02/12の日記

23:06
暫くお休み・・・
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 父が永眠してから早二週間が経とうとしていますね。
 もう、なんか・・・いろいろありすぎて何がどう変わったのか分かんないやww


 で、結局四十九日が終わるまで暇が無いので更新停滞します。
 お父さんを一番に発見したお祖父ちゃんが一番ヤバい状態でね・・・もう82歳だっけ?
 自分が先に逝くなら分かるけど、今年55歳になる息子が冷たくなって動かないの見つけたら、そりゃ気がおかしくなっちゃいそうだよね・・・
 お祖母ちゃんはなんかよくわからんwww
 でも足腰悪い爺婆の世話を昼休みNEETな私が任命されちまいましたよw
 つーわけで、二日にいっぺんは泊まり込みだし、パソコンで怪しい小説書くタイミングが見つからないんですよねー
 希望復活日は4月だったりしますm(_ _)m
 



 で、ここからはちょっとした懺悔、つーか自分の後悔みたいなこと書きます。
 ちょっと心の整理みたいなモノなので気にしないで下さいなw




 私が高1の夏に姉が鬱病になって、ストレスの原因になる父と兄が家から10分の実家に別れて住むようになりました。
 で、高3の春に元々愛想を尽かしていた母が父に離婚を打ち明けました。
 私の父はなんっつーか、頑固?堅物?で怒りん坊でした。お酒が入ると口悪くなるから、よく夕食後は部屋に逃げて両親の口喧嘩に耳を塞いでたりしていました。
 まあ、手は出さなかったしw仕事しか出来ない趣味の少ない不器用な男の性だったんでしょうねww
 そんなことがあるから、母と私は父が大嫌いでした。姉は甘え上手で父親似だから可愛がられていたんですけどねw兄貴は・・・どうだろ?
 私はお母さん似だから怒られるとき『お前はお母さんに似ているからダメなんだ』的な事を言われていたから、もう反感心の大きいこと!
 離れて暮らすことになった後、父親と顔を合わせないようにしていたし、会っても会話をなるべくしないようにしていました。

 だから・・・最後に会ったのって先月の成人式なんですよね。
 振り袖をお祖父ちゃん達に見せる為に行ったので、全然父に見せる気なんてありませんでした。
 同じ家に住んでいるし、会うのは仕方ないけれど、やっぱり変な言い方されて気分を害されるのは嫌だしな・・・って思ってました(久しぶりに会ったら『太った?』って最初に聞く父だったしw)
 でも、その日だけは褒めてくれました。
 言い方が微妙でしたけど・・・父らしい褒め方でした。

 で、その後一度も会う事無く1月31日に逝ってしまいました。
 ・・・・父の部屋に、一枚の画用紙に貼った写真があったんですよね。
 真ん中に、生まれてすぐの私を抱いた母と小さい兄と姉が一緒に写った大きめの写真。
 その周りに、私・姉の成人式の振り袖写真、兄の警察学校卒業式の写真が貼ってありました。
 私の成人式が終わってすぐに作ったんでしょうね。
 他にも、袋に入った綺麗なお守りが三つと願いを書いた紙が父の部屋から見つかりました。
『(子供三人の名前)が幸せでありますよに』
 って・・・離れて暮らすことが決まった年に神社に行って書いているみたいなんですよ。
 お守りは、渡したくて買ったけど渡せなかったのか・・・
 『こんなことするくらいなら、なんでもっと家族を大切に出来なかったんだ!』って思いました。

 小さい頃は怖いけれど大好きだった父。
 けれど、大きくなるに連れて両親の仲が良くないことに気がつき始めて・・・・私は父が大嫌いになっていました。
 それでも、何も正直に話せないまま死なれたらこっちは困ります。
 言いたいこと九割文句が占めていますけど、もう言葉が届かないって言うのは、後悔します。



 これ以上書くと文句ばっかりになりそうなんで、これで思い出語りは終わりにします。
 最後に二つだけ・・・

 父が亡くなったと思われる時間帯、私はニコ厨でした。しかも青いつなぎの似合う阿部さんのネタを見ていました。

 もう一つはただの自慢です。
 警察官だった父が最後に昇進しました。
 巡査長から警部補です。



皆様には心配と失望の繰り返しですみませんm(_ _)m
暫くはリアルを大切にします。
では!また会える日まで!!!   

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