Book・Clap

□進退
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「お疲れさま。お待たせ。」
「おぉ、お疲れ。」



太い指がボタンを押して、わたしの好きな曲が車内にかかる。


仕事で疲れた身体に緩く流れる音楽と、車が発進する音が響く。


助手席のスーツを着た女、わたし、の恋人は運転席に座る身体の大きな同じくスーツ姿の男。



「ゾロ、どこ行くの?」


ジャケットを脱いで、ぐっと伸びをする。

さらさらと街明かりが視界をかすめていく。


「どうすっかな。」


右隣の、きちんと着込まれたスーツ。感情の読めない表情の横顔。


「珍しく悩むのね。てっきりいつもみたいにどこかで食事して、それからゾロの家に傾れ込むんだと思ってた。」


茶化すように言ってみても、変わらない表情のまま返される言葉。


「どこ行きたい?明日休みだろ。」


「どこって…、そうね。ゾロとこうしていられるところなら、どこでも。」


車はいつの間にか高速の入り口。


「じゃあ行き先は“無し”だな。…車を止めたら、おれはおまえに何するか分からねぇ。」


「高速?…ずっと走ってるの?」


わたしの顔をのぞき見るゾロは、優しくて悪戯っぽくてそれでいて真剣な表情で言った。


「あぁ。…止まらねぇ。止めらんねぇんだよ。…、色々とな。」



伏し目がちでそう言うゾロに、わたしの中の何かが動く。

わたしもそれを止めたくない、止められない。



「じゃあずっと、このまま、走って。」
「あぁ。」



ネクタイをぐっと緩めて、心もち顔をほころばせるゾロ。



走り続ける金曜日の深夜近く。


秋の夜長に、これもまた一興。


fin

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