aoex(雪受け)
□束の間の逢瀬
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がちゃ、部屋の扉が開く音で我に返った。
どうやら意識がとんでたみたいだ。
時計を確認すると、兄さんを見送ってからまだ30分くらいしか経っていなかった。
それより、誰か近付いてくる気配…これは。
「大丈夫かい?学校を休んだって聞いて様子を見にきたんだけど」
優しそうな笑みを湛えた佐藤さんが、僕の顔を覗き込みながら言う。
ゆっくりと髪まで梳かれて、その心地よさに眠気が襲ってきた。
「はい…大丈夫、です」
「うん、無理はしていないようだね。えらいえらい」
頭を撫でられて、安心感からか本格的に瞼が閉じそうになってきた。
嫌だ、もう少し、もう少しだけでいいんだ、佐藤さんと話していたい…。
「さとう、さん…」
「ん、もう寝なさい」
寝ていいんだよ、そう言うように細められた眼差しと手の動きに、僕はもう限界だった。
「さ、と…さ…」
「おやすみ、雪男くん」
ちゅっ、頬への僅かな感触を最後に、僕は眠りに就いた。
…まだ話し足りないんです、もっともっと、あなたと話していたい。
目を覚ましたら、あなたはまだ僕のそばにいてくれていますか――?
僕が学校を休むと、様子見と言って佐藤さんが決まってお見舞いに来てくれるようになったのはいつからだろう。
塾の講師ではない佐藤さんとは滅多に会う機会がなく、佐藤さんと会えるこの僅かな時間のために学校を休んでいると言っても過言ではないかもしれない。
体調が悪くなると真っ先に思い出すのは佐藤さんのあの言葉。
――君は十分頑張ってる。
そう言ってくれるのは佐藤さんだけで、疲労した頭と心はいつも佐藤さんを求めてる。
でも、ここ数年で丈夫になった体では風邪をひくこともそうなくなった。
それはつまり、佐藤さんと会える回数が減ったということ。
「ん…」
「お。起きたかな?」
あぁ、佐藤さんの声だ。
僕が起きるまでそばにいてくれたのか。
それだけで、僕の心は満たされる。
「佐藤さん…」
「おはよう、雪男くん」
あぁ、佐藤さんの顔だ。
目を開けると見えたその顔に、不思議と涙が零れそうになった。
それを、寸でのところで押さえ込む。
久しぶりに見た佐藤さんに弱った心が歓喜しているだけなんだ、心配を掛ける暇があるなら別のことに時間を費やしたい。
「おはよう、ございます」
「もうお昼だよ。お腹空いてないかい?」
「…少し」
「ふふ、だと思ったよ」
差し出されたのは、ほかほかと湯気を上げる美味しそうなお粥。
「…これ、佐藤さんが?」
「残念、君のお兄さん作だよ。昼休みを利用してさっきまでいてね、このお粥を作ってまた学校に戻ったんだ」
「そう、ですか」
なんだ、兄さんが作ったのか。
兄さんの作った料理はお粥だろうがすごく美味しいんだけど…今回ばっかりは余計なお世話だよ。
「ほーら、そんな顔しない。次は僕が作ってあげるから、ね?」
…その言葉だけで僕の機嫌はすぐによくなるんだから、我ながら現金だよな。
「起き上がれる?食べさせてあげようか」
ほら、あーん、促されるまま口を開ける。
優しい味が口いっぱいに広がった。
飲み込んだらまた口元へお粥、僕はそれをぱくりと口に含む、もぐもぐ咀嚼して飲み込むと、嬉しそうな佐藤さんの顔。
その顔が見たくて、僕はどんどん食べた。
「よっぽどお腹が空いてたんだね。お粥、全部なくなっちゃったよ」
それとも、僕が食べさせたおかげかな?
…なんて、冗談めかして言うから。
「…はい、佐藤さんだからです」
「ふふ、それは光栄だ」
勇気を出して言ってみたのに、軽く受け流されてしまった。
「さぁ、薬も飲んだしそろそろ寝ようか」
「…もう、ですか?」
「寝ないと治るものも治らないよ。授業が遅れるのは嫌なんでしょ?優等生くん」
受け流されたことも、揶揄されたことも、言いたいことはいろいろあるのに。
「おやすみ雪男くん、いい夢を」
…次に目が覚めた時、その時には、もうあなたはいないんでしょうね。
◇おわり◇