賢い犬リリエンタール(男主)

□第一話
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ここはどこだろう。
暗くて、何も見えない。
誰か電気をつけてくれないかな。
どうしてか腕を上げるのが酷く億劫だった。
いや、上げられなかった。
俺には、上げるための腕がなかったから。


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え…!?

発したはずの声は届かない。
目の前には暗い闇ばかり。
でも、しばらくすると周りの様子が分かるようになった。
細い管に囲まれた小さな箱の中に俺はいた。
薄いガラスの向こうでは白衣を来た人たちが忙しそうに行きかっている。
状況が全くわからない。
昨日は寝る前に漫画を読んで、そのあと普通に寝ていただけだ。

身体、と呼べるような感覚がない。
それが怖くて、息苦しくて、どうにか自分の姿を確認する方法はないかと焦る頭で思案する。
しばらく考えた後に、身体という概念がないということは、視界というものもないのだという仮定に辿り着いた。
目を閉じてみる。
これは俺の感覚的な意識で、実際に俺には眼球と呼べるものすらないのだ。
そう自分に言い聞かせ、自分の身体を必死に思い浮かべる。
髪は、目は、足は、腕は。
大体イメージが固まったところで、それを俺が入ったケースの前に立たせるイメージを始めた。
イメージが固まった後、心を落ち着けてから一息に目を開く。


どうやら、俺の仮想は正しかったらしい。
さっきとは違う視点の視界が開ける。
目の前には、確かに【俺】がいた。


「……あーる…でぃー…ぜろ…?」


【俺】の入ったカプセルに書かれた文字は酷く聞きなれた言葉だ。
そう、まるで、ついさっきまで読んでいた漫画に登場したかのように…。

ここで少し話をしよう。
なんてことはない、さっきまで俺が読んでいたはずの漫画のことだ。
最初は興味本位で手に取った漫画だった。
赤や緑、黄色などの背表紙が白や黒を基調とした本棚の中で目立っていたので、無意識にそれを引き抜いた。
表紙には少し長めのタイトルと、可愛らしくデフォルメされた犬が大きく描かれている。
短くて、完結していて、ギャグ風味の漫画を買おうと思っていた俺が、その漫画を全巻レジに持って行ったことは明らかだろう。
家に帰って、もうすぐ晩飯だなと思いながらベッドに寝転びながらそれを読んだ。
最後の巻を読み終えて、ふと気付くと辺りは真っ暗だった。
晩飯の時間はまだかなと思いながら下に降りると、母さんが呆れながら俺の晩飯を準備してくれた。
何度も呼びかけても返事がないから先に食べちゃったわよ、そう言われて時計を確認するともう九時を回るんじゃないかというぐらいの時間を指している。
そういえば、何度か読み返していたかもしれない。
それすらも思い出せないほど、夢中だった。

内容としては、少々特殊な家庭に喋る犬が押しかけて、その犬が、もしくはその犬が原因でいろいろな事件が起きるというものだ。
四巻で完結しているのでもう少し読んでいたいと思ったが、俺は何度読んでも楽しめるので特に不満には思わなかった。

ころころと変わるキャラクターの表情が、緊迫感あふれる場面のはずなのにほのぼのとしているストーリーが、そして何より、家族として認められたいと健気に頑張る犬が好きだった。
俺は一人っ子だから、こんな弟がいればいいなと思ったのかもしれない。

その漫画の中で、今俺の前にある【もの】、いや、【俺】は存在した。

【RD-0】。
それが【俺】の名前だった。

その漫画の中では、リアルパラダイスという名前の装置が存在した。
それは『人の意識・心を現実世界に作用させる』という常識はずれの装置で、陰陽二つのパーツから成るその装置の力が悪用されることを恐れた研究者達がその装置の二つのパーツをそれぞれ別の場所に隠したらしい。
その片割れが【RD-0】だ。

あまりに唐突なことで頭が回らない。
目の前にあるのは、【RD-0】であり【俺】だ。
人間の姿をしてはいないが、確かに【俺】なんだ。
大人の掌二つ分ぐらいの大きさの黒い球体状のパーツを、じっくりと観察してみる。
間違いなく、漫画で描かれていた通りだ。
しばらく【俺】の姿を眺めていると、後ろで扉の開く音がした。
これまた唐突な出来事に心臓が跳ねる。

「俺は見つからない。俺は見つからない。俺は誰にも見えない」

何度も呟く。
もし、これが夢でないのなら、もしこれが事実なら、俺は、誰にも見えることも、触れられることもないだろう。
そして俺の予想は、確信に変わった。

「【RD-0】か…どうしてボスはこんなものを欲しがるんだ?」

「さぁな。未だ制御は不能らしいが…」

「ま、俺らみたいな下っ端には関係ないだろ。とりあえず適当に見回りして帰ろうぜ」

「そうだな」

二人の人間が背を向けたままの俺の脇を通り抜けていく。
しばらく部屋の中を見回していた二人は、振り返り俺に向かって一直線に歩いていく。

そのうちの一人が、俺の身体を通り抜けて行った。

扉が閉まる音がする。
俺は、その場に座り込んでいた。

俺は、【RD-0】になってしまったらしい。
そう自覚して、あまり回らない頭で考えたのは、【RD-0】と対になるもう一つのリアルパラダイスのパーツであり、研究者たちによって犬の姿をし、感情を持ち、命を宿し、今はとある研究所で生活しているだろう【RD-1】。

漫画の主人公とも言える、リリエンタールという名前の、俺の弟だった。


 
 

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