真・三國無双(庶法)

□*春光――華やかな恋
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 自分が軍師であるより武将であることを意識するのはこんなときだ。
 徐庶は引きちぎらんばかりに手綱を握り、一心に駒を駆っていた。疾駆する白馬のたてがみが晩冬の風にひゅうひゅうと鳴いている。馬上の徐庶はその雄勁な長身を屈め、少しでも抵抗を減らして速度を上げようと努めていた。
 目指す宮廷の敷地内に踏み入れたとき、徐庶は強く手綱を引いた。悍馬は威嚇のように大きく嘶き、後ろ足だけで立ち上がる。静穏な空気をやぶった闖入者に、番兵を務めていた武将のひとりが気づいた。
「徐庶か?」
「関羽殿、法正殿はどこにおられますか?」
 徐庶は荒ぶる馬を宥める間もなく降り立つ。平生から陰りがちな表情に、漂う悲壮が色濃い。逼迫した様子に、関羽も重々しく頷いた。
「うむ、今は宮室で休ませている。意識はまだ戻らぬようだが、兄者や典医も付き添って…徐庶?」
 戎衣の飾り紐を忙しく跳ね、徐庶は駆け出す。
「申し訳ありません、関羽殿! 馬をお願いします!」
 関羽を追ってきた関平が父のもとへたどり着く頃には、その背は宮殿内に消えていた。
「いつも冷静沈着な徐庶殿が、あれほど取り乱されるとは…」
 どうどう、と手綱を握る関平の言葉に、関羽は目を細める。
「無理からぬ事よ。…あのふたりは、些か睦まじすぎる」


 階段を駆け上がった徐庶は、人影を求めて視線を巡らす。宮城(きゅうじょう)の一室の前に星彩が立っていた。揺れ動くことの少ない美貌に、わずかに驚愕をみせる。
「徐庶殿? …つい先程使いを送ったばかりなのに、もう…」
 息を切らせて徐庶は遮った。
「法正殿は?」
「この奥です。ほんの今しがた、目を覚ましたようです」
 返答の終わらぬうちに徐庶は室内へと踏み込む。目隠しのためにか立てられた屏風の向こう、寝台に横たわる法正の姿があった。白装束をまとう褐色の肌。少し痩せたように見えるその人と目が合う。
「法正殿!」
「おお徐庶、よくぞ――」
「劉備殿、失礼します…!」
 枕元に控えている主君への礼もそこそこに駆け寄った。
「徐庶」
 起き上がりかけていた法正が、支えを求めるように腕をさしのべる。その腕すらももどかしげにすりぬけ、徐庶は法正に覆い被さるようにそのからだを抱きすくめた。法正の掠れた、安堵を含んだ重低音を、耳許で聞く。
「…来てくれたのか」
 ほんの数日前、胸一杯に嗅いだばかりの惑わすような法正の香りが、既に胸が痛むほど懐かしい。知らず、ますます腕に力をこめていた。
「当たり前でしょう…?」
 上下する頑強な肩を、法正の長い指がいたわるように撫でる。
「嘶きが聞こえたぞ」
「いったい…何があったんですか? 軍議中に卒倒なんて…」
 ようやく人心地がつき、徐庶は顔をあげた。法正はからかうように笑む。
「大事ないさ。少しふらついただけだ」
「どうやら過労らしい。朝から顔色が優れなかったのだ」
 劉備が語気を鋭くした。
「典医殿が呆れていたぞ。そなたときたら運ばれている最中にも、譫言で兵站をどうするか、などと言っていたそうだな」
「…覚えていませんね。譫言ですから」
 法正の激務はここのところ慢性化している。数日前、少し離れた城砦の哨戒に発った徐庶を見送ったときから疲労は見て取れていたのだ。いくら当人が「問題ない」と言い張ったとはいえ、そのまま任に就いてしまった己の不甲斐なさが悔やまれる。
「思えば入蜀より後、法正は人の何倍も働いている。当面養生させよとのことだ。徐庶――」
 劉備が命ずるより先、徐庶は申し出た。
「劉備殿。ならば彼のことは、俺に一任していただけないでしょうか」
 その後の手配りは神速だった。
 徐庶は法正を療養させるための屋敷を下賜され、ふたりでそこに移り住むことになった。法正が快方に向かうまでは、宮廷の仕事をここでこなすことが許されている。徐庶は連日山のような木簡を持ち帰り、法正のそばに灯りを点して看護の傍ら職務に勤しんだ。
 そんな姿を見せているのがよくないのかもしれない。その日も徐庶が宮廷から戻ると、法正は臥せったまま、燭火を枕元に手繰り寄せて竹簡を読んでいた。
「…また俺に隠れて仕事かい?」
 取り落とした竹簡がほどけ、ばらばらと散る。法正は取り繕うようにからだを起こした。
「…早かったですね」
 竹帛を拾い集めながら徐庶は嘆息する。
「君が部下に持ち込ませているのを、俺が気がつかないと本気で思ってるのか?」
 法正が不在のあいだは、彼を除く四人の軍師――即ち諸葛亮、龐統、姜維、そして徐庶でその肩代わりをすることになった。特に徐庶はその大半を志願して引き受けている。機密文書の取り扱いなどを行う尚書台の長官である尚書令、そして護軍将軍も兼任する法正。その策謀を学ぼうと、彼が指揮をとった戦の戦役図譜をひらいた折には、その奇才にあらためて圧倒された。
(…やはり、この方は天才だ…)
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