short stories

□本
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「泌香」


下校時刻になり教室から出た私を呼びとめる声。

低くて、物腰の柔らかなその声に呼ばれると、

ときめきと、安心感とで私のこころの中はざわざわとする。



「柳くん」



ゆっくりと彼のほうに足を進めようとする私を、突然友人が呼びとめた。



「唯厨!一緒に帰ろう!駅前のさ…って、あらら」

「際ちゃん」



友人は柳くんの存在に気付くとにまにまと微笑みだした。




「唯厨、アイスはまた今度ね!」





ぽんっともう一度肩を軽く叩いて際ちゃんは行ってしまった。

去りぎわに柳くんの方を向いて表情を作ってたみたいだけど、

どんな表情かは私の方からは見えなかった。




「ごめんね、なんか際ちゃんが…」

「いや。それよりいいのか、行かなくて。」

「うん。別に約束してたわけじゃないから」

「そうか」



少し安堵したように息をついた柳くんは、鞄をごそごそとした。

もう何度か見た光景。

差し出されたそれが何か、は聞かなくても分かる。



「遅くなってしまったな。週末に練習試合が急きょ入ってしまって。読み進めるのに時間を要した。」



差し出されたのは、一冊の本。


「ううん、気にしないで!いつもありがとう。」


本を手ににっこりとすると、彼も微笑を浮かべた。





数ヶ月まえから、私は柳くんから本を借りている。

きっかけは、私がその読書量に興味を持ったこと。

際ちゃんに会いに行くとき、隣の席の柳くんは必ず本を広げているの。

F組には結構頻繁に顔を出すのに、いつも違うタイトルの本を読んでいる。

ときには一日2回顔を出しても、違う本を読んでいることもあるくらいだ。



ある日私が、『柳くんていつも、どんな本を読んでるの?』と尋ねると、クスっと笑って彼はこう返事した。




『読んでみるか?…泌香。』







こうして私は、柳くんが読み終えた本を借りるようになったのだ。


「あ、そうだ。コレ、ありがとう。」


と言って私が差し出したのは、先日借りた別の一冊。



「ああ、ありがとう。」



「あと、これ・・・」


そう言って私は小さなラッピングの袋を一緒に差し出した。







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