に召したようなので」
「ああ、いや、あれは、香り自体が気に入ったわけじゃ…」
 徐庶は連結布ごと蘭を受け取った。少しばつが悪そうに、眉を崩して微笑む。
「それなら…また二人で湯浴みをしよう。この蘭はそのときに使いたいな」
 平包代わりの連結布が返ってくるときには、またなにがしかがくるまれていそうだな、と法正は思う。尽くしあうことには終わりがなくて、報復が信条の自分ですら、時に途方に暮れてしまう。
「雪白を出してきたんだね。じゃあ、はじめようか」
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