短編

□黄泉路夢殿
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「ほうら、決まり! それじゃ、さっそく行きましょ。わたしのおうちへ。さ、… あら。どっちへ行ったら良いのかしら」
 ベッツィは辺りを見回し、初めて見知らぬ丘の頂上に立っていることに気が付きました。小高い所から見下ろすと、辺りは一面荒野です。真っ黒な夜の地が広がり、目印になりそうなものは一つもありません。

「困ったわ。帰り道が分からない」
「ここがどこだか分からないのも当然だよ。真っ当に生きてれば、こんな所に来るはずがないもの」
「どういう意味なの、それ」
「帰り道。案内してあげるよ。ついておいで」
 少年はベッツィの問いには答えず、背を向けてスタスタと行ってしまいました。
「待ってよ、ねえ!」
 ベッツィも慌てて追いかけますが、足を踏み出した途端に何か細長い物を踏み潰してしまいました。同時に、低い呻きの様なものが聞こえます。
「きゃあ!」
 ベッツィは驚いて後退りました。すると、数歩後退るごとに同じ様な物を踏み潰してしまい、辺りにはベッツィの悲鳴と低い呻きが連呼されました。
「きゃあ! きゃあ! きゃあ! ねえ、待ってよアドニス! 戻って来てちょうだい! わたし、何か踏み潰してしまっているみたいなの。だって、空はこんなに明るいのに地面はこんなに暗くって、何があるのかまったく見えないんだもの!」
 少年は振り返ってベッツィの方を見ると、半眼になって言いました。
「見ようとしてないからだろ」
 しかし、ベッツィが彼の言葉を理解するには少し遠すぎました。
「ねえ、アドニス、今何て言ったの。よく聞こえないわ、こっちへ戻って来てもっと近くで言ってよ、お願いだから! ねえ、助けてってば!」
 少年は仕方なくベッツィの方へ戻り始めました。少年の足元からも、何かが潰れる様な音と低い呻きが発せられています。
「ほら、掴まりなよ」
 少年の差し出した手に、ベッツィはしっかりと掴まりました。
「ありがとう、アドニス。ねえ、下には何があるの。わたし、何を踏んだの」
「見ようともしてないから見えないんだろ。まあ、君みたいな子にはありがちなことさ」
「えっ」
「ほら、よく見てごらん。目を凝らして。見ようとしてごらん」
 ベッツィは足元の暗がりに目を凝らしました。

 すると、自分が踏み潰した物が浮かび上がりました。その正体を確かめようと先を目で追うと、白く細い …… 人間の骨なのでした。
 ベッツィがそのことに気が付いた途端、今まで嗅いだことの無い腐臭が彼女の鼻を襲いました。
「ううっ」
 ベッツィは空いている方の手で鼻を覆うと、半歩後退りました。
 また、グシャリという音と呻きが聞こえます。
「うう … 痛い … 痛い 踏まないでおくれ ……」
 今度は次いで、足元から言葉まで発せられました。
 見ると、ほとんど腐り切ってしまった顔が生気の無い目を懸命にこちらへ向けています。
 その様な人体が、辺り一面を覆い隠しているのです。
「アドニス! アドニス! 一体、ここはどこなの。彼らは、何なの。身体が腐っちゃってるじゃない! 病気なの」
「いいや、病気なんかじゃない。さっき言ったろ。ここに来るのは堕とす価値も無い廃人ばかりだって。こいつらがその廃人だよ。生きた屍さ」
 少年は彼らを心底嫌悪している様に、彼らを見下しながら言いました。
「助けてあげないの。かわいそうじゃない」
「かわいそう」
 少年はベッツィを見つめました。

「へえ、そう思うんだね。でもね、救ってやったところで、彼らは助からない。またここへ戻って来てしまう。自分からね」
「どうして」
「自分が廃人になっていることに気が付いていないからさ。見えるものを見ようともしないで見えないと言う、さっきの君みたいにね」
 少年は口の片端を持ち上げました。
「じゃあ、どうしたら良いの。彼らはどうなるの」
「こいつらは、自分が廃人だと気が付くまでここに居るほか仕方ないのさ。だけど、君にはまだ戻してやる価値がある。帰りたいだろう。ついておいで」
 少年はベッツィの手を引いて歩き出そうとしましたが、ベッツィは躊躇しました。
「どうしたの」
 少年が振り返ります。
「だって、この人たち、こんなにたくさん居るのよ。地面が見えないじゃない。どうやって歩いたら良いの」
「まだそんなことを言っているの。彼らのことは、踏みしだいて歩けば良い。気を使ったって、無駄さ。いいかい、救ってやろうなんて、思わないことだね。彼らは救われない。反対に、君が掬われるよ」
 少年はそう言うと、ベッツィの手を引いて有無を言わせず歩き始めました。
 辺りには、二人が骨を踏みしだいて歩く音と廃人たちの呻きが繰り返し続くのでした。
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