01/07の日記

12:28
実感
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食べる事って苦痛ね。


何より食べたあと苦しい。
一人の場合は食事する意味がわからなくなる

未だに自分の許容量がわからない

食べる前は色々食べられる気がするのですが実際は無理なんですよね…

味だけの物がほしい


そういえばアメリカには色々なフレーバーの飴があるそうです
ベーコン味とか…
気になりますよね

後はグレービーソース味のソーダとか。

あの国はどこまで肉汁を味わいたいんだろう…


私は一度バレンタインの時期にチョコレート味のソーダを飲んだことがあります。

個人の好みもあるでしょうけど…やはりチョコはそのまま食べたい。



でも個人的にアメリカの食事は好きです。

栄養をあれだけ管理できるなら素晴らしいですよね。

しようと思えば缶詰でバランスよく食べれる

サプリメントも豊富。


サプリメントさえのんだら良いって訳じゃないの知ってるけどきちんとした食事をすることに苦痛を感じるのです。

料理を作る過程も。

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04:39
せめてここで吐き出す
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私は無神論者なのですが。


もしも本当に神様がいるとしたら、随分と意地悪で残酷です。

それならいないと信じた方が楽なくらいに。


私は思います。

誰かが目を輝かせて生きる理由だとか存在意義だとかを熱弁するほど心が褪めてどうしようもないことはないと。

生きる理由なんてありません。
存在意義なんてひどく現実的で知らない方が良いくらいです。

種としてはただ自分の遺伝子を残すために生きています。
人としては社会を潤滑に動かすために。
ちなみにこの場合文化的に発展しているほどこれに当てはまります。逆でしたら種に近づききます

子供としては親の望むかたちをとることでしょう?

生きる理由なんてありません。
人がそう思いたいだけです。


自分で理由を見つけられる方もいるでしょう

それはなんと幸運で傲慢な方でしょうか!



生きる理由を見付けられないから苦しむ方がいるのでしょうね。
だからと言って他の方々を罵るのもどうかと思いますが。

私は、自分が演じる余裕を無くしそれを人前に曝すのは私の死だと考えます。

負の感情を露にするのは何より見苦しいし、人前で自然体を演じられないと言うのならば現れなければいいとおもいます

うまくいかないというのなら巧く立ち回れば良いだけです。

例えそれができないならせめて人に好かれる人格を演じれば良いだけです。

この現代社会で自分を巧く偽る術を持たない人間はころされます。

傷付く事は怖いですが傷付かないで生きていくことは不可能です。

それをいつまでも引きずり続ける人は好きではありません

それで死ぬと言うのならその方がしあわせだと思います。

少なくとも傷付けられません。

私は貴方がいなくなれば残念だけれど。

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