Parallel

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しかしたった一瞬、目があっただけで土方は俺に背を向けた。

「……っ」

それだけのことでここまできたなけなしの勇気だとかちっぽけな決意が乱される。
会いに行くそれだけのことが、そんなちっぽけなことが俺にとって山よりも高い壁なんだ。
それを乗り越える力が全身から抜けていくように感じた。
目があってなおも反応を返されないことが拒絶されたように感じたからだ。
俺の存在が無視された。
それでも俺は土方から目を離さなかった。
視界から消したら逃げられてしまいそうで。
ここはあいつがいなくてはならない場所なのだからそんなことはあるはずないのに。
それでも俺から逃げて行く土方が頭にこびりついて消えない。
弱気になってもいいことないのは重々理解しているけれど逃げる土方しかイメージできない。

「ちくしょう……」

だから、つかまえなくちゃならないんだ。
こっちを見ろと願うだけではもうダメだ。
傷ついてヘコんでいたらダメなんだ。
こわがっているだけじゃ。

「逃がすかよ」

土方は今部活中で周りに人もいっぱいいてタイミングとしては最悪だ。
嫌がるに決まってる。
機を狙った方がうまくいくんだろうなと頭の隅で考えながらも、そんなことをしていたらいつまでたっても話せないと主張する俺が背中を押す。
こうやって歩いておまえのもとに行くだけなら簡単なんだ。
体育館の中には知ってる奴もいる。
そいつらを越えて土方の元へ向かう途中、声をかけられたけれどそいつらにはおざなりに手を上げて応えた。

「どうしたんだよこんなところで、なにしに来たんだ」

当然の疑問だろう。
ゴールデンウイーク真っ只中で部外者が姿を現すなど奇妙な光景だ。

「土方に用があるんだよ」

その声に反応してか元から気づいていたのかはわからないが、土方の動きが止まる。
体育館のすみでボールをいじる手が。
コートの中では六人でボールを取り合っている。
なにをしているかはわからないが土方は順番待ちなのだろう。
肩で息をしているあたり、さっきまでコートにいたのは土方らしかった。

「土方」

まっすぐ歩いてきた足を、土方の前で止める。
周りの人間は不審げな目を向けてきた。
あからさまな視線を感じ注目を集めてしまっていることはわかっているけれど、かまっていられない。
今の俺には余裕がなかった。

「土方、ちょっといいか」

「いきなり来られても迷惑だ」

「あぁ、そう」

このくらいは想定内。
見向きもしない土方は俺を全身で拒絶してくる。
ポケットに突っ込んでいる指先が震えた。
それを握りつぶし、もう一歩、土方に近づく。

「いいから来いよ」

「帰れよ」

「俺は別にいいんだけどさ、ここで言って欲しい?」

声を落として囁くと、土方がやっとこっちを見た。
人を射る鋭い目付きで。

「卑怯者」

「ごめんね」

嘘だよって続けて逃げ出したい。
冗談だって、いきなり押しかけて悪かったなって言って逃げ出したい。
軽口叩いてこの目を少しでも柔らかくして。

「少しでてくる。すぐ、戻る」

言われた男は戸惑っていたけれど後輩なのだろう、どもりながら頷き俺を上目に伺ってきた。
険悪な空気を感じてか目の奥に興味と不安が入り混じっているように見える。
一体どう映っているのか。
少なくとも元彼に見えていないことは確かだ。
その視線に背を向けて黙って土方の後をついていくと体育館裏へと着いた。
ひねりのないありがちな場所だが、人目をさけるには絶好な選択だ。
壁を挟んだすぐそこに部員の面々がいるとしても中の騒がしさのおかげでこちらの声はおろか人の存在にさえ気づかないだろう。

「疲れてるだろ。座る?」

「すぐ戻るって言っただろ」

「そっか」

「なんの用だよ」

「なんの用かくらい想像ついてるだろ」

極力、平静を装った。
心臓は口からでそうなくらい暴れまわっていたけれど、それを土方に知られたくはない。

「携帯。受け取ってねぇの?」

「携帯?」

「教室に忘れただろ。あれ、家に届けたんだぜ」

「ああ、携帯……」

いきなり本題に入る前に少しだけ寄り道する。
ここまできて回り道するなんて度胸がないなと自分で自分に呆れるが、しかめっ面を緩めない土方に別れ話の続きを切り出すのは気が引ける。
少しでも和やかな空気にしたくて、苦肉の策でもあった。

「そうだな、受け取ってねぇよ」

「やっぱりか。家に帰ってないもんな」

「……用ってそれかよ」

「え、あ、違う違う、用は違うんだけどさ」

「なんなのおまえ。ほんと嫌な奴だな」

ぐしゃりと土方の顔が歪んだ。

「え」

予想外の変化に血の気が引く。
少しでも空気を変えたくてした話題なのに、どうしてそんな顔をするんだ。
ただでさえ悪かった空気が、もっと、もっと悪い方へと加速する。
自分はなにか取り返しのつかないことを言っただろうか。
考えてもわからない。
俺が理解できなくても地雷を踏んだのは確かなようだった。
歪んだ顔が、俺を責める。
心臓をでかい杭で刺されたような、

「死んじまえ」

そんな、感覚。

「え、ちょ、なんで、なんでそんなこと言うんだよ……」

頭が真っ白になって言葉が見つからない。
土方は唇を噛む。
憎まれている。そう思った。
なんでどうしてとグルグルと疑問ばかりが周り焦りが焦りを呼んだ。

「俺のこと嫌いになったのか」

そんなこと聞かなきゃいいのに気づいたら口走っていた。
掠れるような声は風に吹かれて土方には届かなかったかもしれない。
言ったと同時に届いていなければいいのにと願った。
うんと、答えられたら、俺はどうやって立てばいいのかもわからなくなるのに。

「土方……」

「俺は限界だって言っただろ」

ガラガラと音をたてて世界が崩れていくのを止められない。
なにもできずに土方を見ていることしかできなくなって、俺は一体なにがしたかったのさえわからなくなった。
確かにおまえは限界だと言っていたが、でもそれを信じたくなくて何かの間違いだと思いたくて。
心のどこかでまた元に戻れるって思っていたのに。
やっぱりダメなのか。
嫌いに、なったのか。
俺のことなんか微塵も好きじゃないどころか嫌いとさえ思っているのか。
なぁ土方、おまえに胸が焼き切れそうな俺の気持ちがわかるか。
苦しくて、息の仕方も忘れるくらい、どうしようもなくなっている俺の気持ちが。

「もう無理だ」

限界の意味がわからない。
俺のなにがダメだったのか、どうすればよかったのか、なにが無理なのか。
もう元には戻れないのか。
聞かなきゃ言わなきゃと思うのに口が動かない。
指先一本動かない。
閉鎖していく思考の中で土方が見える。
土方が。

「ごめんな」

今にも泣きだしそうな、土方が。

「……ごめん」

土方はなんで泣きそうなんだ。
なぁ土方、なんでそんな顔するんだよ。
なんで泣きそうなんだよ。
それは何に対して謝ってるんだ。
別れを告げられたのは俺なのに、俺のがよっぽど辛いのに、どうしておまえがそんな顔をするんだよ。
今の今まで怒っていたじゃねぇか。
憎らしげに俺を見て煩わしそうにしてたじゃねぇか。
それなのにどうして、そんな、そんな、酷く傷ついた顔をしてるんだ。
傷ついてるのは俺の方なのに。
ただでさえ止まりかけていた思考がぐっちゃぐちゃになっていく。
太陽が沈むとまだ寒い冷たい風が身を冷やした。
いつの間にか空には星が光はじめ、体育館からもれてくるわずかな光だけが視界の頼りになっている。
揺れる前髪の奥、暗い空間で俺の好きな人が瞳を揺らしているのが見えた。
使い物にならない思考はそれだけを認識する。
すると金縛りにあったかのようにガチガチになって動かせなかった体が、自分の意思に関係なく手を伸した。
その手はまっすぐと伸びて腕の中に土方を閉じ込める。
高い体温。
汗ばんだ体。
ずっと触れたかった人。
この人を、離したくない。
言葉に出せない分、強く強く抱きしめた。
目頭が熱くなるが唇を噛んでグッと耐える。
背中に腕がまわらなくたって土方を解放することはできなかった。
離せと言われないのを、抵抗されないのをいいことに、頬を寄せて願いを込める。
どうすればこいつを俺の元にとどまらせられるのだろう。
どうすればこいつを俺につないでおけるんだろう。
どうすれば他の人間にやらずにすむのだろう。
どうすれば。

「しつこく好きでごめんな」

渡したくない、 離したくない、泣かれても喚かれても傷つけても離したくない。
こんなに執着されたら土方は嫌がるだろうけど、それが俺の本心だ。

「どうすりゃ、また、好きになってくれる……?」

「坂田……」

「離したくねぇんだよ」

「おまえズルい」

「ズルい?」

「おまえなんか大っ嫌いなんだ」

言いながら背中にまわる腕。
服を掴む重みに神経が集中した。

「本気で嫌いだって百万回は思ってた。俺の前から消えちまえって本気で思って……!」

「っ!」

しかしその手が、俺を引き剥がす。ちぐはぐな言動のどっちが正しいかを考える前に突き飛ばされ、さっきまで腕の中にいたものを失ってしまった。

「土方……?」

「好きだから限界なんだろうが!」

「え、それどういう……」

タイミング悪く俺の声が大きな笛の音にかき消される。
その音に従うように、土方が踵を返し地面を蹴った。





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