short stories

□愛の詩
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今日も変わらない一日が始まる。

起きて、病院の味気ない食事を食べて、検温をして、他病室の子どもたちと話をして、

両親が顔を出して、部員の誰かが様子を見に来てくれる…


気が向けば本を読んだり勉強をしたりするけど、長時間は自由に動かない身体ではただ体力を消耗するだけで、いつの間にか眠ってしまうことがほとんどだった。


こうしている間にも、体はどんどん衰えているんだろう。
徐々に頼りなくなっていく自分の体を見るのがとても苦痛だ。
身体が言うことを聞かないと、なんだか心まで虚しくなっていくのがわかる。


―――絶対に病気を克服して、またテニスをしたい…!


そう、強く心に誓っていることに変わりはないけれど、
どうしても、気が滅入るときもあった。




―――俺は、本当に元のように戻れるんだろうか…




毎日そんな不安と向き合い、払拭しようとする日々…



「なんだか、疲れた…」



窓の外に目をやりながら、独り、そうつぶやいた。

空は、夕日が沈みかけて赤と青が混じる幻想的な色合いを浮かばせていた。
以前は、この時間をほとんどテニスコートで過ごしていて、実にきれいだと目を細めて眺めていたけど、
今はこの時間は物寂しく思うものに変わっていった。また日がひとつ過ぎたと俺に告げる、残酷な時間だ。


そろそろ寝ようか。
いや、でもどうせまた眠れないんだろうな…


溜め息をついてじっとしていると、
突然病室のドアが鳴った。


「幸村くん、学校のお友達だけど、入ってもらっても大丈夫かしら?」


いつもの看護婦の声がドアの向こうから聞こえる。
学校の友達?…いったい誰だろう。
テニス部のやつらは、もうこの慣れた病室には勝手に入ってくるはずだし(赤也や仁王に至ってはノックもせずに開けるぐらいだし)、
そもそもみんなはまだ部活をやっているはずだし…。
わざわざ看護婦に連れてこられるなんて、初めてここへくるのだろうか。


「はい。どうぞ…」


「失礼します…」


「泌香さん…!」


そろそろと、遠慮がちに開けられたドアから入ってきたのは、
クラスメイトの泌香さんだった。


「おじゃまします。こんにちは幸村くん」

「こんにちは…びっくりした。まさか泌香さんが来るなんて…」

「えへへ、じゃあ大成功だね。驚かせようと思って黙ってきたから」


泌香さんはいたずらっぽく笑ってそう言った。

その笑顔は、俺が入院する以前とまったく変わらないものだった。


「久しぶりに会うけど…君は変わらないね」

「そうかな…これでも少しは大人っぽくなったとか……ないか」

「クスクス。自分で否定しなくてもいいのに…」

「なんか言ってて、だんだん虚しくなってきちゃって」

「ふふふ」

「幸村くんこそ、その笑い方、変わってない」

「ほんと?…でも、俺はいろいろと変わってしまったよ」

「そうかな?」

「…うん。……そうだね、いろいろと弱くなったりとかね…」



さっきまで笑いあって、彼女の方を向いていた顔を、正面に戻し、ふと目線を落とす。
彼女が視線をそらさずに、じっと俺の顔を見ているのを感じながら、
じっと自分の手を見ながら、指の感触を確かめるようにぎゅっと握った。
久しぶりに会ったクラスメイトに、急にこんなことを言っては困らせるだけなのに…
なんだか急に弱音を吐きたくなった。半分八つ当たりみたいな感じだけど。



「あ、そうそう。今日はねこれを持ってきたの…」



そんな俺の様子を察してか、泌香さんはガサガサと紙袋を漁りだした。
なんだろう、と視線を泌香さんの足もとに落とすと、急に目の前にノートや紙の束が現れた。
泌香さんの小さな手からあふれそうなそれを、とっさに支える。



「な、なんだいこれ…」

「えへへ。なんでしょう」


俺は一冊を手にして、ぱらりとページをめくった。


「これ…授業のノート?」

「うん。クラスのみんなで、授業ごとに分けて…って感じでね」

「そうなんだ。なんだか申し訳ないな…」

「そんなこと!変な話、これのおかげでうちのクラスの成績上がってきたんだよ!幸村くんのノートを書くから授業中居眠りなんかできない…って!」

「あはは、これのおかげで?じゃあ俺、ずっと入院してた方がいいかな?」

「え…あ!ごめん、そんなつもりじゃ…!」

「あはは、冗談だよ。…そんな顔しないで」

「…っ!」


さっきまで笑ってた泌香さんが、急に泣きそうな顔をするから、心配になって、思わずその頬をなでた。
すると、今度は驚いた表情で目を見開いて、その顔はみるみるうちにあかくなっていった。
こんなに表情の変わる子だったかな。


「どうしたの?顔、真っ赤だよ」

「…あ、」

「くす…これ、すごくうれしいよ。みんなにありがとうって伝えてね」

「う、うん…!」


頬を赤らめながらも、にっこりと笑ったその笑顔に、つられて俺も微笑んだ。

それから彼女は、クラスの出来事をいろいろと話してくれた。

久々に聞く友達の様子、俺のいた日常。

テニスのことばかりで、あまりクラスの活動に貢献していたと俺は思っていなかったけど、

なんだか今となっては、俺の学校生活を彩るとても大切な場所の一つに思えてくる。



「…でね、その時『あーあ。幸村がいればなぁ!』って佐藤くんが嘆いてたよ」

「あはは。そっかー。あいつもかわいいところがあるじゃないか」

「ほんとだねー」

「はあ……ありがとう。いろいろ話を聞いて、なんだか今ものすごく学校に行きたくなったよ」

「ほんと?」

「ああ……」

「……幸村くん…?」

「…」

「…あの、」

「……実は最近、ちょっと気持ちが参ってたんだよね…」

「え?」

「…変わり果てた自分とか、状況とかを前にしてさ…」

「…」

「…なんだか、もう全てがどうでもいいっていうか、どうしようもないっていうか…」

「…」

「俺…逃げたいんだな…って。そんな自分にまた負い目を感じるっていうかさ…」



あ、やばい…泣きそうだ。

こんなつもりはなかったのにな…よりによって、泌香さんの前で…

でも、なぜかな、涙は出てこない。ただ顔をしかめる。

あーあ、泌香さん、困ってるじゃないか。

困って…



「っ…」

「え、泌香さん?」

「ぐすっ…えっ、あ、…ごめんなさ…ぐすっ……私、泣い…ごめ、ゆぎむらぐん…」

「泌香さん…どうして君が泣いてるんだい?」

「だって…幸村くん…泣かないから、」

「はは、俺だって、一応泣きそうなんだけどな……」



でも、あの日から、涙が出ないんだ。

悲しくて、悔しくて、仕方ないくせに、どこか冷めている自分がいる。

たとえ涙は出なくても、慰めてほしい時もある。誰かにそばにいてほしい時もある。


「泌香さん…」


俺が彼女の手を握りながら、名を呼ぶと、きみは涙で濡らした顔をあげて俺を見た。


「ちょっとだけ、いいかな」

「な…」




ぎゅうっ





なに、と尋ねる彼女の言葉をさえぎって、

俺は力いっぱい彼女を抱きしめた。

以前より、弱くなってしまった腕の力。

感覚も少しだけ鈍くなっているから、どのくらいの力で彼女を抱きしめているか、よくわからない。

だからこそ、俺はめいっぱい力を込めて彼女を腕の中に取り込んだ。

いろんなことを、確かめたかった。

彼女という存在を確かめることで、俺という存在がそこにいることを確かめたかった。

ただ、全身で、確かめたかった。




「…ら、く…く…い」

「ん?」

「ゆき、む、らくん、苦しい!」

「え?あ、ごめん」




気が付くと、彼女は苦しそうに俺の胸を両手で押し返そうとしていた。

その力はあまりにもひ弱で、全然押し返せていなかったから、少し腕を緩めてあげると、

ぷはっと息を吐いて、泌香さんは肩を上下させて深呼吸した。

いまだ俺の腕の中にいる泌香さんをそっと見下ろす。

涙目の彼女は、俺の胸に手を添えたまま、眉を寄せて軽く睨んできた。



「ごめん、苦しかった?」

「く、苦しかったよ!幸村くん、力込め過ぎ!肋骨おれちゃうかと思ったよ!!」

「そんなに痛かった?」

「痛かった!!もう!弱ってるって言ってたのに、そんなに力あるなら全然大丈夫だよ、ぜったい!」

「え…?」

「ぜったい、元の強さに戻れるよ!保障するよ!!」

「…!あ、ありがとう…」

「?」

「ありがとう、泌香さん」


俺はまたぎゅっと泌香さんを抱きしめなおした。

今度は彼女の肩に顔を埋めるように。

彼女の言葉、一つ一つに元気づけられいく自分をうれしく思い、

また、そんな言葉をくれる彼女を愛おしく思った。

泌香さんは俺の突然の行為にとても驚いて困惑していたけど、

恐る恐る俺の背中に腕を回して、抱きしめてくれた。それがまた俺の気持ちを落ち着かせた。




「幸村くん…」

「…」

「絶対、よくなるよ。みんな、待ってるよ」

「…泌香さん」

「頑張ろう。幸村くんなら、大丈夫」

「うん。ありがとう」





いつかまたこうして、

俺が道に迷ってしまっても、

君が紡ぐ言葉を頼りに、

俺は元の道にたどりつける気がした。

壁に突き当たって立ち止まる日が来ても、

いつも俺のそばにいてほしい。

そして言葉を、投げ続けてほしい。

俺がまた自分で道を選んでいけるように。

その時にも、どうか君が一緒にいますように…






俺の中で、このたった数時間で君という存在が大きくなったのだけれど、

今はまだこの気持ちを伝えるよりも、ただ君に俺という存在を刻みたかった。



俺は、思う存分抱きしめた。







しばらくして、病室に入ってきた蓮二が入口付近で苦笑してることもお構いなしに。










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