Thank

□犬とか
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【武州編―十年前―】








何か気にさわる事をした覚えはねぇ。
特に何か言ったわけでも、絡んだりしたわけでもねぇ。
なのになんでかわからないが、俺はあの先輩に馬鹿みたいに嫌われている。





「ハハハ、また派手にやられたなぁ」

「…うっせぇ」

近藤はミツバに手当てされる土方を見て声を出して笑った。
その顔の右目の周りは青く変色し、プクリと腫れて大きな猫目が三分の一ほど潰れている。
そこに軟膏を塗るミツバは申し訳なさそうに眉を潜めていた。

「本当にごめんなさい」

「別にテメェに謝られる筋合いはねぇよ」

「でもそーちゃんが…」

「しつけぇ」

「こらトシ、ミツバ殿は心配して言ってくれてるんだぞ」

近藤に叱られて、土方は面白くなさそうに鼻を鳴らす。

「トシ」

「いいんですよ近藤さん」

「そうもいかないでしょう」

「十四郎さんもこんなふうにそーちゃんを叱ればいいのに」

「あいつが人の言うこときくたまかよ」

低く呟く土方に「そんなことないわよ」とミツバが人差し指を立てた。
そして彼女にしては精一杯のしかめっ面を作る。

「悪さをした時はおでこを突いて『めっ』て叱るの。そうするとちゃんと反省するわ」

「…………」

「…………」

表情こそ変わらないが土方は絶句した。
流石の近藤も言葉を失う。
色々突っ込みどころは満載だがわかってはいる、彼女はいたって真面目だと。

「ミ、ミツバ殿…それはちょっとアレなんじゃ…」

「とても効きますから、どうぞ私で練習してみてください」

「…アホらし」

手当てもそこそこに土方は付き合ってられるかと腰を上げる。

「あ!まだ布当てが…」

ヒラヒラと背中越しに手を振った土方が襖を開けて出て行く。
外との隔たりをなくしたその間、蝉の声がやたらと大きく部屋に響いた。
逃げるように出ていかれたミツバはオロオロとした表情で近藤を見る。

「あ、あの、私なんか変な事言っちゃったかしら」

「いやあの…うん、それはなんとも…」











もう昼も二刻ほどすぎたというのに太陽は全く衰えを見せない。
そのまま道場を出た土方は殺人的な太陽光を浴びながら田舎道を歩いていた。

「………」

『お前なんか大っ嫌いでぃ!』

暑さでゆだる脳裏には口を開けば悪口を並び立てる少年が浮かぶ。
そんなに嫌われる事をした覚えなどはない。
むしろどちらかといえば自分が嫌ってしかるべきだろう。
いわれのない悪意ばかり向けられて…まぁ、喧嘩ばかりしてきた自分には悪意など慣れたものだが。

「ちっ」

舌を打つと、それを追うように「ギャン」と鳴く犬の鳴き声が聞こえた。
顔をあげると顎から汗が垂れて地面を濡らす。
そして、その視線の先には――







「グルルル……」

「なんでいお前ら!やるかクソ!」

総悟は目の前に立つ中型ほどの野犬三匹に声をはり上げた。
二匹は歯茎をむき出しにして今にも飛びかかってきそうである。
まだ九つの小さな体で野犬に襲われなどしたらひとたまりもなく、圧倒的に不利。
総悟ほどの剣技があれば木刀を持っていればまだどうにかなったかもしれないが、生憎今は丸腰だ。

(畜生…)

迎え討とうと身構えるも力の差は目に見えている。

「グルル…ギャオン!!」

(やられる!)

声を上げた三匹に同時に飛びかかられて、総悟は思わず目を瞑った。
その刹那、予想した衝撃の代わりに「キャウン」と情けない犬の声が響く。
次いで鈍い音と何かが地面に叩きつけられる音。

「――――え?」

恐る恐るゆっくりと目を開けると、薄く開けた視界には黒い着流し。
目線を上げれば大きな背中と風になびく一纏めに纏められた艶やかな黒髪。

「………っ」

「――犬」

聞いた事もない低い声に、犬がビクリと身体を震わせた。
総悟も感じた事のない土方の様子に、ゾクリとした寒気を背中に走らせる。

「死にてぇなら、相手してやる」

後の鬼を臭わせるすくむような眼光に、犬は怯えたように喉を鳴らした。
すっかりと尻尾を丸めてしまった三匹はすごすごと後ずさると、クルリと背を向けて逃げていく。
土方はその後ろ姿を見えなくなるまで見届けた。

(……ったく、最近野犬も増えたよなぁ)

まぁとりあえず事の前に見つけられて良かった。
子供が犬に本気で襲われては大怪我は必至だ。
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