*恋姫留置場*


□月華流雲 薫風煌稟
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今日も見上げる空は青く、どこまでも澄み渡っていた。
頬を優しく撫でてゆくそよ風が、体を囲む草をさらさら揺らす。

「今日も平和だなー……」

木陰にごろりと寝転がってぼんやり空を仰いでいると、あまりの穏やかさについそんな独り言が口をついて出てしまう。
一日に何度呟いたかもわからない、その台詞。
あまりの回数の多さに、もはや殆ど口癖になっているんじゃないかとさえ思い……思わず苦笑が漏れた。 

何というか、本当に平和なのだ。
つい最近までこの地で激しい戦いが繰り広げられていたことなど微塵も感じさせられない和やかな空気、少し前まで敵同士だったとは到底思えない、百花繚乱の乙女たちの笑顔と笑い声。
まるで毎日が安らぎに包まれているような日々に、歩んできた戦乱の道のりが嘘みたいに感じてしまう。
まあ、その結果として他でもない「今」があることは確かな事実だし、頭ではわかっているつもり……だけれど。

「……いや、やっぱ信じらんないよなぁ」

理解と納得は別物だ。
毎日が生死の駆け引きだったあの日々と、至って平穏無事なこの現在とが同じ時間の流れの上にあるなんて未だに信じられない。
言うなれば、パズルのピースがうまく噛み合わない、そんなむず痒いような感覚。
さっきから感じる言い知れぬこそばゆさも、そよ風に合わせて身体をくすぐってゆく草のせいだけではないことは確かだろう。

ーーもしこの平和な世界が、この間まで身を置いていた乱世とはまた別の世界だったら。
一見続いているようでも、本当は時間の繋がりなど皆無だったとしたら。

わかっている。この考えがありえないということは十二分に理解はしているつもりだ。けれど、同時にどこかで万に一つの可能性を完全に否定しきれない自分がいるのもまた事実であり……。
それは、願わくばあってほしくない「可能性」。
途端、一抹の不安が頭をよぎる。背中に悪寒が走るのを感じたその矢先、

「あ〜、ご主人様だー! ずるーい、気持ち良さそうなとこ独り占め? お昼寝だったら私も私も〜!」

突如響いた底抜けに明るい声の主に視線を向けると、ぱあっ、と大輪の花が咲いたような笑顔が目に入った。
身体全体にふわふわほわほわしたお花畑の雰囲気を纏った彼女ーー桃香は、俺の姿を確認するなり満面の笑みで駆け寄ってきて、そのまま隣にごろんと寝そべってしまう。
おいおい、服が汚れるぞ。と開きかけた口は、

「桃香さま! そんなところに寝転がっては服が汚れてしまいます!」

続いて発された凛とした声の前に行き場を無くし、空しさを感じながらも呆気なく閉じられることとなった。
ここからでは木が邪魔して姿は見えないが、声の主の想像は容易だった。君主を過保護なまでに心配する世話焼きの少女の名は、一人しか知らない。

「まったく……平和になったからといって、仕事がないとは限らないと申しているではないですか」

……何故だろう。獲物を横からかすめ取られた気分だーー適切な判断力を持ち合わせているとも言える生真面目なその人、愛紗はふうとため息を一つついてこっちに近づいて来ると、半分呆れたような諦めたような表情で、アホみたいに転がっている俺たちを見下ろす。顔を上に向けると丁度愛紗とばっちり目が合ったので、俺はよっ、と片手を上げて笑いかけてみる。

「おー、愛紗」

「……おー、ではありません。 桃香さまのお姿が突如見えなくなったので、もしやと思い慌てて探してみれば……何を呑気に怠けているのですか、一国の君主ふたりが揃いも揃って」

愛紗は変わらずの苦々しい呆れ顔で主ふたりを交互に見やると、はぁー……と本日二回目の溜息(一度目より深く長いものだった)の後、おもむろに空を仰いだ。

「それにしても、本当に最近の世は安寧ですね。 何と言いますか……あまりの平穏さについ危機感を忘れそうになる、というか……」

「…………」

「……あ、いえっ、だからといって無駄に気を抜いていいというわけではなくですね」

あれ? と思ったのは一瞬。
それは、怠惰を許さない生真面目な彼女が、ほんの一瞬の隙にふっと見せた顔。


……果たして、俺の気のせいだろうか。

その口許が、心なしか嬉しそうに綻んで見えたのは。
その瞳に、国と民を想う母親のごとく深い優しさを覚えたのは。


その表情から、幸せで幸せで堪らないというーー溢れんばかりの想いを感じたのは。
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