短編

□黄泉路夢殿
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 いつもより星影の明るい夜、見上げると頭上には無数の星屑が鏤(ちりば)められていました。

「まあ、なんて綺麗なの」
 感嘆の声をあげた女の子は、腕を背中で組んで星空を見つめました。
 その子の髪はブロンドで、カールして長く、腰のあたりまで垂れています。夜の闇に浮かび上がる肌は雪の様に白く、頬も、たくさんのレースがついた膝丈の白いワンピースからのぞく手足も、ほど良くふっくらとしていてとても健康そうです。日の下で見れば、その頬はきっと薔薇色でしょう。
 歳の頃は十二ほどでしょうか。小さなかわいらしい鼻と顎をツンと突き出しお高くとまっている姿はちょっと生意気で、どこかお金持ちのお嬢様の様です。しかし、感嘆して星空を見上げる青い瞳はどこまでも素直で澄み切っているのでした。

 女の子はしばらく星空に見とれていました。
 すると、遠くから何かが近付いて来る音が聞こえます。グシャリ、グシャリと枯れ葉を踏みしだく様な音と、それと同時に発せられる呻きの様な音です。
 それは女の子の側まで来ると、数分の間何も聞こえなくなりました。

「……ねえ」
 突然肩に手を置かれて、女の子は飛び上がりました。
「ああ、びっくりした。挨拶も無しにいきなり触ってくるなんて、失礼ね」

 女の子は肩に触れてきた相手に食ってかかり、そして値踏みをするかの様に相手をじろじろ見つめました。なぜなら、相手はまるで浮浪者の様に汚らしいボロを纏っていたからです。
 しかし、よく見れば整った顔をした美貌の少年でした。夜の闇に浮かび上がる肌は女の子と同じ様に白いのですが、手足はまるで木の枝の様に痩せ細っていて、こちらは日の下で見てもその頬は青白いままでしょう。
 歳の頃は十四ほどに見えます。
「君、こんな所で何してるの」
 少年は先程の無礼を詫びる様子も無く聞いてきました。
「わたしが何をしていたって、あなたには関係の無いことよ。そうでしょ」
 女の子は少年を睨みつけながら言い返しました。
「あるんだよ。あるから聞いてるんだ。ここはね、普通の人が来てはいけない場所なのさ。だから答えて。ここで、何してるの」
 少年に詰問されて怖気付いた女の子は、それでも自尊心を掻き集めて答えます。
「分からないわ。わたし、気が付いたらここに居たんだもの」
「じゃ、名前は」
「ベッツィよ。わたしの名前は、ベッツィっていうの」
「ふうん、面倒くさいなあ。普通にエリザベスで良いだろ」
「だめ。だめよ。わたし、ベッツィだもの。ベッツィって呼んでくれなくちゃ、だめ」
「ちぇっ、お嬢様ってのはみんなこうなのかね」
 少年はふて腐れましたが、今の会話で少し自信を付けたベッツィはお構い無しに尋ねました。
「それで、あなたの名前は何ていうの。普通は先に名乗るものよ」
 ベッツィにそう言われて、少年はしばらく呆然とベッツィを見つめました。

「どうしたの。あなたの名前を聞いているのよ」
「……分からないんだ。忘れちゃったんだ」
 少年は悲しそうにようやくそう言いました。
「忘れたなんて! 自分の名前を忘れるはずなんて、あるわけないじゃない。分かったわ。わたしのこと、からかっているのね。そうなのね」
 ベッツィは憤慨しました。
「そういうわけじゃないんだよ」
 少年は申し訳無さそうに言いました。
「だって、ここに来る奴らは堕とす価値さえ無い奴らばっかりなんだもの。みんな廃人さ。口なんて利けやしない。君みたいに価値のある子が来るの、本当に久し振りなんだよ」
 少年にそう言われて、ベッツィは得意になりました。
「そうなの。それじゃ、仕方ないわね。でも名前が無いと不便だから、わたし、あなたのことアドニスって呼ぶわ。だってあなた、そんな汚い格好をしてはいるけど、顔立ちはとっても綺麗なんだもの」

「へえ、アドニスか。悪くないな」
 少年は口の片端を吊り上げました。
「そうよ。そうでしょ。ねえ、アドニス。良いことを思いついたわ。わたしの家へいらっしゃいよ。お風呂で身体を綺麗にして髪を整えて素敵な服を着せてあげる。おいしい料理をたくさん食べてもう少しふっくらすれば、あなた、もっと綺麗になるわよ」
「それはどうかな。第一、僕はこんな形(なり)をしているんだもの。君のお父さんやお母さんは、家に上がらせてくれないと思うな」
 少年は目を伏せました。
「あら、そんなことないわ。ママもパパも、とっても優しいのよ。わたしの言う通りにしてくれるに決まっているわ。それに、弟もね。あなたが来てくれれば、大喜びよ。だから、ね。そうしなさいよ」

 少年は何も言いませんでしたが、ベッツィはその沈黙を肯定と受け取りました。
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