short stories
□稀有な君
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カチャンッ
なるべく小さな音を立てて玄関の扉を閉める。
とんとん、と靴を履いて、靴ひもをきゅっと結んだ。
時刻はAM6:00。
夏だから朝6時とはいえもうすっかり日は登っていて、街は昼間と変わらないくらい明るい。
私は玄関を出て少しストレッチをすると、門を閉めて走り出した。
そう、最近私は、早朝の軽いジョギングをしているのだ。
2日で飽きる、なんて親に言われたけど、かれこれ2週間続いている。
飽きやすい私なので、自分でも驚いている。
朝の街は毎日変わり映えせず、ちょっと飽きそうなのだが、ここ2、3日はちょっとだけ気分がいい。
休憩場所の公園に行く手前に大きな家があって、朝はそこのおうちのおじいちゃんが家の前の掃き掃除をしているので、挨拶しているのだ。
なんていうか、全然知らない人なんだけど、俗に言う「朝活」をしている者同士の、得も言われぬ阿吽の呼吸みたいなのが好きになりつつある。
言葉交わさずとも、的な。あ、でも挨拶してるから言葉は交わしてるか(笑)
とにかく、そのおじいちゃんの元気な姿を見ると、私も後半のジョギング頑張ろうって思えるんだよね。
今日も私はその大きな家を通るコースを走っている。
そういえばなんていうお宅なのかな?
人んちの表札なんてまじまじと見ないから覚えてなかったけど、今日もおじいちゃんに会えたら見ておこう。
そんなことを考えながら走り、角を曲がって、そのおうちの近くまで来た。
あれ?おじいちゃんじゃない??誰だろ?
もともと早くもないスピードだけど、ちょっとだけ速度を落としてみる。
紺の絣(かすり)の着物…?
え、ちょっと、このおうちに似合いすぎ!!ここだけちょっとタイムスリップしたみたい!
その紺絣の人は屈んで集めたごみを塵取りに掃こうとしているので顔は見えない。
あまりじろじろと見るのもおかしいので、今日は表札だけ盗み見して行こう。
そう思ってスピードを少し戻した。いま、まさにその人の横を通り過ぎようとしたとき、
「泌香?」
と名前を呼ばれたのでびっくりして振り返った。
「…えっと…」
「俺だ、日吉だ。」
「……えええ!!?日吉くん!?」
なんと紺絣の着物の人は、同じクラスの日吉くんだった。
え、ちょっと、着物!?えええ、ってか眼鏡!!!!
着物に眼鏡とか…文豪コスプレ!?
「大声出すな。近所迷惑だろ。」
「何その格好…」
え、まさかそれが普段着とか、なわけないよね…
「何って、なんだよ」
「え、何で着物…?」
「何でって、家着だからな。」
「そ、そう…」
ほ、ほんとに普段着なんだ…家では着物に眼鏡なんだぁ…
改めてまじまじとその格好を見る。
「あれ?ってことはもしかして、ココ…日吉くんち…?」
「そうじゃなきゃ、ここで家着はおかしいだろ」
いや、まあ。それが家着って人もなかなかいないと思うけど…。
私はいつも見ることのなかった表札を見た。
達筆な書で『日吉』って書いてある。ホントに日吉くんちなんだぁ…
「じゃあ私がいつも挨拶してるおじいちゃんって…」
「爺さん?…ああ、そんなようなこと言ってたな」
「?」
「『可愛い娘さんが朝挨拶してくれる』だとさ。」
「え……あ、そ、それはどうも…」
びっくりした…。別に日吉くんが言ったわけじゃないもんね。おじいちゃんが言ったんだもんね…
「今日は日吉くんが掃除してるんだね」
「もともと俺の仕事だが、普段は朝練があるからな。休日は俺の仕事だ。」
「へえ、大変そうだね…」
「まあな。夏休みになったら毎日だから、今はまだましだ」
「毎日!?」
「ああ」
すごいな…。私なんてたった2週間続けるのも辛いのに…。
私も、もうちょっと頑張ってみようかな!
今日はおじいちゃんには会えなかったけど、代わりになんだかレアな日吉くんに会えたし。なんかいいことありそう!
「じゃあ、私、行くね。」
「ちょっと待ってろ。」
「え?」
そういうと、日吉くんは掃除道具と共に家の中へ入って行った。
しばらくすると、さっきの紺絣の着物ではなく、テニス部のジャージ姿で靴を履いて出てきた。
着替えるの早っ!…て、そこじゃなくて……急にどうしたんだろう…
「俺も行く」
「ええ!?」
「なんだよ、悪いか」
「別に悪くないけど…私すっごい遅いよ?」
だって、テニス部の日吉くんとは体力が違うもん。それにこれはたしなみ程度のジョギングだし…
「合わせる」
「え?」
「だから、お前に合わせるって言ってるんだ」
「でもゆっくりだと、逆に疲れない?」
「別に。そんな軟じゃない…」
そう言いながら、靴の紐を結び直す日吉くん。
うわああ。朝から日吉くんとジョギング…
嬉しいけど、緊張する。ど、どうしよう。
「よし。もういいぞ」
「え」
「ほら、行けよ。」
「わ、私が先!?」
「当たり前だろ。お前のランニングに俺が勝手に付き合うんだからな」
「そ、そうだけど…」
どうしよう…どのくらいのペースでいけばいいのかな…あんまり遅いと…
「そんなに、緊張すんな。お前のペースで行けよ。別に遅いからって置いてったりしないぜ」
そう言って、私の肩にポンっと手を置いて、背中を押してくれた日吉くん。
その手が優しくて、走っている間もずっとその感触がくすぐったくって、その日はいつもより少しだけ早く走れた気がした。
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