Book・Z V

□儚くとも、
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「おい、仕事片付いたか」


少し遠いデスクからかけられた声に、ノートパソコンをぱたんと閉じて答える。


「はい。たった今」


まだ夜も深けぬ時刻だが、大方の社員は早々に退社。
今、室内にあるのはふたつの影だけ。


「ご苦労だったな」


そう言って立ち上がるロロノア部長の口元は微かに緩んでいた。

普段滅多に崩さない表情に見えた些細な変化だけで心が揺れる。



と、ロロノア部長の後ろに光が差した。

金色の、大きな円形の。


その光は一瞬で散り、それと代わるように低音の破裂音が小さく響いた。


「花火……」


思わず呟いたのと同時に、背後の窓へ首を捻ったロロノア部長から


「祭り、か」


耳障りの良い低音が発せられた。


先の金色を皮切りに、その儚さを打ち消すかのように次々と上がる色とりどりの光。
真っ白なワイシャツに薄く映る。



暫くして再びわたしの方を向いた上司は、珍しい笑みを浮かべて言った。


「ミサ、これからどうせ暇だろ」
「……ええ、まあ」


「祭り、行くぞ」
「え……、」


社交辞令を笑顔で受け流す術などとうに身につけ、嘘も方便と言える程には社会人として生きているはずなのに、
本当に驚いた時、本当に嬉しい時には咄嗟に言葉が出ないのだと知った。


「……あんだ、おれとじゃ不満か?」


少し間を置いて発せられたのはからかいを含んだ言葉。


不満、なんて今のわたしから掛け離れすぎた言葉で。
けれどそれを軽々しく告げられないくらいには大人になってしまったわたしは、


「……りんご…、」
「あ?」


「……りんご飴、ご馳走してくださるなら」
「はっ……、何かと思えば。餓鬼か、てめぇは」


思わず子供じみた言葉を紡いでいて。

それでも未だ笑みの消えない顔にまた心がゆらゆらと揺れた。


「んなモン、いくらでも買ってやるよ。さっさと行くぞ、ミサ」
「はい。ロロノア部長」





席を立つと、窓越しの夜空に一際目を引く大輪の花が咲いた。


fin
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